第169話 イトウ鍋


 脂がしたたる皮をじぃっと見つめて……良い焼き上がりとなったなら、まな板を用意し、そこにどてんと置いて、人数分にゆっくりと切り分けていく。

 

 包丁を入れると皮の段階でかなりの弾力があって、身もまた独特の弾力があって、魚のものとは思えないような感触が伝わってきて……それに驚きながら切り分けたなら、皿に盛り付け、まずは新さんに、それからネイとポチ達に配り……自分の分も用意したなら席に戻り、箸で切り分けたイトウの皮と、それに付いた身を持ち上げ……一気にかぶりつく。


 かぶりついてまず感じたのは、包丁を入れた時にも感じた弾力だった。

 噛み切れない程ではないのだが、しっかりとした……確かな弾力があり、皮を噛み切ったなら今度は身がその弾力でもって抵抗してきて……一噛み、二噛みと、噛む度に皮と身の弾力が……ぷりぷりというか、がぶりがぶりと、しっかりとしすぎた感触を伝えてくる。


 次に感じたのは弾けんばかりの脂で、ただただ旨味が詰まったそれが口の中で暴れて……そして噛んでいるうちに身のしっかりとした美味さが、じんわりと広がってくる。


「……っはー……。

 風味というか、味の根っこにあるのは確かに魚、白身魚のそれなんだが……凄まじい脂と食感が魚とは全然違ぇんだよな……。

 弾力があって端切れの良い羊羹って言ったら良いのか……やたらと弾力のある茶碗蒸しと言ったら良いのか……。

 美味さだけで言うなら鮭のが美味いんだが、この触感と脂のおかげで、イトウのが好きってのもいるかもしれねぇなぁ」


 噛んで噛んで飲み下して俺がそんな感想を口にすると……上品に箸で小さく切り分けていた新さんやネイも、箸も使わずかぶりついていたポチ達も同感だとばかりに、うんうんと頷いてくる。


「ははは、楽しんでくれてるようで何より。

 でもそれはまだ皮で、イトウはここからが本番だよ」


 と、そこにペルがそんなことを言いながら現れて……鮭によく似た、少し白色交じりの身の刺し身を持ってくる。

「養殖で変なものを食べないよう管理してるからね、刺し身もいけて抜群に美味しいんだ。

 船の冷蔵庫で熟成させたから、うーんと美味くなってるはずだよ」


 そう言ってペルは、刺し身の盛られた皿を人数分台所から持ってきて……それぞれの目の前に順番に配膳していって、ついでに醤油入りの小皿まで用意してくれて、俺達はいたれりつくせりだなと笑いながら箸を伸ばす。


 そうして食べたイトウの刺し身は……先程よりもしっかりとした食感のある、こりこりとしたものとなっていた。


 それでいて味と旨味は皮の近くの身よりもしっかりとしたものとなっていて……食感がしっかりしているために嫌でも何度も噛むことになり、それによってその味が口の中で何倍にも強くなる。


「はー……こりゃまた珍しいというか、なんというか……面白い刺し身もあったもんだな。

 そしてほのかに感じる野性味というか、力強さというか……ちょっとした臭さがあって、なるほど……野生のだとここら辺が強くなっちまう訳か」


 だが美味い、とても美味い。

 あえてたとえるならマスとイワナと鮭を混ぜ込んだというような味とでも言うべきか……いや、これこそがイトウの味、ということなのだろう。


 そうやって刺し身を食べていると今度は、醤油たれに漬け込んで、刻んだねぎをふりかけて、ついでに卵黄をちょこんと上に落とした、イトウの漬け丼が運ばれてくる。


 これも当然のように美味くて、米と一緒に何度も何度も噛むことで引き出される味はくせになるもので……贅沢を知り尽くしているはずの新さんまでが夢中になって食べている。


 新さんがそうなら他の皆も同様で……皆が漬け丼に夢中になる中、ボグが大きな鍋を持ってきて……囲炉裏の自在鉤に引っ掛けてから、鍋の蓋をゆっくりと開ける。


 鍋の中にはたくさんの野菜が浮かんでいた。


 ネギ、白菜、ニラ……そして豆腐。

 それらが浮かぶ水面にはてかてかと光る脂が浮かんでいて……ボグはそこにおたまを突っ込み、鍋の底の方に沈んでいたイトウの身を引き上げ、野菜と一緒に椀に盛り付けていく。


「今回の鍋は前回作った鍋と違って味噌じゃなくて、醤油でもなくて、塩鍋にしたよぉ。

 野菜たっぷりにして塩味にして……あとの旨味は全部イトウに任せた鍋さぁ。

 物足りなかったら味噌でも醤油でも足すからさぁ、とりあえずこれで食べてみてよ」


 そんなことを言いながらボグが椀を渡してきて……俺は作ってもらっておいて、文句もねぇだろうとまずは汁をすすり……その旨味の深さに驚く。


「なるほどなぁ……鍋にするとうんと味が出てくるんだな。

 そして野性味の方も強く出てくるから野菜を多めにしねぇといけない訳か。

 ……しかしこれはこれで悪くねぇっていうか……飯を食って力を取り込んで器を大きくするって目的としちゃぁ、最適な食材かもしれねぇなぁ。

 味に力があるっていうか、生命力を食ってるって感じがするっていうか……塩味だからか引き立つ感じがするなぁ」


 なんて講釈をたれていたのは俺だけで、ネイもポチもシャロンもクロコマも……新さんさえもが夢中で椀の汁をすすっている。


 すすってすすって口から湯気を吐き出して、そこに野菜をイトウの身を押し込んで……ついでに漬け丼も流し込む。


 そうやって口の中をイトウまみれにしたなら噛んで噛んで飲み下して……一同夢中で食べ続ける。


 俺も続くかと同じような感じで食べていると、ボグとペルが自分の分の椀と漬け丼を抱えながらやってきて、席について鍋を椀に盛り付けて、箸を構えて……ついでにどこから持ってきたのか、良い作りの陶器に入った酒を、大きな……鍋用の椀よりも大きな器に注いで、食って飲んで、飲んで食ってと、凄い勢いで飲み食いを始める。


 塩味の鍋は脂がたっぷりで……口の中に脂がこってりと残るもので。


 どうやら二人はその脂を酒で腹の奥へと流し込んでいるようで……イトウの脂と野性味が混ざった酒は、その美味さを増しているのか、二人の手を止まらなくしてしまっているようだ。


「つまりは口ん中でひれ酒みたいなことになってるのか……?

 この味と野性味が……酒の中に溶け込むのか。

 ……おい、二人だけで楽しむのはどうかと思うぞ?」


 そんな二人を見て俺がそう言うと、頬を膨らませもぐもぐと口を動かし続けるボグとペルは無言で台所の方を指差し……そこに、俺達の分の用意もしてあると、そんなことを言いたげな表情をしてきて……それを見るなり俺は立ち上がって、台所へと向かうのだった。

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