第37話 作者、『絶対』の『絶対』はあり得ない。

 さて、今回はよく話に聞いたことがあるようなことを改めて話す回です。

 お楽しみください。






 この世の中の事は、『イチ』か、『ゼロ』で作られていると言われています。

 曖昧なものって意外に少ないものです。

 『イエス』か、『ノー』。『はい』か、『いいえ』。『できるのか』もしくは『できないのか』。この二択ですね。


 わからないって事はほとんどなく、実は深層心理的には自分にとってわかっていて答えたくない、考えたくないだけなのが普通なのかも知れません。


 まぁ……専門家ではないので知らないですけどね。


 私が今回、何が言いたいかと申しますと、そりゃそうだという話で、タイトルの通り、『絶対』の『絶対』はあり得ない。という話です。


 え? それが小説の創作に何か関係あるかって?


 たぶん、微妙な所でしょうけど……まぁ、とりあえず聞いてくださいな。


 先に話した通り、この世は『イチ』か『ゼロ』の世界です。

 ですが、この事柄すべてを『イチ』と『ゼロ』ではなく、『イチ』から『ヒャク』のパーセンテージに置き換えると、世の中、とても曖昧なものだとわかってくるものです。


 つまりは、100%のものがこの世の中にどれほどのものがあるか、という話です。


 絶対ということは、『100%』に近いものがそういうのではないかと、私は考えます。

 しかし、『100%』というものは存在するのか、という疑問が私の中では常日頃から存在します。


 かなり話を端折りながら話を進めているので、あまりわかりにくいかも知れませんが、私が一番物語を書いている上で思っていることは、どこに『善』をおいて、またどこに『悪』を存在させるかの1点だったりします。


 皆様は、『絶対悪』や『絶対正義』って言葉知っていますか?


 私は、あれが嫌いなのです。


 かと言って、まず第一に当たり前ですが、私がこの2つを嫌いだからと言って世の中に反旗を翻したりすることはないので安心してください。私は、平和主義者です。


 さて、『善悪』というのは、己が決めるのは世の理。他者から決められたり、法律っていう参考書から指示されるものでもありません。

 また、見方、己の立場によって善悪の区別は変わったりします。同情する気持ちもできたり、逆に極度な軽蔑をするほどの感情が芽生えたりすることもザラでしょう。


 人間とは何ともメンドクサイ生き物です。『イチ』か『ゼロ』で行動していればいいものをわざわざ『イチ』か『ゼロ』ではなく、曖昧な感情で動くのですから救いようのない生き物なのかも知れません。


 人間という生き物の性(さが)なのかも知れませんね。ほかの生き物では存在しないものです。


 そして、これは裏を返せば機械(コンピューター)と人間の明確な違いの証明でもあるでしょう。

 機械の最優先は、役目を終えること。人間の最優先は……うん、これは人それぞれあるでしょうから、私がわざわざ言うのは無粋な話になるでしょう。


 人間にとって『絶対』は存在しません。……しかし、『絶対』ではありません。


 訳がわからないでしょう? これが人間だったりします。


 




 では、まとめ。


 今回は『絶対』についてです。実際、『絶対』とは何かいまいち正体がつかめずじまいでしたが、明確な存在ではないのは確かです。

 私もよく考えもせず『絶対』って言葉を使ってしまうことがあります。ニュアンス的には『限りなく100%に近い』って感じですね。とくに意味があるわけではなかったりすることもあります。『絶対』といっておきながら、なんとも曖昧な言葉なんだなと思います。


 『絶対悪』と『絶対正義』の話を書こうとしたら書く前に話が長くなったので、割愛しました。きっとこの2つのテーマは小説の物語で書けってことですかね。……なんとも、また長い話になりそうです。


 あとちょっとした余談ですが、効率を求める人間は機械に近づき、感情を求める機械は人間に近づいていくって、皮肉な話ですよね。SF的ジョーク。


 笑えますね……いや、逆に笑えない? あいまい?


 そして、おしまい?


 

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