第72話 新学期で新たな厄 6
「少し聞きたいのだが、術によって操られていた場合、東殿の罪はどうなる?」
その斎藤の疑問に幸次は少し考えて答える。
「操られている度合いによってかわってくると思います。第三者によって完全に操られていた場合は、罪は軽くなるでしょう。しかし軽い操作であれば本人の罪として考えていいと思います。軽いものならば我慢することも可能ですので」
「なるほど、参考にさせてもらう。意通しというお嬢さんはどうなる?」
「とりあえずこの支部の中で過ごしてもらおうかと。重要な証人ですから、勝手に歩き回られるのはそちらも困るでしょう?」
「そうだな。お嬢さんのところに早く行きたいだろうに、止めて悪かった」
納得し斎藤は頷く。
幸次は小さく礼をして、早足で医務室に向かう。特に異変なく眠り続けている灯を見てほっとして、待機していた医者に診断を聞く。
医者によると眠って反応がないこと以外は異常なしということだ。胸の怪我は将義によって治療され痕もなく、なにかしらの不都合が残ることもないだろうということだった。しかし異常がないのは外見上で、精神的なものはわからないと付け加えられた。
そこらへんは将義からも聞かされていたため納得できる話だった。医者の許可をもらい、灯を抱き上げて家に帰る。
ベッドに寝かせると、幸次も眠るためにスーツを脱いでいく。ベッドに入り、眠る灯の手を取る。温かい手にほっとする。この温もりがなくなっていた可能性もあり、それを思うだけで心が冷える。
今晩は手を繋いだままでなければ安心できない気がして、幸次は両手で灯の小さな手を包んで眠る。
翌朝、起きた幸次は隣に灯がいることに安堵して朝食の準備にかかる。二十分ほどで起きてきた灯の様子が、いつも通りなのを見て表に出さず安堵する。
出来上がった朝食をテーブルに並べて、向かい合うように座り、幸次は話しかける。
「どこか痛いところとか、気分が悪かったりしないか?」
「ん? そういったことはないよ。どうして?」
トーストにブルーベリージャムを塗りながら不思議そうに聞き返す。昨夜の記憶はきちんとないようで、誤魔化すように続ける。
「昨日の夜にうなされていたからな。少し心配になったんだ」
「……そういえばこわいゆめを見たきがする。でもよくおぼえてない」
「そっか。なんでもないならいいんだ。ああ、そうそう。事件がどうにかなったから、明々後日には八時前に帰ってこられるようになる」
「ほんと? やったー!」
嬉しそうな灯に、幸次も微笑みながら今のところは後遺症はなさそうだと思う。
食事が終わったタイミングでリビングに将義が現れる。
「お兄さん?」
やってきた将義を不思議そうに見てくる灯におはようと声をかけて、幸次に視線を向ける。
テレパシーで簡単に事情を説明し、話を合わせるように促す。幸次は小さく頷いた。
「君のお父さんから依頼されて、お守りを持ってきた。近頃危ない事件が起きているから、灯ちゃんを守れるようにって。できるだけ肌身離さず持っておくこと。二人以外には見えないようにしてあるから、体育とか水泳のときもつけていられる」
灯は手を出すように言われて両手を差し出し、そこにネックレスが載せられた。
細い紐と水滴型の水晶のようなもののついたネックレスだ。
「危険が近づけないように魔法がかけられてて、その魔法を突破して危険が近づいてきた場合は鍛錬空間に逃げ込めるようになっている。だからなくさないようにね」
完全に危険を排除する魔法をかけることもできたが、そういった状態はかえって目立ちそうだと止めたのだ。
「うん。ありがとう」
嬉しげに灯は早速ネックレスを首にかける。そのまま水晶を触っていたが、学校に行く時間が近づいてきて自室に向かっていった。
灯の気配が二階に上がってから、幸次は深々と頭を下げる。
「ありがとう。ここまでしてもらえるとは思ってなかった」
「俺がそうしたいと思ったことだから礼はいらない」
「そうか、でもありがたいことだから礼は言わせてくれ」
「はいはい。起きてからあの子はなにか怖がったりしていた?」
「そういった様子はなかった。このまま何事もなければいいんだが」
そうだなと同意して将義は帰っていった。
ランドセルを背負った灯がリビングに入ってくる。
「あれ、お兄さんは?」
「帰ったよ。彼も学校に行かないといけないしね」
そっかーと少し残念そうにして、灯は幸次に行ってきますと告げて家を出る。
厄除けのお守りをもらったことで幸次も安心して仕事に向かう。だが今回の事件が灯に与えた傷は確実に残っていた。それはすぐに判明する。
学校から帰ってきた灯は、ここ連日と同じく遊びに出る。そして帰ってきて加賀と過ごして、午後八時頃に加賀を見送る。
玄関の鍵を閉めて、家に一人になった灯はなぜか少し怖くなった。これまで一人を寂しく思うことはあっても、怖いと思うことはなかったのだ。ホラー映画やテレビ番組を見て怖くなることはあったが、今日はそのようなものを見ていないし、ホラー的な恐怖でもない。この恐怖は昼にもあった。男の友達がそばにいると少しだけ離れたくなったのだ。
灯は首を傾げる。たまたまそんな気分なんだろうと、気晴らしにテレビを見る。骨董品鑑定の番組で刀が出ているのを嫌に思い、チャンネルを変えて時間を潰し、九時を過ぎてそろそろ眠ろうと寝室に向かった。暗い部屋でベッドに入り、目を閉じるとゾクリとした感覚が背筋にはしる。
「っ!?」
勢いよく身を起して、扉の方を見ると一瞬だけ黒い人影が見えた気がした。
なにがなんだかわからず、かすかに震えながらベッドから降りる。ネックレスをぎゅっと握ってそろそろと寝室の外に向かって、廊下に顔を出す。暗い廊下には誰もいない。ほっと息を吐いて力を抜く。
「なんだろ?」
どうしてこうなのか首を傾げ、ベッドに戻り目を閉じる。そしてまた体が震える。
なんでどうしてと涙目になりながら、掛け布団を頭からかぶって助けを求めてネックレスを強く握る。
そうしていると灯は足音を聞いたような気がした。
(やっぱりだれかいたの!? こわいっこわいっこわいっ)
零れ落ちた涙がベッドのシーツを濡らす。幸次が帰ってきた可能性に思い至ることなく、ベッドで震える灯に声がかけられた。
「あー、呼ばれたような気がしたから来たんだけど」
困ったような聞き覚えのあるその声に掛け布団から顔を出すと、電灯がつけられ明るくなった部屋に将義がいた。
掛け布団をはねのけて、将義に抱きつく。
「こわかった! なんでかわからないけどこわかったの!」
「そっか。大丈夫大丈夫。怖いのはもうどっかいったから」
灯の背中をゆっくりと叩いて、恐怖を消す魔法を使う。震えがなくなった灯が涙を拭いて落ち着いたのを見て、ベッドに誘導する。
灯は素直にベッドの上に座る。将義もベッドに腰掛ける。右手は灯に握られていた。
「ゆうれいいたの?」
「んー……幻のようなものという意味では幽霊みたいなものかな。どうして助けを読んだのか教えてほしいんだ」
頷いた灯は布団に入ってから感じたことを話し、将義にそれ以外になにか異変はあったか聞かれ、一人でいることや男が少し怖かったことを話す。
(確実にトラウマになってんな。子供があんな目にあえば、そらトラウマになるわな)
男にもトラウマがあるようだが、寝ているときにさらわれたことでその状況が一番怖いのだろう。
幸次と将義が近くにいても平気なのは、信頼しているからだ。
「悪戯好きな幽霊が近くにいて驚かせてたんだろう。あと一ヶ月でハロウィンだしね」
「もういない?」
不安だという灯に、しっかりと頷きを返す。
「いないよ。だから寝るといい。寝るまで幽霊が戻ってこないよう、見張ってるから」
「うん」
それならば安心だと表情を緩めて、灯はベッドに横になる。
信頼できる人がそばにいることで、灯はすぐに眠ることができた。
「苦労する子だな」
憐みからそんなことを言いながら、灯に魔法を使う。封印の向こうにある記憶を薄れさせる。消すかどうかは幸次に聞いて、とりあえずは記憶の影響が出てこないようにしておく。
そのままベッドに腰掛けて幸次の帰りを待つ。
帰ってきた幸次は将義がいることに驚き、灯になにかあったと察する。そして話を聞いて、どうするか考え込む。
「記憶を消せばトラウマも消えるが、危機察知能力にも影響が出てくる。そのままにしておけばトラウマが残るが、危機察知能力は鈍ることはない」
「一応記憶は薄れさせたから今日のように怯えることはないだろうさ」
将義が付け加えた情報から幸次は現状維持を選ぶ。明日一日様子を見てどうするか決めることにした。
それを聞いて将義は帰り、幸次は去っていく将義に礼を言う。世話になりっぱなしで、どうすれば恩を返せるのかわからなかった。
翌朝、幸次は起きてきた灯に、体調などを聞く。
「昨日、怖がったんだろう? 彼に聞いた」
「こわらがせるゆうれいのせいだって。お兄さんがどこかにやってくれたから今はなんともないよ」
「本当に? 気分が悪いなら学校を休んだ方がいいと思うが」
「へいきだよ。元気!」
学校は楽しいのだ。一人家で過ごすのはつまらない。そうならないよう元気だとぴょんぴょん跳ねてアピールする。
無理はしないようにと言い幸次は学校への連絡を止める。
なにか異変があったら電話するように言って、幸次は学校に行く灯を見送る。
裏堂会支部に到着した幸次は、灯のことを気にしつつ仕事を進めていく。
通常業務に加えて、今回の件で裏堂会本部に送る報告書を作り、意通しの使い手募集に関しても書類を作っていく。そういった仕事を進めているうちに、和明に対する調査が進む。午後には調査結果が出てきて、報告書が幸次に届けられた。
その報告書には誰かに操られた痕跡ではなく、欲を刺激するような痕跡が残っていたと書かれていた。外部からなにかしらの影響があったのだ。軽度のものなので大きな減刑を見込めるようなものではない。それを裏堂会本部に送る書類に付け加えて、見直し、部下に送る手配を任せる。
夕方になり、日が落ちて、そろそろ家では加賀が帰る頃、幸次は仕事の仕上げを行いながらスマートフォンを気にする。灯から連絡がくるならそろそろだろうと思ったのだ。しかし連絡はなく、家に帰ると落ち着いた様子でベッドで寝ている灯がいた。
「これなら消さなくても大丈夫かな」
涙の一つでも零れ落ちていれば記憶を消すよう頼んでいたが、怖がった様子はなく幸次は灯の頭をさらりと一撫でして寝室を出ていった。
数日後、ニュースや新聞で和明逮捕の報が世間に流れる。
危険人物が捕まったということで、世間はほっとした雰囲気で満たされる。
東殿和明がとういった人間だったか取材が行われ、その過去が報道され、剣術家そのものに非難の視線が集まりかけたが、各社から個人の思想が原因と繰り返し強調されたことで非難は少なくてすんだ。
表向きは殺人犯として処理されていき、裏では和明に影響を与えたなにかの調査が進む。だが陰陽寮の前総務長と同じく、詳細はわからないままだった。
無差別に悪意をまき散らす何者かがいるのか、何か狙いがあってこういったことを行う者がいるのか、能力者たちは頭を悩ませる。そして世界各地で似たようなことが稀に起きていると知るのはまだ先のことだ。
十月に入り夏の暑さは遠のいて、東殿和明が起こした事件による恐怖は世間から少しずつ薄れ始めた。流行の音楽、食べ物、出来事などに関心が向き、いつもの日常が戻ってくる。
新たな使い手を探していた意通しはこれだという人物を見つけることはできず、封印を選ぼうとしたが、働き手を常に求めている業界の者たちによって止められる。
これまで探したのは剣術家で、もっと範囲を広げて探してみないかということで、半人前の能力者から意通しの考えに合う者を探すことになる。半人前ならば能力者としてのスタイルを変えても問題はないのだ。
最初は資料の中から三人を選んで、その三人と直接会ってから十二歳の少女を選ぶ。性格と今後への考えが意通しにとって一番合うと思えたのだ。
少女の刀を扱うセンスは平凡で武器というよりは先達としてサポートしていく形になるが、それもまたよしと思えた。
この結果を知った能力者側としても、少女が引退するまでの間に意通しに合う使い手が新たに出てくる時間が稼げたと歓迎できた。
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