第42話:気付いているのは二人だけ【副会長:清澄哀】

『さぁ、この試合も残すはあと1回! 9回の攻防を残すのみとなりました! 現在得点は0 対 3で明秀高校がリードして向かえる最終回! 綺麗に0が並んだスコアボード。ランナーを一人も許さずここまで来ました一年生ピッチャー今宮君が、この回も当然! マウンドに向かいます!』


 ベンチからゆっくりと姿を現す晴斗。だが今までなら立ち止まることなくマウンドに向かっていたがグランドに出たところで一度立ち止まった。そして、決意を示すように右拳を高々と天に掲げた。それに込められた真意とは。


『今、ゆっくりとマウンドに向かいます。そしてボールを手にする前に一度しゃがんでプレートに手を置きました』


 その姿はまるで祈りを捧げているようで。晴斗の立っている空間だけが時間から切り離されたように静寂が包み込んでいる。やがてゆっくりとボールを手にして立ち上がった。


『ここまで一年生とは思えない素晴らしいピッチングを披露してきた今宮君ですが、このままあと三人、抑えてしまうんでしょうか!?』


 晴斗の投球動作は試合開始から変わりはない。流れるようにスムーズ。リリースの瞬間に指先に神経と力を集中して放たれるボールの勢いは投球練習とは言えノビがあって美しい線を描いている。


 誰もが信じて疑わない。甲子園至上初となる完全試合の達成を。グランドにいる一人の男を除いては。


「晴斗…………」


 明秀高校、一年。サード、坂本悠岐。晴斗と親友の彼だけだ。この時点で不安を抱いていたのは。



 *****



 大勢の観客の期待とたった一人の不安がある中、審判が最終回の始まりをコールした。


 7番打者は右バッター。ここまでの2打席はショートゴロとファーストゴロ。どちらも打席も変化球にタイミングを崩されての凡打。速度と球威のあるストレートに打ち負けぬよう、バットを短く持ち、予めテイクバックをして振り遅れないように構えを変えている。当然、バッテリーがそれに気付かないはずがない。



『今宮君。第一球を―――投げました! ストラ――――ク! 初球の入りはカーブからでした。解説の吉瀬きちせさん、この入りはどう見ますか?』


『お見事ですね。ストレート狙いに絞ってきているところをしっかり読んで緩い変化球から入りました。これでバッターは何を狙うのかまた考えなければいけなくなりました。上手い入りです』



 解説が言うように、明秀バッテリーは打者心理を逆手に取るのが非常に上手い。これを主導しているのがキャッチャーの日下部だが、彼の要求にしっかりと投げ切ることが出来る晴斗の技量もまたずば抜けていると言えよう。



『二球目を―――投げました! おぉっと! 今度は一転してインコース低めにズバッと決まりました! これで追い込み2ストライクです!』



『カーブからのあえて狙っているだろうストレートを厳しいコースに投げ込みましたね。完全に打者は意表を突かれて手が出ませんでしたね』



 当然だ。球速は9回に入っているにもかかわらず143キロを計測している。カーブを見せられた後にひざ元に投げられたら手が出せないのも当然。仮に振りにいってもファールになるかサードゴロにしかならない。そんな一球だ。



『簡単に追い込んで三球目は―――落としたぁぁぁぁぁぁ! ここに来てスプリット・・・・・だ! 無情にもバットは空を切り三振! これで1アウトです!』


『誰も予想していなかったスプリット。この試合でも4番の下水流君にしか投げていないこのボールをここで使ってくるとは……素晴らしい』



「……ここでスプリット?」


 違和感を覚える。画面の向こうに移る晴斗は笑顔を浮かべて人差し指を立てている。表情も引き締まっているし油断は見られない。だがどうしても、彼が選択した最後のボールに私は納得がいかなかった。


「決め球のスプリットは下位打線に使うようなボールじゃない。となると、試合を早く終わらせたいということ……?」


 考えを巡らせるが思い当たる節は一つしかない。前の回のアクシデント。4番バッターが打ち返した打球が右足に当たったあれしかない。


「晴斗……あなた、怪我しているの?」


 私―――清澄哀きよすみあい―――はマウンド上で変わらず振舞う後輩の姿を注視した。



『さぁ残るアウトはあと二つ! このまま今宮君が記録を打ち立てるのか!? それとも敦賀清和が意地を見せるのか!? おおっと、ここで敦賀清和ベンチ動きます。代打を起用するようです』



 代打で出てきたのはなんと一年生の左バッターだ。名前は―――辰巳恋たつみれんという選手だ。彼は確か中学生の頃リトルリーグで晴斗と何度か対戦していたはずだ。まさかここで起用するとは。



『この場面の代打にまさかの一年生の辰巳君です。これには大久保監督のどのような意図があると思いますか?』


『さぁ……わかりませんね。ただ足が速い選手と聞いていますので、当てさえすれば内野安打をとれると考えたのではないでしょうか?』



 さすがに中学のシニアリーグまで調べていないか。無理もない。私のように晴斗の成績を遡って調べている女など早々いまい。私は好きな相手のことは何でも知っていなければ気が済まないタイプであり、独占欲も人並み以上に強いと自覚している。


 それはさておき。この場面での彼の起用は完全に対晴斗仕様と見ていいだろう。マウンドで日下部と打ち合わせる晴斗もおそらく相手ベンチの狙いに気付いている。


「ここは正念場だぞ、晴斗……負けるな」


 私はテレビの前で応援することしかできない。本当なら現地に行きたかったのだが、家の都合でどうしても行けなかった。父が主催するパーティなどになぜ私がドレスを着飾って参加しなければいけないのか。うんざりだ。そんなことなら晴斗のことを応援したかった。


「スタンドには美咲と例の大学生……くそっ。羨ましい!」


 私は思わずダムダムとはしたなく床を蹴った。幼馴染の涼子からスマホに送られてきた写真。そこにはグラウンドに向けて声をかける美咲と女子大生の姿があった。


「マネージャーの美咲さんはまだしも、まさかあの女子大生が甲子園まで駆け付けているとは……完全に出遅れているな」


 あの女子大生のことは調べさせた。名前も知った。何をしているのも知った。だが、その理由を知って、私は卑怯な手を使って調べたことを後悔した。


「あなたは、夢を叶えようと努力している晴斗に自分を重ねたのだな。そして、きっと彼の純粋な優しさに心惹かれたのだろう……フフフッ、一度あなたとはゆっくり話がしてみたいな、飯島早紀さん」



『ここに来ての一年生対決。カウントは初球のストレートを打ちにいってファール。二球はカーブが外れて、現在1ボール1ストライク。三球目……投げました!!』



 打球はサードに飛んだ。速いがサードを守る坂本の正面の当たり。打撃だけではなく守備にも定評がある坂本なら何も難しくない当りだ。


 だが、坂本はボールを弾いた。


 転々と転がる白球。慌てて拾って投げようとするが、すでに辰巳は一塁ベースを駆け抜けた後だった。



 どよめきと歓声が入り混じる。


 バックスクリーンに灯るランプは―――E。エラー。



『ま、まさかまさかのサードの坂本君のエラーが記録されました! これで今宮君の、甲子園至上初となる完全試合は夢と散りました!』



 坂本に非難の声が寄せられるだろう。だが、私は彼を責めることはできない。何故なら、彼もまた―――おそらくグランドではただ一人―――晴斗の不調に気付いている人間だからだ。明らかに集中力を欠いていた。出足が悪すぎた。


「これで初めてのランナーか……正念場だぞ、晴斗。頑張れ」


 私はその場にいれないことを悔やみながら、しかし思いを画面の向こうで奮闘している愛する男に念を送る。


 9回裏1アウト。ランナー一塁。


 結末はすぐそこまで来ている。

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