泣けない少女(12)

「この男、我らの一部では有名な存在なのだ」

 ブエルド・ライナックは薄笑いを浮かべて告げた。

「は? このような一介の公僕が?」

「その資料には二等捜査官となっているから怖れるに足りないと思うだろう? ところが此奴に辛酸を舐めさせられた者は少なくない」

「なぜにそんな者を本家のお方が見逃しになりますので?」

 傍に表示されるパネル内のジェイルの資料を斜め読みしたアナベルは、心底理解できないという様子。

「そういう男なのだ、この第三市警機動三課のジェイル・ユングは」


 ライナック、特に損害を被っているのは傍流の家の者。私腹を肥やそうと手を染めた違法行為に彼が首を突っ込んでくるケースは少なくない。実行犯が検挙されたところで家は揺るがない。圧力を掛けて放免させるのも難しくはない。

 ただしその者は現場から外すしかない。警察のリストには乗ってしまうのでマークされる。結果として、せっかく育て上げた手駒とコネクションを失うことになってしまうのだ。


「どなたも処分を考えなかったのですか?」

 当然の疑問だろう。

「無論、此奴の排除に動いた者も少なくはない。見事に失敗しておるがな」

「くだらない手妻を用いた所為でしょう、父上」

「そうでもない」

 息子エルネドも疑問を抱いたようだ。

「脅迫しようと住居を調べようとする。市警のデータベースにアクセスしても此奴の住所は出てこない。どれほど高位のアクセスキーを用いようが、熟練のハッカーにやらせようが、他の者の住所は割り出せても此奴だけは無理だった」

「いったい何が?」

「それだけではない」


 調べられないなら追跡すればいい。誰もがそう考える。ところがジェイルを尾行すると自動運転システムが誤作動を起こして追跡ターゲットをロストしてしまうらしい。何度繰り返しても、だ。

 それなら手動で追尾してみると、今度は車の駆動系の制御システムに支障が生じて停車してしまうのだそうだ。車輛本体に問題はなく、外部からの信号でそんな事が起こるようだった。


「あれは自分のやっていることを十全に理解していて、周囲に超高度なセキュリティシステムを構築していると判明している」

 起こる現象がそう物語っている。

「ほとんどの機器がネットワークに繋がっている今、その攻撃的セキュリティから逃れる術はない」

「それは市警の新システムではないので?」

「市警どころか政府にもそこまで攻撃的なものはないぞ」

 アナベルは眉根を寄せて理解できないふうだ。


 しかし、現実問題としてジェイルという男は自身をガードしつつ捜査官として活動を続けている。彼に損害を受けた者はいつしか諦めて、運の悪い災難に巡り合ったと思って口をつぐむようになったという。


「此奴が出世して権力を持つ立場に上げるのを防ぐのが関の山だったのだ」

 その程度の圧力が限界だった。本人はどこ吹く風だったが。

「ところが、とある事実が判明する。国籍登録情報からジェイルが養子縁組して少女を養っていると判明した。此奴を脅す糸口になると被害者たちは喜び勇んだものだ」

「奴らが考えそうなことだ」

 エルネドは嫌悪感を露わにしている。

「それも無駄だったぞ」

「超高度セキュリティというのが働いたのですか?」

「養女の周辺人物から住所に関しては割り出すことができた。が、一般向けのマンションの中でも飛び抜けてセキュリティが高いものだったうえに、居室にも追加のセキュリティが施されていて侵入は不可能だった」

 弱点を見出したかと思ったのか瞳を輝かせたアナベルの表情が曇り始める。

「その養女とやらを脅せばよろしいのでは?」

「皆、そう考えたのだろうな」


 脅すと控えめな表現を用いたが、彼女の頭の中ではもっと悪辣な計画が生まれていることだろう。拉致したり暴行に及んだりといった類のものと予想される。


「それさえも攻撃的セキュリティの防壁の中だぞ。少女に手を出そうと追跡すればそれだけで警戒対象に認定される」

 エルネドは怪訝な顔をする。

「物理的な警護は無理でしょう? 人を雇えるほどの経済力があるわけではないでしょうに」

「もっと簡易で金のかからないものがあるであろう?」

「は?」

 息子の理解を超えているらしい。

「あまり効果が見込めないと、役立たずの呼び声高い統合防犯システムを知っているな? 人権保護のために緩く設定されているがゆえのシステムだ」

「まさか、それが?」

「奴の養女に関してはかなり過敏に反応する。どうもセキュリティシステム側からの干渉を受けているとみえる」

 これには一様に驚きの声が上がった。


 政府が正式に導入したシステムの一つである。犯罪に及ぼうとする者に警告を与え行動を記録する防犯システムで、先進国家であるのを誇るように構築された。

 しかし、街中に存在する監視カメラと連動したシステムは個人の自由を阻害すると批判の意見にさらされ、設定を甘くされてしまい有名無実と化している。


「追跡しようが待ち伏せしようが防犯システムが作動して警告が与えられる。同時に録画も始めるから養女へも全く手が出せない状態になった。それで彼個人への攻撃は無理と誰もが判断したのだよ」

「なるほど。そんな経緯があったんですね。しかし、そんな高度なセキュリティを個人で構築するなど……」


 父子の会話は続いている。


   ◇      ◇      ◇


(なにを悠長なことを!)

 アナベルは怒りに燃え滾っている。

(ライナックに楯突こうなどと考えられなくなるくらい痛めつければいいだけ。本家が寛容でもわたくしは絶対にゆるしませんことよ!)


 刺し違えてでもジェイル抹殺に乗り出すつもりだった。

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