目覚める娘(7)

 あの賑やかな少女がフレニー調査事務所にやってきて一年になる。興味深い出自の彼女は戦闘訓練にも真面目に取り組んでいた。

 登記上存在しない地下スペースにアームドスキンの駐機場と訓練エリアがあり、そこを駆け回っていたのだ。もっともニーチェの場合はポレオン在住者だったので人間関係の都合上、マーニに三ヶ月の外出禁止を申し渡されていたので他にやるべき事が少なかったとも言える。


「ふ、うー……」

 ギルデ・ギッシュは目覚めると、少し甘いような香りを感じる。


 まどろみの中で憶えのある種類の香りに、隣に誰か寝ているのかと思い探ってみる。人肌のあの柔らかな感触は無い。地上に派遣されてからはそんな経験も無かったのを思い出す。

 何だかスース―する。首元に感じる枕の感触が心地良いが、ついぞ感じていなかった感触なのに気付き徐々に覚醒していく。

 開け切らない目をこすりながら枕元の携帯端末に手を伸ばす。小型2D投映パネルの時計表示を指のジェスチャーで回転させて操作パネルにすると鏡モニターに切り替えた。


「なんじゃこりゃー!」

 そこには知らない自分が映っていたのだ。


 鼻先まで掛かるくらいの前髪や肩に触れるほど伸ばしていた薄茶色の髪がバッサリと切られている。全体に5cmほどの短さになって整えられないままに立っている。驚愕に眠気はどこかへ飛んでいった。


「いったい俺に何が!? はっ!」

 勢いよく振り返ると少しだけ開いたスライドドアの向こうに赤い瞳。

「見つかった!」

「やっぱりお前かー!」

「だって似合ってないし鬱陶しいし」

 とんでもないことを言ってくる。

「だからって勝手に切るかよ!」

「スッキリさせてあげたんだし」

「すんなー!」


 突飛で破天荒な行動が目立つニーチェ。この一年間に色々とやられてしまったが、これは一二を争うほどの暴挙である。枕の横で山になっている切られた髪はどうあっても帰ってこない。


「こっちに来やがれ! お前の髪も切ってやる!」

「そんな事したらあんた半殺しよ」

 冴え冴えとした声。ドアがスライドするとそこにはドナ・ヤッチが居て睨み付けてくる。

「くそ、じゃ、絞り上げてやるから今日は駐機場で働け!」

「無理。これからドナと一緒にターゲットと接触するんだもん」

「そういうこと。あんたはそこで自分の迂闊を呪っていなさい」

 簡単にあしらわれた。


 言われた通りである。よく見れば髪の毛は綺麗に刈り揃えられていた。そんなにされても目を覚まさなかった彼の迂闊だと言われてしまえば返す言葉もない。

 確かに今日は外回りも無く、地下の自機アームドスキン、サナルフィの定期メンテナンスだけの予定だったので寝る前に少し飲んだのを思い出す。サイドテーブルには酒瓶が置いたままだ。


(あいつが本性を現わしてからは振り回されっぱなしだぜ)

 ホアジェン音楽学校の在学生だと聞いた時はとんでもないお嬢様が入ってきたと思ったものだが、その印象などどこかに吹っ飛んでいってしまった。


 溜息をついたギルデは癖になった髪を掻き上げる動作で短さを実感する。どう整えるかで悩み、ニーチェが帰ってきたら相談しようと思った。


   ◇      ◇      ◇


 ドナと外回りに出るととにかく目立つ。冷たく透き通るような美貌の持ち主である彼女に、街行く男たちの注目が集まってしまうのだ。

 以前ならニーチェもそういった類の注目を感じていた。しかし、今現在は注意を引く赤い瞳はカラーコンタクトの下。ポレオンで活動するうえで一番印象に残りやすい部分は隠している。


「傑作だけど、ほどほどにしてやんなさい」

 ドナは苦笑交じりに注意する。

「あれでも男よ。本気で怒らせたら素手では抗しきれないわ」

「ちゃんと観察してるし。ギルデがどこまでやったら怒るか」

「ええ、あなたはそんなところがあるわね」


 経験上、相手の感情を推し量るのは苦手ではない。どこまでなら暴力沙汰になるかならないか計算しながら行動している。おそらく彼はすぐに今の長さを気に入って慣れてしまうだろう。


「意外だったわ」

 ドナの目が愉快そうに輝く。

「一般的にはテロ集団と目されている相手の所に飛び込んでいくほど覚悟を決めているのだから、相当な恨みを抱えているんだと思ってた。ところが、あなたってば当初からあっけらかんとして暴れ回るんだもの」

「笑って生きてやるって決めてたし」

「どんな感情が渦巻いていても?」

 ニーチェは深く頷く。

「泣き暮らすなんて性に合わない。パパもそんな事は絶対に望んでいないから愉快に笑って、そして戦い抜いて勝利者になってやるし」

「あなたを見てると、暗い感情に振り回されて生きる自分が惨めに思えてくる時があるの。でも、同じ感情をエネルギーにして生きているのよね」

「あたしはドナを馬鹿みたいだなんて思ったことないし。同じ女だからどれほどの恐怖と屈辱を味わったか想像できるし、情念に衝き動かされているのも分かるもん」

 ドナと寄り添って歩く。その距離は近い。


(もう泣く場所も無くなっちゃったし)

 戦い抜けば取り返せるかも分からない。


 彼女に話したのは本音ではある。ただ、心のどこかで新しい場所を求める思いがあるのも認める。ジェイルの与えてくれたものはニーチェを大きく変えているのだ。


 喪失感をパワーにして彼女は前を向く。

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