魔王顕現(8)
目を覚ませば隣にエルヴィーラの姿は無い。朝の光の中、身を起こしたジェイルはそこに体温と残り香を感じる。が、すぐに空腹を思い出させる香りのほうが鼻をくすぐった。
リビングに行くとキッチンに彼女が立っている。新婚家庭のようなその光景に彼は感動を覚え胸が温かくなる。
(ルヴィを守らなければ。絶対に幸せにしなくてはいけません)
そう心に誓う。
「今日の勤務が終わったら家に伺います。ご両親にあなたとの結婚の許しをもらいますから」
向かい合って座ると真摯に告げる。
「父も母も喜んでくれると思う。でも、あなたはそれでいいの?」
「願ってもない事です」
「嬉しい。ありがとう。どれだけ感謝しても足りないけれど先に朝食にしない? 冷めてしまうもの」
微笑みを交わしてフォークを手にした。
(ゲラルトは許せませんが、今は自重しなくてはならないでしょう。下手な事をして謹慎処分を受けたら世間の目から彼女を守り切れません)
エルヴィーラに送り出されるのにも幸せを感じていた。
◇ ◇ ◇
待つ時間はなかなか過ぎてくれない。それでも特に出動も無く、あと一時間ほどで勤務が終わる。その後は飛んでいってエルヴィーラの両親に報告する。
(それが済んだらうちの両親の都合も聞いておかないといけませんね)
とにもかくにも彼女の心の傷を癒す為に急いで決めたかった。
「ジェイル、大変だ!」
出動が掛かったかと思って顔を顰める。
「例のエルヴィーラ・フィンザはお前の関係者だったな?」
「はい、如何にも」
「彼女、殺害されたぞ」
一瞬何を言われたのか分からない。
「は?」
「フィンザ嬢が殺された」
青天の霹靂に頭が働いてくれなかった。
◇ ◇ ◇
ジェイルは捜査一課のセクションに駆け込む。
容疑者はすぐに確保されていた。殺害に至る全てが監視カメラに記録されており、顔認識システムで居場所が確定されたのだ。
「なぜ殺した?」
捜査一課の課員が追及する。
「なんでって、あんな何もかもが抜け落ちたような顔でフラフラしてたら狙うに決まってんだろ」
「そんな常識がどこにある。全部吐け」
「全部ね。でっかい荷物引きずってるから金目の物だけ出してくれりゃ刺す気なんてなかったんだよ。なのに、腕掴んだら他人を殺人鬼を見るような目で見てきやがって、声も上げずに震えてへたり込んだんだ。それ見たらカッときて……」
彼女はまたフラッシュバックに襲われて動けなかっただけなのだろう。それを誤解した犯人は逆上して刺し殺したらしい。
「貴様ー!」
「なんだ、お前! 確か機一の!」
別室でモニターしていたジェイルは堪えきれずに取調室に殴り込んだ。
「ルヴィがどんな気持ちでいたか分かりますか!? それを貴様はっ!」
「何だよ、こいつ!」
彼は捜査一課員に取り押さえられる。
「放してください! こんな奴は許せません!」
「うるせえよ! じゃあ、何か? ライナックのぼんぼんどもが何をやっても捜査もしねえ癖に、俺だけ許せねえってのはどういう了見なんだってんだ!」
「ぐ……」
固めた拳は行き場を失った。
◇ ◇ ◇
彼女の両親に合わせる顔も無くジェイルは帰宅する。項垂れていると人感センサーが働いて個人用端末が呼び出し音を鳴らした。
「メッセージ?」
画面には文字が並ぶ。直接入力されたものらしい。
『愛しいジェイルへ
あなたと一つになれてとても嬉しかったのです。これだけは嘘ではありません。
結婚を申し込まれたのも本当に嬉しかった。
でも、私にはその資格がありません。穢れてしまったのを気にしないとあなたは言うのでしょう。
私はそんな優しいあなたを傷付けてしまうのです。ベッドであなたの優しさに触れる度に怯えて傷付けてしまうのです。
それが私には耐えられません。素敵なあなたなら別の方を選べるのに、こんな苦しめるだけの女に縛り付ける資格などどこにもありません。
だから、あなたの前から消えます。さもしい私はあなたの顔を見たら、また甘えてしまうから。
さようなら。私の愛しい人』
ジェイルは端末の前で崩れ落ちた。エルヴィーラは惑星ゼムナを離れようとしていたらしい。その途中で運悪くあの男に見つかって刺殺されてしまったのだ。
(僕が悪いのでしょうか? 抱けば癒せると思ってしまった傲慢が彼女を殺してしまったのでしょうか?)
彼は打ちひしがれ号泣した。
◇ ◇ ◇
それから何をどうしたのか記憶が定かでない。気が付くと、あてどもなく街を彷徨っていた。裏路地をふらふらと歩くジェイルの耳に押し殺した嗚咽が届く。
「なんでっ! あたしがっ! こんな目に遭わないといけないの! 父さんも母さんもあたしも普通に暮らしていただけなのに!」
少女が樹を殴り付けている。
「ライナックの馬鹿どもが気に入らないってだけで殺されて警察は何もしてくれない! あたしはまるで叛逆者扱いでこんなところに放り込まれた挙句にいじめられてる! 大っ嫌い、こんな
(ここは、確か児童育成施設の一つ)
その少女もライナックの被害者のようだ。
いずれは社会の歪みを正したいとジェイルの身体の芯で熱く燃えていた正義感が冷えて固まっていく。荒れ狂っていた激情も氷の粒となって溶け崩れていく。彼の中に残ったのは冷徹な思いだけだった。
「この街は狂っている」
そう小さく呟く。
見つめる監視カメラの一つが音もなくジェイルに焦点を絞ったのには気付いていなかった。
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