人の写真でバズるな
指先の感覚がなくなってきたのを潮に、家の中に戻った。
雪まみれのスコップを玄関に立てかけながら振り返ると、真新しい雪が早くも俺の足跡を消している。
「悪ぃなあ、
玄関に腰を下ろし、かじかむ指先で悪戦苦闘しながらブーツを脱ごうとしていると、すかさずばあちゃんが小走りで寄ってきて上がりがまちに洗面器を置いた。かすかに湯気の立ちのぼる水面がとぷんと揺れる。
「いいよいいよばあちゃん、寒いから」
「早ぐ手ぇ入れれ、冷てべ」
「ああ、うん」
凍った指で凍った靴からなんとか足を引き抜き、雪で濡れた上に水分で凍りついたがちがちの手袋をべりべりと引き剥がして、俺は洗面器にそっと指を沈めた。
末端から血が巡りだし、思わずああ、とオヤジみたいなうめき声が漏れる。
濡れた靴下を脱いでいる間に、ばあちゃんが俺のブルゾンとマフラーとニットキャップを電気ストーブの上に干した。
「ありがと」
「なんもだ。まず休め」
蜜柑とお茶の置かれたこたつに体を入れる。温まった手を顔にあてると、凍りついていた頬がじんわりとほどけてゆく。しばらくその姿勢のままでいた。
風呂にも入りたいことは入りたいが、1時間もすればまたスコップを持って外に出なければならない。午後4時頃に除雪車が来るので、それまでに車庫と玄関前に積もった雪をできるだけ道路に出しておかなければならないのだ。
束の間の休息。こたつの天板に顔をつけると、たちまち眠気が俺をとらえた。
雪かきは雪とのいたちごっこだが、今年は特に酷い。ちょっと目を離した隙に、小柄なばあちゃんの身長くらいの雪が余裕で降り積もっている。
父さんの実家であるこの東北の家には子どもの頃から何度も遊びには来ているが、温暖化もあってか近年はここまで大雪じゃなかった。
「観測史上1位に迫る記録的大雪のおそれ」と気象庁も言っている。
まさにドカ雪。恐るべき自然。
「なもかもねえな」
人を
こっちの方言で、「どうしようもないな」という意味だ。
去年の春にじいちゃんが死んだので、東北にある祖父母宅の雪かきは今シーズンから俺の仕事になった。
コンビニチェーンのエリア長をしている父さんは盆暮正月もなく働いているし、母さんも歳の離れた妹の世話で動けない。
交通費は親が出してくれるし、祖母はお年玉を
妹のお受験でぴりぴりした空気のはりつめている実家より、雪の音しか聴こえないこの静かな家の方が大学のレポートもはかどった。
じじじっ。
こたつの上でスマホが短く震えた。
うとうとしていた俺は、すっかり血流の戻った指先で端末を引き寄せた。
「遅くなったけどあけおめー!
よーすけ田舎に行ってるんだって?
今年の雪ヤバいらしいけどマジ??」
大学の友人である
いつもつるんでいるグループのメンツの中ではそんなに絡みのある方ではなかったので、個別に連絡をもらったことに多少の驚きを覚えた。
田舎。その言いかたに、ちょっと引っかかるものを覚えた。
こっちの人々からしたら、県庁所在地であり新幹線も停まるこの町は全然「田舎」ではない。駅前だってそれなりに発展している。
まあ、東京生まれ東京育ちの人間にとっては地方都市なんて十把一絡げだろうな。
「サガッチあけおめことよろ〜
雪かきに身を捧げる正月だよ〜
ウザいくらい降ってて全身埋もれそうな勢いッスw」
返信というのは
そんなことを思いながら送信ボタンを押し、まどろみに戻ろうとしているとまたスマホが震えた。
「ちなみに写真とかある??
停電とかは平気なん??」
関東でもそこまで大きく報じられているのだろうか。ここではローカルニュースしか観ていないのでわからない。
嵯峨が大雪にここまで関心を示すようなタイプであるということを意外に思いつつ、俺はフォトフォルダをスクロールした。
こちらへ到着した日に撮った、近所の家の車がルーフまですっぽり雪に埋まった写真。「この辺は停電まではしてないよ〜」とだけ書き添えて送信する。
ばあちゃんが青菜を刻んでいるらしい音を聴きながら、また目を閉じた。
家族への土産と緑茶のPETボトルを買い、東北新幹線に乗りこんだ。
発車して早々にばあちゃんの持たせてくれた手作り弁当を平らげると、やることがなくなった。
車窓に延々続く雪景色を見ながらスマホを取りだす。
ゲームアプリを立ち上げ惰性的にプレイしたあと、それにも飽きて、普段ほとんど見ないTwitterを開いた。
「えっ」
思わず声が出た。
見覚えのある写真がいきなり目に飛びこんできたのだ。
昨日嵯峨に送ったばかりの、雪に埋もれた車の写真。
「東北の友達からのSOS。マジで大雪被害が深刻……。言葉が出ない。」
そう書き添えられたツイートが、1.6万RT、4.1万いいね。なんだこれ。
送信者は「SAGATT★」。そうだこれ、嵯峨のアカウントだ。
「ちょwwおまwww有名人じゃんwwwwww」というリプライと共に拡散しているのは別の友人。
――ああ。状況が飲みこめた。
嵯峨の突然の連絡も。「写真とかある??」の意味も。
理解できると、じわじわと静かな怒りがこみ上げてきた。
人の写真でバズってんじゃねーよ。
SOSなんか出してねーだろ、話盛ってんじゃねーよ。
せめてあの雪の冷たさを、長時間雪の中で作業するしんどさを、自分で味わってからやれよ。
ツイートへの返信用の吹き出しマークをクリックして抗議の言葉を打とうとし、液晶の上で指をさまよわせて、結局俺はスマホを窓辺にぱたんと置いた。
ばかばかしい。雪国の人たちの苦労に比べたら。
ぬるくなった緑茶をひと口すすり、車窓を眺めながら「なもかもねえな」とつぶやいた。
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