第10話:二人だけの呼び方【マネージャー:相馬美咲】

 今日、俺と相馬先輩が来ているのは大型総合ショッピングモール施設だ。電車に揺られること三十分弱。郊外の工場跡地に建てられたこの建物には、ゲームセンターから映画館、フードコートに各種人気のショップが併設されており、老若男女問わず毎日のように人で賑わっている。特に週末ともなればその数は平日とは比べものにならない。


「それにしても混んでますね。さすが週末ですね」


「……あぁ。みんなかっこよかったなぁ。最高だったなぁ……ゲストも、あぁ…最高。もう一回観たい」


 隣を歩く相馬先輩は映画が終わってからというものずっとこんな感じだ。ぽわぽわとした表情で上の空で歩いていた。危なっかしいので相馬先輩の小さな手を握り、とりあえず落ち着けるフードコートを目指していた。それにしても人が多い。


「相馬先輩。戻ってきてください、相馬先輩! いい加減危ないですよ?」


「……っへ? あっ、ご、ごめんね! あまりに映画が最高すぎてトリップしたみたい。も、もしかして危ないからずっと手を繋いで歩いてくれたの?」


「えぇ。申し訳ないとは思いましたがずっと上の空でしたから。そのまま歩いたら危ないと思ったので。嫌でしたよね? ごめんなさい」


 立ち止まり、ようやく相馬先輩が正気に戻ったところで繋いでいた手を離そうとしたら、そうはさせまいと彼女ががばっと両手で俺の手を握り返してきた。


「だ、だめだよ! こ、こんな人混みで手を離したら、私直ぐに迷子になっちゃう自信があるよ! ううん、絶対迷子になる! だから手を繋いだままで……ダメかな?」


「……そうですね。先輩は小さいから手を繋いでいないとすぐにどっか行っちゃいそうですもんね。俺でよければ、今日一日手を繋いでいましょうか?」


 いたずら半分で余裕のある男であると演出してみる。


 適度な身体接触は効果的なのは早紀さんの一件で把握済み。だが頭を撫でることは外では頻繁にはできない上にやるのもやられるのも恥ずかしいだろう。なら一番いいのは手を繋ぐことだ。恋人ではない女性と手を繋ぐのは憚られるかもしれないが、今日ははぐれないためという名目がある。まぁ断られるだろうなと思っていると、


「―――う、うん! そうしよう! ずっと手を繋いでいようね! 離したりしたら、怒るからね?」


 まさか食い気味で、しかも指まで絡めてきた。これには俺の方が面食らってしまった。しかし自分から仕掛けておいて相馬先輩の顔は真っ赤になっていた。


「ね、ねぇ……今宮君。二人の時だけ。ううん。今日だけでいいから、私のことを名前で呼んでほしいな。だめ?」


 この人は俺を殺す気なのだろうか。下手をすれば中学生にも見間違われるほどの童顔だがこの破壊力はまさに対城兵器だ。どんなに強固な壁を作り上げても一撃でいともたやすくぶち壊す。それが相馬先輩の潤んだ瞳の上目遣いだ。庇護欲をそそられる。


「わ、わかりました。なら、美咲先輩と呼ばせて―――」


「だめ! いや、だめじゃないんだけど、先輩は余計だよ!」


「……なら、美咲さんと。これでいいですか?」


「うん! うん! 最高だよ! ありがとう、はる君・・・!」


 とびきりの笑顔はまぶしくて、思わず顔をそらしてしまった。それに呼び方も『今宮君』から『はる君』に変わっていた。俺のことを『はる』と呼ぶのは母くらいだから美咲さんのような女性にそう呼ばれて驚き、気恥ずかしくなった。


「どうしたの、はる君? 顔真っ赤だよ?」


「き、気のせいですよ。み、美咲さんこそ、顔真っ赤ですよ? やせ我慢しているんじゃないですか?」


 チークのせいだよ、とは言い訳ができないくらいに美咲さんの頬は熟したリンゴのように真っ赤になっている。美咲さんはそれをごまかすように俯き、しかし手だけはぎゅっと握り締めて歩き出した。


「もう、はる君のばか。言っておくけど私の方がはる君よりお姉さんなんだよ? からかったりしたらだめなんだよ?」


「ハハハ。それならもう少しお姉さんらしくしてくださいね? ぼーと歩いていたら危ないですよ?」


「んん―――はる君の意地悪!」


 ぷい、と明後日の方向を見る美咲さん。俺は苦笑いをしてごめんなさいの意味を込めて彼女の頭をぽんぽんとした。


「私はお姉さんなの! 妹みたいに扱わないでって言ってるのに! はる君の意地悪!」


 しかし言っていることと彼女の表情は反比例していた。怒っている様子はなく、このやりとりをどこか楽しんでいる節さえあった。普段は家では姉として、部活ではマネージャーとして我慢しているのだろうか。それなら、今日くらいは甘えてもらうのもいいかもしれない。俺はそう思いながら美咲さんとの時間を過ごした。

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