紅の歌姫(7)
商船団は捜査五課によって完全制圧され、カーゴルームからは少量ながら違法薬物も押収された。それで容疑は確定する。しかし、それで腹の収まらない者もいた。
「よくもやりやがったな、てめぇ!」
8番機から降りたジェイルに食って掛かったのは人質にされていた五課の捜査官である。
「何の事です? 怪我一つ無いではありませんか」
「他人を何度も死にそうな目に遭わせてそれか!? 落ちてたら俺は死んでるんだぞ!」
「ちゃんと方向を確かめてから投げましたよ。グレッグの技量があればほとんど取り落とす可能性はありませんでした」
事実、事故は起こらなかった。
元は自分が捕らえられたのが原因なのに憤懣やる方ない様子である。挙げ句はジェイルの胸を平手で突いてきた。
「何の真似です?」
捜査官が暴行に及んでいるのだ。
「謝れっつってんだ!」
「どうしてもと言うのなら頭の一つくらい下げて差し上げます。ですが、それで構わないんですか?」
「何だと?」
彼の言葉の意味が理解できないらしい。
「捜査官が我が身可愛さに犯罪者の逃亡を幇助してしまうのですよ? 市民生活を守るべき警察官ならば命を賭してでも犯人の確保に努めるべきだと僕は思っています。事実、もしもの時は遺体さえ残らない戦闘兵器のコクピットに身を置いて戦っている。もし、考えを改める気が無いのなら捜査官など辞めてしまいなさい」
「ぐ……」
強力な兵器であるアームドスキンの手に掴まれるという恐怖体験をしたばかりの彼は、その怖ろしさを身をもって知ったばかり。機動三課の捜査官がどれだけ危険な職務に殉じているか気付かされて言葉に詰まっている。
「そんなのに構ってないで引き上げるぞ」
五課長が彼に声を掛ける。
「……はい」
「馬鹿野郎、横紙破りのジェイルの言う事なんぞにまともに耳を傾けるな。巻き込まれて破滅するぞ」
(その程度の認識なんでしょうね)
苦笑したジェイルは黙って肩を竦め見送るだけにしておいた。
◇ ◇ ◇
シュギルがお膳立てした打ち上げにも少し顔を出す。シャノンに労いの言葉を掛け、乾杯に付き合ってから席を辞した。
自宅に戻ると今日もニーチェが出迎えてくれる。彼女の笑顔にようやく事件を終えられたと実感が湧いてきた。
「例の件は片付いたよ。明後日の発表会にはたぶん参加できる」
ブルゾンをクローゼットに収めながら娘に告げる。
「ほんと!? やった! あたし、滅茶苦茶頑張ったし!」
「ああ、僕にその成果を見せてほしい。と言っても、あまり気負い過ぎないようにね?」
「最高のあたしを見せてあげるし!」
シャワーを浴びているとニーチェの鼻歌が微かに聞こえてくる。かなり上機嫌な様子だ。五課から協力要請があったと話した時は臍を曲げていたので何とか挽回できたらしい。
その鼻歌さえ以上にクオリティが高い。明後日は楽しませてもらえそうだとジェイルは思っている。
「さて、どうしたものかな?」
見事な焼き色の肉にナイフを入れるとピンク色の断面が現れ、それだけで味は間違いないと思える。悩み事はそれではない。
「食べて食べて。美味しいし」
「いや、そうではなくてね。明後日、僕は何を着ていけばいいんだろう? 何も考えてなかったよ」
娘の衣装は届いているので心配ない。ジェイルはそこで安心して自分の事は考えるのを止めていたのである。機動三課の制服を着ていく訳にはいかない。慣例上、外で着てよい物ではないし、空気にそぐわないだろう。
思えば、発表会には当然生徒の父兄が大勢集まるのだ。ほぼ全てが上流階級の住人である。客席にドレスコードは無いのかもしれないが、暗黙の了解のようなものが存在していてもおかしくはない。
「気にしなくても、パパは何を着ても格好良いし」
ニーチェが気にならなければ良いというものでもないだろう。
「でも、作法というものがあるだろう? 君に恥をかかせたくはないんだけどね」
「あたしも学校じゃどっちかっていうとアウトローな方面だから普通とは違うもん。それでも堂々としてるし」
「なるほど。君は君、僕は僕で構わないんだね。ならば自分なりの正装で臨むことにしようか」
思い悩んだりはせず、フォークで肉を口に運ぶのに忙しい娘を微笑ましく眺めるジェイルだった。
◇ ◇ ◇
普段はセキュリティの厳しいホアジェン音楽学校の門も、今日は父兄に対しては大きく開かれている。横にニーチェを乗せたジェイルの車も事前に登録されていた名前を告げるだけで簡単に通してくれた。
ニーチェはまだ普段通りの私服で、衣装は後部座席のトランクの中。会場入りしてから着替える段取りになる。
ジェイルの出で立ちは、上はゆったりめの白いシャツに灰色と黒のスタイリッシュなパイロットブルゾン。下は黒いレザーパンツを履いている。さすがに
「あら、そちらが噂のあなたの養父?」
駐車場からニーチェを腕にぶら下げてエントランスまでやってくると、怪しげな歓迎の言葉が掛けられる。
「そうだけど文句ある?」
「いいえ、決して文句など……」
挑戦的に娘のほうばかり見ていた生徒の一人は彼を見て絶句する。
「なに見惚れてるし!」
「あ……!」
ニーチェはいつにない剣幕で彼女に噛み付いていった。
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