第80話:敵将の思惑、牙を向く天才

 ベンチに泰然自若と腰掛ける金村博元かねむらひろもと御年66歳。高校野球に携わりかれこれ30年以上。その指導人生のほとんどを母校である常華明城高校に捧げてきた。


 甲子園に出場したこともある。教え子がプロに進んだこともある。だが春夏通して優勝したことはない。最高でベスト4。その時の教え子の息子が今、明秀高校の一年生エースとしてマウンドに立っている。その投手は本来ならば自分の元にくるはずだった。


 トップバッターに据えたのは一年生。まだまだ小粒だが選球眼は良く、三年かければある程度の選手になると見込んで経験を積ませるために起用した、


 一球目。記念すべき復帰戦の初球の入りは全てのピッチャーの原点である外角低めのストレート。


「ストラ―――ク!!」


 バシンッ、と乾いたミットの音がグラウンドに鳴り渡る。たったその一球で集まった野次馬たちが歓声を上げる。金村は舌打ちしたい気持ちを必死に堪える。


 球速はせいぜい135、6キロといったところか。夏の甲子園の試合映像と比べると落ちている。怪我明けのため力をセーブしていると予想がついた。これならストレートは十分に打ち返せる。


 二球目。同じくストレート。しかし今度は真ん中寄りで甘いコースだ。当然バッターはしめたと思ってバットを出す。だが結果は―――


「サァ―――ドッ!」


 キャッチャーから声が飛ぶ。詰まった打球はサード正面。エースともども逃げられた一年生ながら世代最高との呼び声高い小さな大打者が難なく捌いた。


「あれが今宮晴斗のツーシームですか……手元でかなり食い込んでくるみたいですね。厄介なボールですね」


 金村に声をかけたのは二年生でエースの国吉。彼もまたここ数年の中では才能に溢れた投手だ。コントロールは荒削りだが恵まれた体格から繰り出される直球の威力には目を見張るものがある。


「そのようだ。球速は抑えているがコントロールは夏から変わりないようだ。それに加えてカーブ、スライダー、チェンジアップにスプリットもある。一年生とは思えない完成度だな」


「羨ましいですね。ずば抜けた才能があるっているのいうのは……」


 国吉の悲痛のような呟きに金村が言葉を返すことはなかった。視線の先では二番に据わる左打者が鋭く外に逃げながら落ちるチェンジアップに空振り三振していた。そのボールは夏にはなかった変化球だ。


「今のまさか……スプリットチェンジか?」


 国吉が思わずつぶやいた。金村は腕を組み、駆け足でベンチに戻ってきた選手に声をかける。


「最後のボール。あれはなんだ?」


「……わかりません。外に逃げながら落ちていきました。スピードもそこそこあったのでチェンジアップではないと思います」


 平成の怪物が再起を賭けて修得したとも言われている新球。通常のフォークは人差し指と中指ではさみ、薬指、小指はボールに触れないように折りたたむが、スプリットチェンジの場合はこの二本の指をボールに添えて投げる。そうすることで左打者の外角へと逃げながら落ちていく。


 それがスプリットチェンジという変化球だ。


「そうか……わかった」


 金村の表情が強張るが、その心中は愉悦。これほどの投手を今からでも手に入れることが出来れば甲子園制覇も夢ではない。


「本当に……才能がある奴は羨ましいですね」


 ため息をつく国吉。試合はまだ始まったばかり。それもまだ数球しか投げていないのに卑下することはないと、金村は鼓舞する言葉をかける。


「何を言うか。お前だって十分に才能はある。それこそプロで通用するだけのな。自信を持て、国吉。お前の球は決まれば・・・・早々打てるもんじゃない。経験の浅い新チームなら問題ない。堂々と投げてこい」


 眩しすぎる太陽の光を浴びると焼け焦げてしまう場合がある。それは高い能力を有している国吉とて例外ではない。これから控える秋季大会を前に心が折れては困る。彼はエースなのだから。


「……ありがとうございます、監督。でも俺は大丈夫ですよ」


 二年生の三番打者はカーブをひっかけてショートゴロに打ち取られた。攻守交替。国吉はグラブをはめてマウンドに向かう。


「練習試合とか関係なく、全力で抑えます。この試合は……絶対に負けられないんです」


 ともすれば夏の予選大会と同等かそれ以上に気合の入った声音と目つきに、金村は監督として感嘆した。この試合に賭ける国吉の思いはそれほどだったのか。


「気負うな。普段通りやれば十分抑えられる。ただ三番バッターの坂本だけは気を付けろ。あれだけはまともに勝負する必要はない」


「わかりました。監督。今日の俺は誰になんと言われようとも、勝つためなら何でもするつもりです」


 最後にそう言い残してマウンドに向かう国吉の背を見送る。これだけの気合を毎試合で見せてくれたらセンバツ出場も狙える。


 だが、この試合における金村の真意は別にある。


「今宮晴斗……お前を手に入れるためなら私は何でもするぞ」


 この試合そのものが稀代の投手を取り戻すために仕組んだこと。本当なら来るはずだった今宮晴斗の両親が来ていないのが気がかりではあるが手段は選ばない。一度逃して諦めていた大物を取り戻すチャンスは今日を逃せば二度と来ないのだから。


「私の経歴に花を添えるためにも……今宮晴斗は必要不可欠。必ず手に入れて見せる。たとえ一年間出場できないとしても最後の夏に優勝出来ればそれでいい」


 どこまでも身勝手で自分本位の老将の欲望。


 しかし、それを打ち砕くのはグラウンドで戦う球児たち。


 気合に溢れたエース国吉の前に、明秀高校ナインが牙を向く。その筆頭は今宮晴斗の親友の天才打者。その瞳は静かな怒りを灯して、打席に立つ時を待っていた。


「……晴斗を苦しめた落とし前はつけてもらう」


 明秀高校の打の天才が、闘志に燃えていた。

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