さようなら、ニーチェ(4)

 連休から二週間が経過している。ホアジェン音楽学校の二回生の教室では溜息の連鎖が起きていた。


「楽しかったなぁ、コートデール」

 イヴォンがしみじみとこぼす。

「また同じ事言うし!」

「だって本当に楽しかったからさ」

「初めてだったあたしならともかく、イヴォンは何度も行ってるって言ったもん。それなら、あの最高の場所にも慣れてる筈だし」

 そこでイザドラが勘違いを指摘するように指を振る。

「案外飽きるものよ。ましてや友達との旅行なんてなかなか望めないわ」

「そんなもの?」

「用があって帰っちゃったヘレナの分も代弁するけど、家がお金持ちだっていう事は親が収入に伴う責任を担っているってこと。イヴォンのところのアドラー氏みたいにいつも忙しくしているのが普通。うちもそう」

 現実的な話になる。

「友達と旅行したいから連れてってなんて気軽に言えないわ。セキュリティの関係で子供だけなんて以ての外だしね」

「もしかしてパパが捜査官だったからお許しが出たの?」

「ええ、警護任務が当たり前にできる方が同伴していたから実現したわ」


 ニーチェには窺い知れない話し合いが裏で展開していたらしい。上流階級の子女である彼女らが旅行となると相応の警護を必要とするみたいだ。


「知らなかったし」

 目を丸くする。

「ライナック絡みで色々と問題はあっても、それだけ実績のある方なのさ。うちの父さんが調べさせたから間違いなし」

「うちの調査でも黒い噂は全く出なかったからニーチェとの関係も許されているわ。きっとヘレナの家もそう」

「パパの事、疑ってたし!」

 思惑があって娘を近付けさせた疑惑の調査が行われたようだ。

「ちょっと腹立つけど、みんなの家じゃ確かに無警戒って言うのも無理だろうから仕方ないもんね」

「勘弁して。どうしようもないからさ。それで、そのジェイルさんはもう宇宙?」

「もう着いている頃」


 五日前にジェイルは出発している。職務上の関係でニーチェも公言は避けていたが、着任したくらいは教えてもいいだろう。


「アームドスキンに乗っているところも見てみたいな。私とでも背丈で釣り合うし、格好良くて強いとか理想的なんだけど」

 イヴォンは想像の世界に旅立っている。

「だからパパは駄目って言ったし!」

「分かってる分かってる。でも、あんな力強く抱かれたら……」

「聞こえの悪い事言うなし!」

 単に旅行先で接触が増えただけ。ただお互い水着なのは乙女には刺激的だ。

「ほんとに素敵な方。十くらいの年の差なんて吹き飛んでしまうわ」

「イザドラまで!?」

「うふふふ、冗談よ、冗談」

 目付きが冗談とは思えない。


 ジェイルの振る舞いは非常に紳士的だ。普段からそうだしニーチェは慣れているが、友人付き合いにまで親の目が光っている乙女たちが妄想にふけるには十分な素材になったらしい。


「ところでヘルマン氏はどうだったのさ。行ってみたんでしょ?」

 これ以上突っ込むとニーチェが本気で怒り出すと思ったのか話が変わった。

「うーん、お茶を飲みに行っただけだし」

「どういうこと」

「歌って見せろって言うから歌ったし。そしたら拍手してくれた。幾つか声の出し方のコツは教えてくれたけど」

 あとは会話しただけでヘルマンは終始にこやかにしていた。

「それはレッスン?」

「暇潰しに呼ばれてる気がしたし」

「まさか。総合発表会でも審査員をなされる方よ。一生徒に指導するだけでも問題があるかもしれないのに、わざわざ正式にお話があったんだから本気のはず」


 三人で彼の考えを推測するが、ただの学生では憶測の域を出ないという結論に達しただけだった。


   ◇      ◇      ◇


 ムスターク8番機の宇宙用調整を確認し終えたジェイルは、移動用のパワーストラップを掴んで重力区画へと進む。機動三課の保有するイオンジェット型クラフターくらいの小型艇では重力区画といっても0.5Gしか掛かってない。それも居住スペースと操縦室だけ。ドアの前まで来るとようやく身体が下に落ちる感覚がする。


「どんな感じですか?」

 操縦室内に入った彼はマクナガル課長に問い掛ける。

「今のところは何も言ってきてない。私室に戻っててもいいぞ」

「いやに時間掛けてたな、ジェイル」

「普通ですよ。きちんとモード切替ができていないと微妙な感覚が掴めませんから」

 先に調整を終えたらしいグレッグは呑気に構えている。


 この1号艇の主な乗員は課長のマクナガルに同僚のグレッグ、そのバディのシュギル、全体のサポートパイロットのナートリー・ベイン二等捜査官。操船関係と整備関係を除けば後はジェイルとオペレータのシャノンだけである。

 他の2号艇と3号艇にそれぞれ二組のバディが乗っており、全部で十二機が所属している。戦力的には戦闘空母一隻の半分に満たない。果たして今回の動員にどれだけ意味が有るかといえば疑問符である。だが、補助的に小回りの利く人員としては便利かもしれないという程度だ。


「そんなに気を入れてなくてもいいだろう。いきなり軌道艦隊の指揮下に入れって言ってきやがったんだぜ。どうせ小間使いくらいにしか思ってない」

 グレッグは不機嫌だ。愛妻を地上に残してきたのが不安なのだろう。

「そう言わずに頑張りましょうよ。早く状況が落ち着けばそれだけ早く帰れるんすから。オレだってこんな宇宙暮らしは御免っす」

「連中の腹一つってのが面白くないんだって」

 シュギルのフォローも効果が無い。

「それぐらいにしとけ。仕事だとよ。アグサール国籍の商船、臨検入るぞ」


 課長の呼び掛けでパイロットは下層の格納庫ハンガーに向かった。

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