第81話 場がきんと凍り


 日が沈み夜が更けて、花火が一段と輝きを増すと、何処にいたのかワラワラと人が川べりへとやってきて……川には煌々と篝火を焚く屋形船が何艘も浮かび、あっちからこっちから賑やかな声が響いてくる。


 恐らくは土手の向こう、料亭や飲み屋なんかも同じような賑わいを迎えているのだろう、そっちからも賑やかな楽器の音や歌声が響いてきて……周囲が夜の川べりとは思えない賑やかさに包まれていく。


 そしてそんな光景や、響いてくる様々な音を満面の笑みで眺め、聞き入り、存分に楽しむ吉宗様……もとい、新さん。


「はっはっは、今日は良い夜だ!」


 なんて声を上げながら盛んに手を打ち鳴らす新さんと……俺達はなんとも言えない心地で見やることになる。


 天下の徳川将軍がまさかこんな所にいるとは……。

 あまつさえ庶民のような格好をして、護衛も連れねぇで……。


 そんなことを考えて俺が小さなため息を吐き出すと……俺達の背後にいくつかの鋭い気配が漂う。

 

 花火の見物客でも、たまたま通りすがったという感じでもない……剣呑な気配。

 

 何事だとすぐさま振り返ると……見知った顔の何人かの人間と何人かのコボルトの姿が視界に入る。


 御庭番の上役やら、上様お付きのコボルトやらが何人か。


 恐らくは新さんを護衛する為にそうしているのだろう、出来る限り自然な、庶民だと言わんばかりの風体で……周囲に鋭い視線を巡らせている。


 ……どうやら護衛は連れてきていたらしい。

 護衛達が勝手にここまでやってきたという可能性もあるが……まぁ、新さんの本来の立場を思えばそれでも当然のことだろうなぁ。


 護衛達も大変なんだなぁと改めて痛感し、視線を戻し、弁当へと手を伸ばそうとすると……、


「お、ゴマ団子か、こいつは美味そうじゃないか」


 と、新さんがそんなことを言って弁当へと手を伸ばし……瞬間、背後の気配達がざわつく。


 毒味をしていない、何処の誰が作ったかも分からない品を上様が食べようとしている!

 先程の酒も問題だったのに、更に弁当まで……!


 と、そんな風にざわついているらしい気配達を慰める為に、俺は素早く手を伸ばし、新さんが狙っているゴマ団子の隣にあるゴマ団子を鷲掴みにし、己の口の中に押し込み、味わうことなくむっしゃむっしゃと咀嚼し……無理矢理にごくりと飲み込む。


 少し喉につかえて息が止まりそうになったが問題はねえ、無事に毒味は完了だと周囲に見せてやって……そうしてから飲まずにはいられないと酒瓶を手に取り、中身を流し込む。


「なんだなんだ? 今日は犬界もやるじゃないか?

 ……ま、こんなに華やかな日に楽しまないってのは嘘かもしれんな」


 護衛達の様子に気付いているのかいねぇのか、新さんはそんなことを言ってゴマ団子を手に取り、がぶりと齧り……余程に美味かったのか良い笑みをこぼす。


 するとそれをきっかけにしてか、唖然としていたポチやシャロン、クロコマやネイも開き直ったような表情となり、今日という日を楽しまなければ損だと弁当に手を伸ばし、酒瓶に手を伸ばし……やんややんやと楽しく食って飲んで、夜空を染め上げる花火へと視線を戻す。


 花火がどばんと弾ければ、辺りは明るく照らされて、照らされた所に花火が弾けた際の振動が響いてきて……それが心地よくて、更に弁当へ伸ばす手が進む。


 そうやって新さんがいてもなんとか花火を楽しめる空気となり……もうこの人のことは深く考えずに楽しもうと意識を切り替えようとした……矢先、新さんの口からとんでもない言葉が吐き出される。


「所で犬界、女は居ないのか? 女は?

 こういう時はあれだろう? 賑やかで華やかな、芸達者な女を呼ぶものなんだろう?」


 その言葉を受けて場の空気がきんと凍る。


 新さんがそういう遊びに慣れていないというか、城下のことを知らないのは仕方ないが、どうしてそれで、そんな偏った知識となってしまっているのか……。


 一体誰がそんなことを教えたんだと呆れながら周囲を見やると……ポチもシャロンもクロコマもネイさえもが、お前がなんとかしろと、そんな視線をこちらに向けてきていて……俺は頭を悩ませる。


 そりゃぁ女を呼ぶやつもいるだろうし、そういう席もあるにはあるんだろうが……俺はそういった女遊びどうこうの趣味を持っておらず、ポチとクロコマはそもそもコボルトで、そんなこと端から念頭にありゃしねぇ。


 ネイやシャロンの手前というのもあるし、そもそも新さんは……上様だ。


 上様に女遊びなんかさせる訳にはいかないし、それで女遊びが癖になっても大問題で、ご落胤なんて話になったら俺の首がなんともさっぱりと飛ぶに違いねぇ。


 そんなことを考えて……考えに考えて、そうしてから俺は練りに練った言葉を吐き出す。

 

「あー……新さん。

 俺はそういう遊びはしねぇと決めてるんだよ。

 だからまぁ……俺達と遊ぶ時はそういうのは諦めてくれねぇかな」


 また今度、なんて言った日には本気でその『今度』を待ちかねねぇ。

 綺麗にすっぱりと、その可能性はねぇんだと断じておいた方が良いだろうとの言葉に、新さんは納得してくれたのか、なんとも嫌な笑みを浮かべながら頷き……「ははぁ」と声を上げる。


「なるほど、そういうことか。

 そうだな、お前は大金を手に入れてもそういう遊びをしない男だからな。

 ……唯一お前が遊んだ相手はおネイだけ……なるほど、今どき珍しい好いた女一本筋の男って訳だ」


 ははぁと声を上げ、顎に手をやり、したり顔でそんなことを言う新さん。


 それに対し俺は色々と言いたいことがあったが……新さん相手にそんなことが出来ようはずもねぇし、これで女遊びの話題が流れてくれるならありがてぇと素直に頷き、その言葉を受け入れる。


 するとネイが、


「ひょ、ひょまえなぁ!?」


 なんて声を、口に何かの食い物を入れたまま上げてくる。


 なんともはしたない声を上げることになったせいなのか、軽く酒が入り朱に染まっていた頬を、一段を朱くするネイ。


 そうして口をぱくぱくとさせたネイは何かを言おうとするが……何も言えず、何も言葉が出てこず……何かを諦めたように酒瓶へと手を伸ばす。


 その酒瓶にはかなりきつい酒がかなりの量、残っていたのだが、それでも構わずネイは酒瓶に口をつけ傾けて……ごっくごっくと凄まじい音を鳴らし、一気にその中身を飲み干してしまうのだった。

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