泣けない少女(6)

 彷徨っていた少女ルーチェを助手席に座らせ飲み物を持たせる。支えて吸い口を口に持っていくと、飲食を忘れていたかのような彼女も喉を鳴らした。

 見れば洋服も少し薄汚れている感じ。少女が今どのような境遇に置かれているのか予想もつかない。


「食べてもいいのですよ」

 車を走らせたジェイルはクレープを買い求めてルーチェに手渡す。

「うん……」

「ゆっくりでいいですからね」


 少し齧ると食欲が戻ってきたのか食べる勢いはぐんと増した。応じて、決して良くはなかった血色も少しずつ戻ってくる。


「フルネームを教えてください」

「ルーチェ・ロセイル」


 警察のアクセス権を使って国籍登録データにアクセスする。それで彼女の身元は判明するはずであった。ところが数件同姓同名の人物がヒットするだけで少女の顔と合致するデータが出てこない。


(どういうことです? この時分の少女がこんな状態で嘘をつくとは思えません。外国籍という可能性もありますが、この肌色はゼムナの住人だとしか思えませんし)

 多少薄めながら彼女は赤銅色の肌をしている。

(これは由々しき事態なのかもしれません。本腰を入れた調査が必要なようです)

 普通の手順で身元が分からないなら普通ではない方法で調査するしかない。ジェイルはその普通ではない・・・・・・手段を持っている。


 まずは機動三課に連絡。調査活動の報告を入れて直帰する旨を伝える。

 ルーチェはパネルを操作するジェイルの横顔を恐るおそる見ている。意識がはっきりとしていくほどに、大人に対する不信感が首をもたげてきたかのように。


「大丈夫です。もう少し待っていてください」

「……うん」

 笑みを深めて声を掛けると彼女も少しは安心したらしい。


(有りました。サルベージデータとは……)

 彼にとっても驚きの結果だ。

(両親の名前はオーガスタス・ロセイルと夫人のエリノア。これは日記ログですね。もう一つはホームページ。ロセイル夫人は金管笛ファチーネ奏者ですか。仕事の窓口ページです)

 二人ともれっきとしたゼムナ国籍保持者のはずである。それなのに正規に検索を掛けると本人の登録データが出てこないという矛盾した事態に陥っている。

(信じられないことに国籍登録データまでもが消去されているようです。ここまでできるとなると限られてしまいますよね?)

 ジェイルはこの案件が自分の領分だと把握した。つまりライナック案件である可能性が極めて高いと。


「お腹も空いてますよね? 僕のお家においでなさい。お姉ちゃんもいますよ」

 どこか不安げだった少女も女性の存在を聞いて少し安心したように頷く。


 ジェイルは自宅に向けて車を発進させた。


   ◇      ◇      ◇


「おおう、紛らわしい」

 感嘆の声を上げたのはイヴォンである。

「紛らわしくない。全然違うし」

「でも、ニーチェにルーチェっていうのは何とも……」


 あれ以来、友人が入れ代わり立ち代わり、ときには複数自宅に押し掛けるようになっている。今日はイヴォンの日であった。

 観客の視線を背に受けながら夕食の用意をしていると珍しい時間にジェイルが帰宅した。しかも幼い少女の手を引いて。


「んで、このルーチェが事件被害者かもしれないの、パパ?」

 ニーチェはちょっと眉を顰める。

「今のところの情報を総合すると導き出される予想はそうなんだ」

「じゃあ、署のほうで引き取るべきだし。連れて帰っても良かったの?」

「問題はこの子の国籍登録情報が消去されている点。ゼムナ国民でなければ警察は動けないわけではないけれど、無登録では取り扱いが難しくて事件化できない可能性もあるね」

 ジェイルは「そしてもう一つ」と指を立てる。

「国籍登録内容まで改竄できるとなると相手は自ずと知れてくる」

「あちゃー、ライナック案件ってこと?」

「そうです」

 頭を抱えるイヴォンに父は答えた。

「だとすれば、これが殺人事件の線が濃いと分かっていても捜査一課そういちは動かない……、正確にいうと動けないかもしれません」

「それだとルーチェを署に連れていけば厄介者扱いを受けるから家に……」

「イヴォン! 駄目だし!」


 ニーチェの膝の上で少し落ち着いてきた様子だったルーチェがびくりと震える。怯えて所在なさげに周りをきょろきょろとし始めた。


「大丈夫」

 ニーチェは少女をぎゅっと抱き締める。

「ここなら誰もルーチェを要らないとか言わないし、厄介者だなんて思わないし。好きなだけ居ていいんだよ?」

「お……、お姉ちゃん」

「うんうん、安心していいし。ルーチェにも必ず居場所はあるからね?」


 少女は涙腺が崩壊したかのように泣き出した。悲痛な慟哭はニーチェの胸の中で安堵の泣き声に変わっていく。彼女はその心の動きを全て理解しているかのように優しく見守っていた。

 入れ替わるようにあたふたしだしたのがイヴォンである。自分の不用意なひと言がルーチェを不安に陥れたのだと気付いたのだ。


「ごめん」

 心底落ち込んでいるようだ。

「心配ありませんよ。この子が抱いている不安は娘がよく知っている類のものです。任せておけば問題ありません」

「そう……なんですね」

「僕は夕食の仕上げに掛かりますのでしばらくお願いしてもいいですか?」


 イヴォンは気を取り直して胸を叩いた。

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