第80話 暴れん坊な闖入者


 二日後。


 準備が整ったとのネイからの連絡が届き……夕方を待って指定された川べりへと足を運ぶと、土手から川までを大きく覆う、随分と立派な舞台が出来上がっていて、そこには浴衣姿のポチとシャロン、クロコマとネイ、それと保育園の園長と先生方、子供達の姿があり……そんな一同がこちらへ声をかけてくる。


「遅いですよ! もう始まりますよ!」

「ほらほら、席はこっちです、こっち」

「はようこっち来い、美味い弁当が待ってるぞ」

「……何をぼーっとしてるのよ、もう打ち上げまでそんなに時間ないわよ」


 ポチ、シャロン、クロコマ、ネイのそんな言葉に続き、


「今日はお招き頂き本当にありがとうございます」

「子供たちも喜んでますよ」

「はやく! はやく! おべんとたべたい!」

「もうまつのやだー!」


 なんて保育園の一同の声が響き……俺はやれやれと頭をかきながら足を進めて……舞台のへりで履物を脱いで、舞台の上へと上がり……ポチ達のいる辺りで腰を下ろす。


 そうしてから改めて用意された弁当を見てみると、えらく数が多く、具材も豪華、色とりどり様々な食材魚、肉までが並んでいて……更には夏菓子、果物、上等な酒までが用意されていた。


「……おいおい、花火を打ち上げた上に更にこれだけの飯を用意したってのか?

 これじゃぁいくら金があっても足りねぇだろ」


 それらを眺めながらそう言うと、ネイがふふんと鼻を鳴らしてから言葉を返してくる。


「このお弁当のほとんどは差し入れよ、差し入れ。

 アンタが盛大に花火を上げてくれるとなって、船宿、料亭、酒屋なんかが良い景気付けになるって喜んでくれて、この差し入れをくれたって訳よ」


「……今時期なら花火なんて俺が金を出さなくても毎夜上がってるもんだし、だってのにわざわざ差し入れなんてすることか?」


「あれだけの大金を投じた花火が、普段の花火と一緒な訳ないでしょ。

 大金のおかげで大きさが違う、色が違う、仕掛けが違う……それはもう派手で華やかな楽しい花火になる予定なのよ。

 そんな風に夜空が華やげば、そういったお店の稼ぎもうんと上がるってもんだし、今朝から天気が良いこともあって、どのお店も気合を入れて準備をしているみたいよ。

 川のあちこちに屋形船が浮かんでいるし、川べりのあちこちに座敷を組んでいる店もあるし、土手に屋台を出しているとこもある。

 そこら辺のお店が今夜稼ぐ額を思えば、こんな差し入れなんでもないってことよ」


「はぁん……そういうものかね」


 ネイとそんな会話をし……弁当の中にあった握り飯へと手を伸ばし、わっしと掴んで口の中へと放り込む。


「お、美味いな、この握り飯」


 放り込み噛み砕き、飲み込んでから俺がそう言うと……それが合図になったのか舞台の上にいた一同がわっと弁当に手を伸ばし、今まで我慢したのもあってか凄い勢いでそれらを平らげていく。


 天ぷらを始めとした揚げ物、煮物、各種魚の塩焼き、味噌焼き。

 卵焼きに刺し身に各種漬物、餅やゴマ団子なんかもあるようだ。


 そしてそんな弁当は全員が腹いっぱいになっても食べ切れない程の量があり……誰もが好きなものを好きな様にとって、何を気にする訳でもなく口の中に放り込み、その美味さを堪能しながら笑みを漏らす。


 夕日が照らす舞台の上では、誰もが……一人残らず皆が笑顔で、その笑顔がまた弁当をより美味いものとしてくれる。


 そうやって弁当に夢中になっているうちに日が沈み、周囲が暗くなり……合図の笛が鳴らされて、ひゅうっと花火が打ち上がり、肌で感じられる程の破裂音と共に夜空にきれいな花を咲かせてくれる。


 赤青黄、様々な色が混ざり合い……その色が俺達を照らしてくれて……舞台の上の面々や、屋形船、屋台、道行く人々から感嘆の声が上がる。


 一発二発、三発同時。

 咲いた花が柳のように垂れ落ちたり、ひゅるひゅると舞い飛んだり、色だけでなく仕掛けでも楽しませてくれて……そうかと思ったら特大の、舞台をぐわんと揺らすようなとんでもない花火が弾けて、まばゆいくらいの光を放ち……一瞬の静寂の後に大歓声が上がる。


「……なんだなんだ、犬界にしては随分と奮発したではないか。

 花火も飯も酒も上等! 大したもんだ!!」


 大歓声の中で聞き慣れたそんな声が響いてきて……まずその声の主が誰であるかに気付いた俺がぎょっとし、次にポチとシャロンがその鼻で嗅ぎつけたのか愕然とする。


 いつの間にか舞台に上がってきていた一人の男。

 上等な生地の藍色の着流しに、普段は束ねない長い髪をしっかりと縛り、尻尾のように揺らす、見慣れた顔をしたあの御方。


「……う、上様、ここで何を……」


 俺がそんな風に声を振り絞ると、それでようやく気付いたのかネイとクロコマが凄い表情をし……そんな一同の視線を一身に受けたその御方は、豪快に笑いながら言葉を返してくる。


「はっはっはっは!!

 誰と勘違いしているのかは知らないが、拙は貧乏旗本の三男坊。

 ……そうだな、新さんとでも呼んでおけ。

 今日はたまたま景気が良い上に、なんとも愉快な宴席を見かけてな、混ぜてもらおうとやってきたって訳だが……飯も酒もこんなにあるんだ、拙のような小男が一人増えたって別に問題は無いだろう?」


 なんとも返事に困るその言葉に、俺達が何も言えずに唸っていると、自称新さんは未開封の酒瓶へと手を伸ばし、封を乱暴に開き、口をつけてぐっとあおり飲む。


「……あー……その、程々にお願いしますよ」


 その姿を見やりながらなんとか俺がそんな一言を投げかけると、新さんはにやりと笑って……弁当を手掴みで、次々に食べ上げていく。


 普段、江戸城でこれ以上に美味い、上等なもんを食ってるだろうに、庶民の弁当の何が良いんだかと思うが……まぁ、上様は上様で庶民には分からないご苦労があるのだろう。


 俺達はそれ以上何も言わず、その状況を受け入れて……それぞれに菓子や弁当に手を伸ばし、夜空を染め続ける花火を見上げる。


 花火を見上げながら、その光に染め上げられながら食べたなら、美味い弁当が更に美味くなってくれて、腹もどんどんとすいてくれて、いくらでも食べられるんじゃないかってくらいに手が進んでしまう。


 御庭番になって以来、酒は控えていたんだが、今日くらいは良いかと猪口を手に取ると、ネイが酒を注いでくれて、くっとそれを飲み……酒瓶を受け取ってネイの猪口に注ぎ返し。


 そうやって酒を飲み合って、注ぎ合って……ふぅっと息を吐いたらまた花火を見上げる。


「はっはー、天下泰平天下泰平!

 徳川様の世の中、万歳ってなもんだなぁ!」


 そこに自称新さんの一言が響いてきて……新さんが何者であるかに気付いている一同は凍りつくことになる。


 よりにもよって貴方がそれを言うのですか……?


 そんなことを言いたくても言えない俺達は、細かいことを気にするのをやめようと、忘れてしまおうと……酒瓶に手を伸ばし、その中身を口の中へと流し込むのだった。

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