紅の歌姫(8)

(うちの姫様がお冠だ。どうも彼女とは良好な関係とは言えないようですね)

 そう思ったジェイルは相手を観察する。


 彼女の出で立ちは薄桃色の控え目なドレス。まだ衣装ではない事を考えれば、フォーマルな場面では普段から当たり前のように着けているのだろう。相当上流家庭に生まれ育った淑女だと察せられた。


「お前……、いえ、あなたがジェイル・ユング?」

 しばらく口をパクパクさせていた彼女から質問がくる。

「ええ、如何にも。僕の事をご存じで?」

「あ、ちょっと、その、調べたので……」

「あなたのように美しいお嬢さんの関心を買っていたとは存じませんでした」

 関係を悪化させるのも本意ではないので褒めておく。

「わたくしが? ありがとうございます」

「パパ、こいつなんか褒めなくていいし」

「学友なんだろう?」

 何かにつけて噛み付いてくる相手だと説明される。


(で、傍流のライナック家のお嬢様な訳ですか)

 気位の高さからニーチェの存在が邪魔なのかもしれない。娘の実力に関しては友人たちから十分に聞いていた。


「どうしたね、ユリーヤ?」

 髭をたくわえた紳士がやってくる。

「こちらはどなたかの兄……、待て、その男は」

「お父様、この方は……」

 娘のほうは関係悪化を望んでいないようだが親のほうは違うらしい。

「市警のユング捜査官だな。よくもこんな場所に。何を嗅ぎ回りに来た?」

「そうおっしゃられても困りますね。娘の晴れ舞台くらい観にきてもいいでしょう?」

「どうだか。目障りだ。私の目の届かないところに居るがいい」

 辛辣な台詞を浴びせられる。

「嫌われる心当たりがありませんね。それともあなたのお家では捜査官である僕に知られると困るような事をしておいでですか? それでしたらゆっくりとお話を伺いたいものですが」

「何を言う、貴様!」


 紳士の顔が一瞬にして紅潮する。本気で調べれば罪状の一つや二つは出てきそうなものだが、ジェイルもまさかこの場で追及する気はない。


「ニーチェ! ジェイルさん!」

 割り込むように見知った顔が駆け寄ってきた。

「やあ、イヴォン」

「ようこそ、ホアジェン音楽学校へ」

「今日はお嬢様らしい格好ですね?」

 いつもの中性的なファッションではなく、足首まであるドレスを着ている。

「一応は場所柄を弁えないと叱られてしまうから」

「イヴォンのお父さん、おおらかじゃない」

「けじめにはうるさいんだ」


 普段は好きにさせていても公的な場所ではそれなりの振る舞いをするよう躾けられているようだ。かなり裕福な家の筈だが、子育てにも熱心だと思える。


「勝手に行くな、イヴォン。こちらは?」

 当の本人のようだ。

「この人がジェイルさんです、父さん」

「おお、君がそうなんだね。イヴォンの父のアドラーです」

「母のミネアです。娘がお世話になっています」

 夫妻に握手を求められる。

「こちらこそ。ご立派な娘さんですね」

「形ばかり大きくなって、まだまだ子供ですよ。この前など仕事続きで帰宅できないと膨れてしまって……」

「やめて! 恥ずかしいから!」

 家では意外と甘えん坊らしい。


 赤面するイヴォンをニーチェがからかっている。アドラー氏は娘とも面識があるようで一緒に笑い合っていた。


「アドラー殿」

 無視されていた紳士が口を挟む。

「これはホビオ殿、ご健勝そうで何より」

「マストラタグループの創業家たるもの、娘の友人は選ぶべきではないかね?」

「ニーチェの事ですかな? 面白い娘ですよ」

 二人はグータッチしている。

「理解していないのかね?」

「非常に面白い。彼女の後見人が『横紙破りのジェイル』であることも含めてね」

「後悔せぬようにな」


 紳士は娘を連れて去っていく。ユリーヤは名残惜しそうに彼のほうを見ているが、あの様子ではニーチェとの関係改善は望めないだろう。


「ご迷惑ではありませんか?」

 少し心配になる。

「なに、私などただの商売人です。別に政治と向かい合わなくとも、お客様と向かい合ってさえいれば何とかなるものですよ」

「よろしければ今後も娘と懇意にしてやってください」

「ええ、もちろん。よければ貴殿もうちに来ていただきたい。イヴォンが世話になっている礼も兼ねて」


 マストラタ夫妻と歓談しているといつものヘレナやイザドラも合流する。姦しい四人娘がジェイルを囲んでいる為、少なからず注目を浴びていた。


「皆、誰のお兄様なのか噂していましたわ」

 イザドラが自慢げに彼の腕を取る。

「そんな年代にしか見えないもんね。今日のジェイルさんも格好良いからさ」

「浮いているでしょうに」

「フォーマルな中に、逆にワイルドで目立っちゃってますねぇ」

 ヘレナに指摘された。

「素敵ですけど」

「パパはいつでも格好良いし」

「失敗したかな」

 苦い笑いが漏れてしまう。

「あの……」


 後ろから声を掛けられ振り向く。深い茶色の真っ直ぐな髪を腰まで流している少女が真摯な目で見上げてきていた。


「ジェイル様ですね?」

 見覚えのない彼は「はい、何でしょう?」と答える。

「彼女からお話を伺いませんでしたか?」

「娘から? いえ、何も」


 聞けば、彼女はライナック本家のお嬢様らしい。ニーチェを見ると「関係ないし!」とそっぽを向く。


「おうちのほうから何か言われているのですか?」

「いいえ、個人的に。直接お伝えしておきます。どうかご自重なさって」

「ああ、そういう事でしたか」


 不安げに揺れる彼女の薄茶色の瞳にジェイルは察した。

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