第64話:幼馴染の妹の涙
「早紀さん、この子はあいつの……恵里菜の妹の
とりあえず入り口近くで騒ぐのはまずいと思った俺は、二人を連れて少し落ち着ける裏門まで移動していた。人目につくところで早紀さんのような綺麗な女性と、ナオちゃんのような可愛い女子が修羅場のような様相を呈していたら大いに目立つ。というか実際奇異の視線を向けられた。
「えっ? もしかしてその子が前に話していた、あの女の妹ちゃん? へぇ……全然似てないね! しかもすごく可愛いじゃない!」
早紀さんに宿っていた険悪な空気はどこかに吹き飛び、今では可愛いペットをお出迎えできたことを喜ぶように目をキラキラとさせてナオちゃんに迫っていた。その様子に恐怖を覚えたのか、ナオちゃんは俺の背に隠れて震えている。
「ごめんね、ナオちゃん。この人は俺が住んでいる、つまり里美叔母さんの家の隣に住んでいる女子大生の
「じゃぁ、この人が……お姉ちゃんが話していた、
わずかに顔をのぞかせて、恐る恐ると言った体で早紀さんを見るナオちゃん。俺はそんな彼女の頭に手を置いた。それにしてもあの女は言うに事欠いて早紀さんが俺のことを誑かしているとか話したのか。先んじて電話をしておいて本当に良かった。
「嘘じゃないよ。あの時。
それに……本当なら君とももう会うつもりはなかったんだよ? でも早紀さんがすぐに全部断ち切ろうとするのは心が辛くなる、君との縁だけでも繋いでおいてもいいんじゃないかって言ってくれたんだ。だから今、こうしてナオちゃんと一緒に居るんだ」
「そ、そうだったんですね……」
「だから、俺は早紀さんに感謝しているんだ。ナオちゃんとこうしてまた会えるのも、この人のおかげだからね。この選択は、間違いじゃなかったと思ってる」
「晴斗さん……」
ナオちゃんは意を決して俺の背後から出た。そして背筋をピンと伸ばして早紀さんとしっかりと向かい合う。その姿に早紀さんも感じると所があったのか、彼女に倣って姿勢を正した。
「飯島さん、ごめんなさい! 私の姉がご迷惑をおかけしました! それと……ありがとうございます! 晴斗さんと会えるようにしてくれて! 本当に…………ありがとうございます」
涙声で深々と頭を下げて謝罪と感謝の言葉を告げた。突然のことに驚き、呆気にとられた早紀さんは俺の方を見た。彼女の気持ちに応えてあげて欲しい、そんな意味を視線に込めながら一つ頷きを返した。困ったなぁと頬をポリポリと掻きながら、早紀さんは一歩前に出て距離を詰めた。
「奈緒美ちゃん、だったけ? フフッ。顔を上げて。あなたが謝ることはないわ。何もしていないんだからね。謝るのならあなたのお姉さんの方。それも私ではなくて晴斗を傷つけたことでね。まぁ晴斗も、謝られるくらいなら会いたくないって言うのが本音でしょうけど」
早紀さんの発言に一瞬だけ棘が混じる。それを聞いてびっくと肩を震わせる。
「……晴斗から、ほんの少しだけどあなたのことは聞いたわ。昔キャッチボールをしたんだって? 晴斗、その時のことを話すととても楽しそうにしていたわ。その時は本当に、あなたのことが羨ましいと思ったなぁ」
「は、晴斗さんが……そんな風に話していたんですか?」
「私が思わず嫉妬しちゃうくらいに可愛い笑顔で話してくれたわ。だから私はね、あなたとの思い出まで消す必要はないって思って晴斗にアドバイスしただけ。そして、あなたとまた会うことを選んだのは他の誰でもない、晴斗の意思。ありがとう、はいらないわ」
「飯島さぁん……」
その瞳には今にも溢れそうになる大粒の涙が光る。もう、と苦笑いしながら早紀さんはそんな可愛い中学生を優しく抱きしめた。
「
「はい! よろしくお願いします! 早紀さん」
「うん! やっぱりナオちゃんは笑った顔が断然可愛い! あぁ……このままお持ち帰りしたい……晴斗、ダメ?」
ぎゅっと抱きしめながら俺に話を振ってくる早紀さん。先ほどまでの重苦しい空気が取り払われ、日差しが見えて爽やかな秋晴れになったのに、なぜそれを自ら壊すような発言を言うのか。
「……俺は時々あなたのことがわからなくなりますが、ダメです。ダメに決まっているでしょう」
「えぇーどうしてよぉ!? こんな可愛い子を手放すなんて私にはできない! 晴斗の薄情者!」
「今日はまた一段と変ですね…………いいんですか、ナオちゃんがいたら、気軽に俺のことをからかうことが出来なくなりますよ?」
「………………それは、まずいわね。ナオちゃんには刺激が強すぎる」
流れる沈黙はすぅっとナオちゃんを解放したことで終了した。だが沈黙の次にやってくるのは当然発言だ。それも恥ずかしさと若干の怒りが込められている。
「は、晴斗さん!? どどど……どういうことですか!? も、もしかして二人はもうそういう関係なんですか!?」
「フフッ。ナオちゃんにはまだちょっとだけ、刺激が強いかな? なんて言っても私と晴斗は…………涙を見せあって、慰め合った関係、だもんね」
ふざけた口調から一転して、切なそうな笑いと共に早紀さんは言った。だがそれも束の間のことで、すぐに背後に回って飛びついてきた。
「ほらぁ。晴斗からも何か言ってあげなよぉ? そもそもこの爆弾を投下したのは晴斗だよ? 責任取って処理しないとダメだと私は思うけどなぁ?」
「わかってますよ。俺が悪かったです。だからまずはそんなに引っ付かないでください。ごめんね、ナオちゃん。別に早紀さんに誘惑とされているわけじゃないから。安心してね? ってやめて下さい! 頬をプニプニしないでください!」
「ほらほら逃げるなよぉー私と晴斗の仲じゃないかぁーって、ナオちゃん、どうしたの!?」
「へっ……? あ、あれ? 私、どうしたのか? なんで……涙が溢れちゃったんだろう……へへ。ご、ごめんなさい。すぐに、すぐに止まると思うので……」
収まっていたはずの涙が突然湧き上がり、ポロポロと流れ落ちる。慌てて早紀さんが駆け寄って再び抱きしめて優しく背中をさする。
どうしてナオちゃんが涙を流したのか。俺には確かではないが心当たりがあった。
早紀さんと俺を見て。在りし日のこと。もう戻らない、楽しかったあの日々を、きっと彼女は幻視したのだろう。俺とあいつが仲睦まじくじゃれ合い、そこに割って入ってわいわい三人で楽しく、仲良く過ごした幼少時代。
それがずっと続くと思っていた。中学を卒業して離れ離れになったとしても。きっと俺達は変わらずやっていける。
だがそれは脆く儚く砕け散った。壊してしまったのはあいつか、それとも俺か。確かなことは、一度割れたガラスは二度と元には戻らないということ。ならせめて、残ったかけらは拾い集めよう。
早紀さんと俺とで泣きじゃくるナオちゃんを抱きしめる。その小さく震える背中が落ち着くまで、背中を、頭を、ただただ優しく撫で続けた。
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