善悪の向こう側(3)
「恨みを忘れられないと思ったのかい?」
「うん。パパの理念は理解できるけど、ケイオスランデルをやるとこまではちょっと無茶な感じがしたの。まだ燻ぶっているんじゃないかと思ったし」
若い頃から今のように冷静沈着であると考えるのは無理があるにしても、考えなしに行動する人でもない。要因とすればそれしか思い浮かばなかった。
「恨みがなかったと言えば嘘になるね。彼女への想いは間違いなく本物だった」
よどみない言葉が証明している。。
「でも、そんなものはすぐにどうでもよくなったよ。僕が経験した理不尽は、この国では数多ある事例の一つに過ぎないと思い知らされた。君もその一人だろう?」
「あたしも背中を押しちゃった?」
「それも本当だね。結果として下した判断は自分のもの。嘘偽りなく、誰かがやらねばならない事と思った。僕がやらなくても誰かがやるなんて欠片も思わなかった」
父らしいと思う。理念を持っていても大声で訴えるだけでは意味がない。躊躇いなく口にできたとしても圧殺されるのがオチ。それがこの国の実情だと彼女もよく知っている。
だったらジェイルは行動するだろう。それも緻密な計算のうえで抜かりなく事を進める。例え本人が悪事だと思っていようとも。そんな人だ。
(悪の先にある善き未来)
それを彼は目指しているのだろうか? それも違うような気がする。単なる過激思想だと気付かないほど愚かな人ではない。
(善悪の向こう側にパパは何を見ているのだろう?)
「ライナックを排除した先に善き未来があるの?」
ジェイルは思いがけない事を言われたという面持ち。
「善き未来?」
「そうなるって信じてる?」
「率直に言うと『信じたい』かな?」
やはり、その先は希望でしかない。
「あたしたちが作っていってほしいって思ってるみたいだし。パパは導いてはくれないの?」
「難しいね。未来を生み出すのは人ひとりの力で何とかなるものではないと思っているから。経験を活かしてくれないと」
「今の時代を生きた人たちが?」
正しいと信じて、現実から目を逸らしていた人が。怯えながらも豊かさを享受した人が。苦しみの中に何も見いだせなかった人が。
「正直、誘惑は多いと思う」
父は心の問題だと言わんばかりに胸を指さす。
「一つの時代が終わるということは、一つ空席ができるということ。そこに収まった人間が省みることをしない人であれば善き未来など夢のまた夢だよね?」
「立場が変わって同じ事が繰り返されるだけだし」
「でも、強烈な苦難と無残な災禍を知っている人はとても無視はできない。もう二度とあんな目に遭うのは嫌だって思ってくれる筈なんだよ」
(あ、これがパパの真意だ! 『人よ、
強烈な悪を実感させる為に最恐の魔王を演じる。悪の向こう側を皆に切望させたいが為に。
(誰かがやらなきゃなんて生易しいものじゃなかったし。そこまで覚悟できるのは理念だけで戦えるパパみたいな人じゃなきゃ無理)
そこら中に居るとは思えない。
(それなら余計に一人で駆け抜けさせたりしないし!)
ニーチェは改めて決意を胸にする。
「それだったらパパは、みんなが頑張って善き未来を作ろうとするのを見守る義務があると思うし」
ジェイルの顔に浮かんだのは苦笑いだった。
「許されるならそう在りたいね。でも、簡単に許される罪じゃないだろう? 君たちが頑張っている頃に僕はどこにいるんだろうね?」
「裁く権利がある人なんていないし。少なくともこのゼムナにはいないもん」
「自分だけが特別だなんて思いたくないんだよ。僕は罪が罪として裁かれる未来を望んでいるんだから」
(そう言われると否定しにくいし。でも、パパは裁かれるべきじゃないと思う)
が、そう口にするのが躊躇われる。彼女が納得するしかない理屈が返ってきた時、反論できる自信がない。
(悪も罪も何もかもこのヘルメットギアに押し付けて捨て去ってしまえばいい。いつの時代も象徴ってそんなふうに扱われてきたし)
尊ばれる時代があれば打ち壊される時代が来る時もある。それが象徴だと思っている。
(納得させる必要なんてない。あたしはこの感情をパパにぶつける。いつも善悪の向こう側にあるのが愛情だっていわれてる)
常識では語り切れない感情。それがニーチェの寄る辺だ。
(世間的には善き行いが愛情を冷めさせる事もあれば、普通は悪事とされる行いに愛情を感じる事もある。あたしが善悪を超越してパパを引きずってでも未来に連れていくし)
「裁かれたいとか言うのは変な話だし」
印象付けたいと挑戦的に見つめる。
「自分で自分を裁くっていうのも変でしょ? パパを裁くのはあたしたち。だって未来を押し付ける気なんだもん」
「なるほど。道理だ」
「どんな判決が下るか楽しみにしているといいし」
(ドゥカルが言ってるみたいに世界を変革させる力があたしにあるんなら、誰かを死なせないようにするなんて簡単なお仕事の筈だし)
頭の上まで持ち上げたヘルメットギアを振り回しながら彼女は思う。
ニーチェの軽口だと思ったか、ジェイルは失笑していた。
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