第51話:あなたに受け取ってほしいものがあります

「俺も……自分の夢を叶えるために、明秀高校を選びました。地元の、甲子園に何度も出場している強豪校からも声はありました。でも……俺は工藤監督の考え方や指導方法、怪我をしない強い身体作りの方法とか、色々聞いて、悩んでここを選んだんです」


 晴斗君は私のことを撫でながら、話を続ける。


「親には当然反対されました。あの女にもね。どうして地元に進学しないんだ。高校生のうちから一人暮らしなんて許さない。野球はどこでも出来るだろう。あそこの高校の指導者は立派な方だから安心してしなさい。とかなんとかね。

 その強豪校の監督、親父の指導者でもあったみたいで。だから俺を引き抜きたかったんだと思います。でもその人、すごく前時代的な人で……潰されるなと思いました」


「里美さんだけは俺の考えを認めてくれて、褒めてくれたんです。自分で考えて、夢を叶えるために道を選択するのは簡単に出来ることじゃないって。

 それから俺の両親を説得して、住む場所を与えたくれたんです。そして頑張れって言ってくれたんです。親は勝手にしろって言うだけでしたけど……里美さんだけは応援してくれたんです」


 晴斗君の声に、涙が混じる。


「その言葉を、ある意味支えにしながら……俺は練習に打ち込みました。頑張って結果を出せば認めてくれる。親も、あいつも、きっとわかってくれる……そう思っていたんですけど……結果は違いました。みんな、俺をちゃんと見ていなかった」


 すでに私は落ち着いて、晴斗君の瞳に涙が浮かんでいた。


「インタビューで、親が言ってました。『監督が何度も足を運んで熱心に指導環境、野球だけでない、人間としても成長させると話をしてくれました。それ感銘を受けて息子を明秀高校に行かせましたが、正解でした』『ケガをしたのは残念ですが、春、また頑張ってくれると思います』とかね。信じられますか?

 俺がこっちに来てから親父ですら野球のことを聞いてこなかったのに、いきなり連絡が来ました。夏休みくらい帰ってこいって。それが何を意味するかなんて、子供の俺にだってすぐにわかります」


 きっと、晴斗君のご両親は晴斗君を道具に使うつもりなのだろう。それこそ、よくわからないけど、今宮晴斗を応援する会とか結成して、お金を集めたりするのかもしれない。それをどう使うか、何に使うかわからないけど、よくないことだけは確かだと思う。


「親も金が絡むとここまで変わるのかと驚きました。ただ、俺への取材は監督と学校の配慮もあって禁止になっています。家に押しかけに来ることもありません。そこが救いですね」


 自嘲気味に晴斗君は笑う。


「そんな時にあの女が来ました。ほんと、どうしてあんな考えになったのか不思議で仕方ありません。つい数か月前までは考えられない程の変貌ぶりでした……」


 幼い頃から一緒にいた幼馴染のあまりの変わりように、いまだに理解がおいついていないのだろう。無理もない。


「あいつも結局親と同じです。を見ていない。俺がもたらすかもしれない金や、それで得られるモノにしか興味がないんです。誰も、俺を見ようとしてくれないんです……」


 そんなことを晴斗君が抱えているなんて全く気付かなかった。いや、きっと兆候はあったのだ。彼が話さないだけで。ただ、甲子園初先発で完全試合達成直前までいき、ノーヒットノーランを達成したことで疑問が確信に変わったのだ。


 私は彼の手を解かないように気を付けながら、立ち上がり、ベッドに腰掛けた。


 晴斗君の手は震えていた。


「でも……でも、里美叔母さんと、早紀さん。二人は違ったんです。ちゃんと俺を見て、応援してくれた。頑張れって、負けるなって、応援してくれたんです。そういうことなら相馬先輩もそうですけどね」


 また、力なく晴斗君は笑う。気付けば、私が晴斗君を抱きしめていた。彼は涙を必死にこらえながら話を続ける。


「もう頑張れない、そう思った時にはいつもあなたの……早紀さんの声が聞こえるんです。それがすごく嬉しかった。ノーヒットノーランできたのだって、早紀さんとの約束があったからなんですよ?」


「私との……約束?」


「やっぱり忘れていたんですね……ひどいなぁ。ちょっと待っててください」


 そういうと彼は私の手から離れて片足歩きで机の前に移動して、引き出しから丁寧に包装された小さな箱を取り出した。


「随分と、遅くなってしまいましたが……早紀さん、誕生日おめでとうございます。俺からの、せめてもの気持ちです。受け取ってくれますか?」


 それを、私が受け取らないという選択肢があるはずなかった。


「うん。もちろんだよ。ありがとう、晴斗君。ここで開けても……いいかな?」


「えぇ。いいですよ」


 包みを破かないように、丁寧に剥がしていく。包まれていたのはアクリルケース。その中には公式球。日付と対戦相手、そして、晴斗君のサインが記されていた。


「デートした日、約束しましたよね? 勝ったら、記念のボールをプレゼントするって。だから俺、頑張ったんですよ? それこそ痛みに耐えてね」


 晴斗君はおどけるように言う。


「でも、そうはいっても本当はもっと違う物がいいと思ったんですけど、あいにくどこかに買いに行ける状態じゃないので今年・・はこれで―――って、早紀さん? どうしてまた泣いているんですか? もしかて―――」


「……ううん。違うの。そうじゃないの。晴斗君が、晴斗君が私のために頑張ってくれて、初めての、記念のボールを私にくれたのが、すごく嬉しくて……ヘヘ。こんな気持ちのこもったプレゼント、初めて。ありがとう、晴斗君」


 私はそれを胸に抱く。仕事柄、男から色んなプレゼントは渡されてきた。だがそこに思いはなく、ただ私の気を引くため、私を自分の女として侍らせるための手段としか思えなかった。それが悪いことだと思わないけれど、どんなに高価な物より、晴斗君が、大好きな人が私のために頑張ってくれたこのボールの方が私には嬉しい贈り物だ。


「だから早紀さん。どうか……俺の隣に立つ資格がないなんて言わないでください。俺は、あなたがいるから頑張れるんですから」


「…………晴斗君」


「あなたにどんな秘密があっても、それがどんなことであっても、俺があなたにそばにいてほしいと思ったら、そんなことは関係ない。そうでしょう?」


 どうして彼は私が言ってほしい言葉を、こうも自然と口にしてくれるのだろう。


「ねぇ……晴斗・・。キミ、本当に高校一年生? ちょっとさっきから台詞がキザ過ぎない?」


 私は目元の涙を拭いながら笑って言うと、驚いたような表情を浮かべる晴斗君。


「ふ、普通じゃないんですか……? 俺、おかしなこと言ってますか?」


「あぁ……天然ジゴロか。これは、この先厄介かも……これ以上ライバルは増えてほしくないなぁ……」


「?? 早紀さん、何の話ですか?」


「ううん。なんでもない。晴斗・・は気にしないで。これは私の問題だから。そんなことより、ありがとね」


「……え?」


「いつか必ず、気持ちの整理がついたら、晴斗に全部話すから。それでも晴斗が私を選んでくれたら……フフッ、たくさん、たくさん、お姉さんが可愛がってあげるからね?」


 そして私は晴斗に再び抱き着いて、その柔らかい頬にキスをする。これが今できる精一杯のお返しだ。


「―――さ、早紀さん!?」


「この先は……お・あ・ず・け。私を選んでくれたら、もっとイイコトしてあげるよ? フフッ、なんてね。さっ、まだ甲子園やっているんじゃないかな? 最後くらい観てあげないとお友達がかわいそうだよ!」


 私は晴斗の手を取って、一緒にリビングへ向かう。もう私達に涙はない。



『試合終了――――――! 夏の甲子園決勝戦は、5対0で石川の星蘭高校が制しましたぁぁぁぁぁ!! これで星蘭高校は春夏連覇達成! エースの高梨君は――――』



「ハハハ、試合、終わっちゃいましたね。友哉に勝っても負けても試合の感想聞かせてくれって言われてたんだけど……ヤバイな」


「そ、そうだったんだ……あっ! 悠岐君に電話して聞いてみたら? なんなら晴斗のスマホから私が電話しようか? あの子、晴斗のこととなるとすごく可愛くなるからいじめたくなったんだよねぇ――だめ?」


「……ダメです。ちょっと待っててください」


「もう! 晴斗の意地悪……構ってくれないと……てぃ!」


 晴斗が電話をかけて繋がるのを待っているその無防備な背中に私は抱き着いて左耳に息を吹きかける。可愛く声を上げる晴斗。そして電話口から聞こえてくるのは同級生の天才バッターの声。


『―――おい、なんだ今の声は!? そこに誰かいるのか……ハッ! もしかてあの人か!? 飯島さんがいるんだな!? そうなんだな!?』


「そうだよぉ―――久しぶりだね、坂本君! 元気してた?」


 ひょいと晴斗の手からスマホを奪う。あっ、と声を出してすぐに取り返そうとしてくるが、首筋にキスを落として黙らせる。顔を真っ赤にさせる晴斗がすごく可愛い。


『お、お前…………なんでお前が晴斗の家にいるんだよ!? おかしいだろう!? ぼ、僕の晴斗に変なことしてないだろうな!?』


「フフッ。いつから晴斗・・は坂本君のモノになったのかなぁ? おかしいなぁ?」


『は、晴斗・・だって!? お、おい! それはどういうことだよぉ! なんで呼び方変わっているんだよぉ!』


「フフッ。それはね……内緒、かな。気になるなら、晴斗に聞いたら? はい、どうぞ?」


 そこでスマホを彼に返す。まったくもう、とむくれる彼もとても可愛かった。そして始まる言い訳タイム。そのやりとりを楽しく眺めながらテレビに目を移すと、この試合のハイライトが流れていた。最低限、この情報と一球速報を見ればなんとかなるんじゃないか、と思ったが口にしなかった。


 晴斗は必死に言い分けを続けている。電話しながらぺこぺこと頭を下げているがおかしくてつい笑みがこぼれる。


「―――本当にありがとね、晴斗。大好きだよ」


 私の呟きは、まだ彼には届いていない。いつかちゃんと、全部話したときに、この思いを彼に伝えよう。


 そう決意した、ある夏の一日。

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