第20話 食い道楽



「甘いもんを食ったなら、次はやっぱりしょっぱいもんだよなぁ」


 満足するまで甘味を堪能してから菓子屋を後にして、腹をどんと叩きながら俺がそう言うと、ポチは満足気な笑顔でこくりと頷いてくれて……ネイはまだ食べるのかとでも言いたげな表情を向けてくる。


「今日は遊び倒すって言っただろう? 

 まだまだこんなもんじゃぁ終わらねぇぞ」


 と、ネイに向けてそう言った俺は……さて、どちらに行ったものかと視線を彷徨わせる。


 しょっぱいものを求めて足を向けるならばやはり江戸港だろうか?


 毎日毎日多くの魚介類が水揚げされる江戸港には、水揚げされたばかりの魚介類を塩焼き、味噌焼き、醤油焼きなどにして販売する多くの屋台が軒を連ねている。


 港で働く者達や観光客達の食事として家庭の膳に上がる一品として、極上と言っても過言ではない味を誇るその品々は……思い出すだけで涎が出てきてしまう程のもんだ。


 あるいは江戸城近くの飯屋通りだろうか?


 江戸城で働く職員達の胃袋を掴んで離さないあの一帯には、古今東西のありとあらゆる料理が揃っている。

 しょっぱいどころか、甘いも辛いも苦いすらもあそこに行けば味わうことが出来る。


 そんなことを考えながら江戸港の方へと視線を向けて、飯屋通りの方へと視線を向けた俺は、悩みに悩んだ末にネイへと声をかける。


「お前は何処か行きたい場所はあるか?

 今の懐具合なら料亭でもなんでも、好きな所に連れていってやるぞ」


「何処かって言われてもねぇ……アタシは別に食い道楽って訳でもないし、そんなすぐには思いつかないわよ」


「んな難しく考える必要はねぇんだよ、こうやって腹に手を当ててだな、お前は何を食いたいんだと問い掛けりゃぁ、自然と答えが―――」


 そう言いながら腹に手を当てた俺は……ふと頭の中にある食べ物の姿が浮かんできて、その名をぽろりと口にする。


「天ぷら」


「……天ぷら?」


 ネイのそんな問いかけに頷いた俺は、とある天ぷら屋がある方へと視線を向けて言葉を続ける。


「江戸湾の魚介は勿論のこと、野菜やら擦った山芋やら薄切りの生姜やらを上手い具合に天ぷらにしてくれる店があるんだ。

 さらっとした上質の油でもって揚げたばかりの天ぷらをだな、塩をかけるかつゆにつけるかして食うとだな……こんなに美味いもんがあったのかと天にも昇るような気分になれるんだ。

 ポチ達は牛鍋が最高の飯だと言うが、俺はやっぱり天ぷらだな……あの店の天ぷら程美味いもんは無いと思っている」


 俺のそんな言葉を耳にして、ネイはあまりピンと来ないのかこくりと首を傾げ、ポチはその味を思い出したのかごくりと生唾を飲み込んでから口を開く。


「……良いですね、天ぷら。

 僕も行きたくなってきましたよ」


 ポチのその言葉に力強く頷いた俺は、未だにピンと来ていないらしいネイを連れて、江戸城近くの飯屋通り―――から少し外れた場所にあるその店へと足を進める。


 なんでも無い普通の家々が立ち並ぶ一画に、まるでなんでも無い普通の家かのような見た目で建つその店の前には、目立つ気などさらさら無いと言わんばかりの、地味で小さな看板が立っており『天麩羅 東』との文字が書かれている。


 これまた地味で特徴の無い暖簾をくぐり、店内へと入ると……客一人いない店内が俺達を迎えてくれて、そのまま俺達は店の一番奥……店の主人が油鍋の支度を整えている調理場を眺めることの出来る横長の一等席へと、俺、ポチ、ネイの順番で腰を下ろす。


「……見ねぇ顔を連れて、何しに来やがった貧乏侍」


 すると白布の前掛けをし、白布の頭巾という清潔感のある格好をした店の主人が第一声、そんな言葉で歓迎してくれる。


「そりゃぁ当然、天ぷらを食いに来たんだろうよ。

 それと、だ。今日の俺は店ごと食いつくせるくらいの懐具合だからな、歓迎してくれても良いんじゃねぇかな」


「……相変わらずの、客商売とは何ぞやと問いたくなるような口の悪さですねぇ」


 俺とポチがそう言葉を返すと、荒く鼻息を吐き出した主人は、上質で小綺麗な紙で作られた品書きを、雑な言葉と共に差し出してくる。


「……時間が時間なんでな、酒の用意はしてねぇぞ。

 具材は全部揃っている、お前達が今日最初の客だからな」


 品書きを受け取って、ポチとネイの方に差し出しながら一緒に眺めて……そうして主人が支度を進める中、うんうんと唸りながら悩んだ俺達は……、


「主人のおすすめでよろしく」

「じゃぁ僕もおすすめで」

「あ、じゃぁアタシもそれで」


 と、最も楽な方法での注文を済ませる。


 すると主人は大きなため息を吐き出してから、やれやれとばかりに顔を左右に振ってから、エルフ謹製の食材保存箱、氷櫃へと手を伸ばし……その中に敷き詰められたいくつもの具材の確認をし始める。


 そうやって確認をした主人が最初に手にとったのは山芋だった。

 自動井戸の水でもって丁寧に洗い、皮を剥いてからすり下ろし、すり下ろした山芋に醤油だの出汁だのの、いくつかの味を加える。


 そうする間に火にかけておいた油鍋の温度を確かめてから、まずはと一枚の海苔を油の海に浮かべる。

 

 ごわごわと良い音を油が上げる中、浮かんだ海苔の船に擦り下ろした山芋を乗せて……山芋の重みで海苔が油の中へと沈み、山芋が良い感じにこんがりと揚がっていく。


 その揚がり具合をじっと睨みながら穴あきおたまを構えた主人は……頃合いを見て油から海苔の船をすくい上げ、油を軽くきってから皿の上へと乗せる。


「……山芋だ」


 そう言いながら差し出された皿を受け取った俺達は、箸立てから箸を取り、揚げたてのそれを口の中へと放り込む。


 熱くて海苔の香りが強くて、うんまくて……たまらないその一口に俺とポチとネイは、


「美味いっ」

「あっ、あっついあついあついあつい!?」

「あ、山芋の天ぷらって初めて食べたけど、美味しいんだね」


 と、それぞれに歓声を上げる。


 その声を主人は一体どう受け止めたのか、無表情無言のままに次なる具材の仕込みをし始めるのだった。






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