第9話 王国剣士マルス・マルタン
城というものを想像するに、グラジオス城が浮かんでくるのは城下町に暮らしていたタウラにとって自然な流れである。白を基調とした壮麗なグラジオス城は威厳を持ちつつ美しい外観をしていた。だから荷馬車に揺られながら遠目に今のグラジオス城を見つけたときには、それが城だとは思わなかった。
第十五代グラジオス王が居座するグラジオス城は一言で表すなら「地味」だ。城として見栄えがよいわけではない。なにせ建物は棍棒で叩かれたようにのっぺりとしているし壁は煤がかかった灰色をしているし全体的に暗うつとさせる重い雰囲気があった。
しかし、近づくとそれが威圧感をもってくるのがわかった。豪奢な雰囲気を一切排除し、機能性だけを突き詰めた戦うための城だ。門を三カ所――外側から大門、中門、小門と兵士は呼んでいた――をくぐり、ようやく城内に通じる入り口に着いた。兵士が城兵と連絡をとるのをしばらく眺めていると、やがて兵士は降参とばかりに両手を上げてこう告げた。
「二人を玉座に通すとのことだ。王が面会してくださる」
タウラとリーシャは目を合わせた。
「いいんですか」
「変わったものが好きなお方だから、貴様らが珍しいのだろう。幸運だったな。玉座の間は中に入って正面の階段を登った先にある。王の御前でへまをしようもんなら斬って捨てられるぞ。くれぐれも粗相のないようにな。ほら、王は大変忙しい御身だ。お待たせしてはいけないからとっとと行け」
兵士は二人を急かした。
「わたしたちだけで? 見張りの人は?」
「おれだって忙しいんだ。それに見張りに関しては問題ない」
どう問題ないのだ。
「行ってみればわかるさ」
確信があるのだろう。タウラとリーシャはいまいち要領を得ない。身体を拘束されているでもない。逃げようと思えば逃げられてしまいそうだ。「迷子にならないようにな」と兵士に見送られ、肩すかしをくらったように二人は王の間に向かうため城に入った。門番に名乗ると中に通された。
「まるで来客の扱いですね」
城内は思っていたより明るく、大勢の人が働いていた。自分たちが異質の存在であることがここではっきりした。服装からして違う。兵士はみな鎧を身につけているため紫紺の武闘着のタウラは目立つ。リーシャは王女の正装だからさらに目立つ。八方から視線を感じたが話しかけられはしなかった。だれもがせわしなく動いている慌ただしい城内だ。王国祭に浮き足立っていた現代と違い殺伐としていた。戦争中なのだ。教科書でしか知らない戦争なのだ。兵士たちは疲労の色が見えていたが生気までは失っていない。
階段を登り、奥に進む。行き止まりにぶつかった。
「兵士さんがおっしゃっていた扉って、ここのことよね」
リーシャが不安げに言った。木造の一枚扉だ。立派な扉を想像していたが、これまた裏切られた。他の部屋の扉より少し大きいだけで造りは変わらない。扉を叩く。「入れ」と反応があった。
物寂しい部屋だった。王に謁見する場所とは思えない。せいぜい執務室といったところだ。グラジオスで採れるカシナ木材の長机と椅子に壁一面に本棚があるだけだった。広い部屋だけに余計に簡素に見える。椅子にはだれも座っておらず、書類が山になってそのまま放置されていた。奥に部屋はない。
一間の部屋の端に女が立っていた。
「おまえたちが砂時計に近づいたという者か」
指定された部屋はここのはずだ。玉座の間で控えていたのは、白銀の鎧を身にまとい、腰に朱色の鞘をさげた剣士だった。小柄だが整った顔立ち。ほどよく肉のついた頬は健康的な赤味を帯びている。秋樫色の髪が散らからないように束ねてまとめていた。女性剣士だ。タウラは一目で感じとる。
――この人、強い。
取り調べの兵士の言っていた見張りは、きっとこの女性剣士のことなのだろう。凛然とした態度は、タウラたちがこの場にいることへの警戒と疑念が表れていた。朱色の鞘に収まっている剣に触れてはいないが、いつでも抜けるような立身をしている。
「あの、わたしたち王様に面会を許されてここに来たのですが、王様はいらっしゃらないのですか」
「王は席を外している。しばしここで待っていてもらう」
「そうでしたか。わかりました」
三人はその場で王を待つことになった。女性剣士から離れたところに二人はぽつねんと立つ。初対面の人間と同じ空間にいるのはどことなく気まずい。どちらから会話を始めるわけでもなく、時計の針の音だけが部屋に響いている。女性剣士が指で腕を叩きはじめた。
「まったく呼び立てておいて待たせるとは困ったものだ」
「王様はお忙しいと伺いました」
「否定はせんが、今回はおそらく何か思いついたのだろう」
「思いついたって」
「考えが浮かんだらすぐ行動するお人なのだ。そして雲のように消えてしまう」
すぐ行動するところはリーシャに似ているかもしれないなと、タウラはそっと思った。
「やあやあ、お待たせ」
扉が開き大柄な男が現れた。声が大きかったので、リーシャがびくりと反応した。女性剣士がそれに負けないくらい大声を出す。
「グラジオス王! 次の作戦について打ち合わせがあると何度も申し上げていたでしょう。勝手に出歩かないでいただきたい。それに素性の知らぬ者をいきなり玉座の間に通すなど。護衛の身にもなってください」
女性剣士に叱責されているこの大柄な男がグラジオスを統べる十五代目の王だ。迅速果断、思慮分別に優れ「賢聖」と謳われている王だ。引き締まった身体のラインがわかるような白のパンツに薄茶の革シャツ、靴は剣士と同じ金属製のものを履いている。グラジオスの国色である緑で統一された膝上まであるコートを羽織ってはいるが、冠は乗せてはいなかった。タウラはその姿に身軽な印象を受けた。白髪が混じってきているが顔は艶もあり若々しい。
「おまえがいるから安心して呼べるのだ。それにすこし小腹が空いてな。人数分食糧をもらってきた。食べるか?」
悪びれもせずに女性剣士にパンを差し出した。
「けっこうです。食事より会議が優先です」
「せっかく人数分もらってきたんだがなあ。はい、これはおまえたちの分だ。長旅で疲れただろう」
四人分のパンを持っていた。タウラとリーシャに渡し、まずは自分で食べてみせる。安心して食べていいよと示してくれていた。
「あ、ありがとうございます。いただきます」
そういえば、タウラも早朝にコルポト村を出発してから水ひとつ口にしていなかった。パンをちぎって食べる。焼きたてだった。
「おいしい」
「配給分をわけてもらってきた。貴重なパンなんだぞ」
「それを見ず知らずの者に渡す王も王です」
「会話は食事からはじまるのだよ、マルス」
王は女剣士のことをマルスと呼んだ。タウラとリーシャは同時にパンを喉に詰まらせた。
「おいおい、いくら腹が減っているからといってそんなにがっつかなくてもいいだろう」
一通りむせてから、リーシャが興奮した様子で尋ねる。
「マルスってもしかして、マルス・マルタン?」
「いかにもわたしのことだが」
女性剣士マルスが不可解な表情をしている。
「あなたが? 本当にほんとう?」
「疑り深いな。わたしが女であることが意外だったか」
言葉尻に攻撃的な匂いを感じた。リーシャが慌てて両手を振る。
「いえ、違うんです。そうではなくて、実物のマルス・マルタンに会えるなんて、考えたこともなかったから」
マルスは苦笑いした。
「まるで死人扱いだな。王、なぜこの者たちに謁見を許可したのですか」
「不思議な旅人たちだろう。報告を聞いて興味が湧いたんだ。マルスのことは伝説の人物だと思っているみたいだな」
「わたしはそれほど高尚な人物ではありません」
「謙遜するな。グラジオスに暮らす民の声が聞こえぬわけでもあるまい。それにだ、軍に興味のない人間なら剣士のことを知らないかもしれない。別の国の人間ならばなおさらだな」
王の目が怪しく光った。
「それともマルスの功績を知っている未来の人間かもしれない」
「未来ですって」
王の口から驚きの言葉が飛び出してきた。よもやリーシャと同じことを考えているとは。
「王様はわたしたちのことを信じてくれるんですか」
「可能性のひとつを話しただけだ。おまえたちが使える人間であれば信じよう。聞いていると思うが、この国は
それで食べさせたのか。抜け目のない人だ。
「この者たちに機会を与えるとおっしゃるのですか」
「身元が定かでもなくても機会は平等だ。それが我がグラジオスの方針だ。おまえにも覚えがあるだろう、マルス」
「それは」とマルスが口ごもる。
「故におまえにも見極めてもらおうと思ってね。軍隊長としての忌憚ない意見をきかせてくれ」
「そう言われましても」
王とマルスが会話をしている間、リーシャがこそりとタウラに耳打ちする。
「ねえ、マルスが女性って知ってた?」
いえ、まったく。てっきり男だと思っていました。
「さて旅人諸君、自分の有用性を証明できるかな」
王に問われ二人は身を正す。
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