第十二話 オラクル 前編

「オラクル」


 ここは、明るいのに暗い、地面もないのに立てる、宇宙のような空間。

 いつもの、イオツミスマルの空間。

 四月末の日曜日、ちょうど大会があったため、五月はいつも土曜日に唱えているのをずらして、「オラクル」を唱えた。

 メンバーにはならなかったが、魔力消費性疲労症で動けなくて大会に参加しないわけにもいかないので、昨夜は使わなかったのだ。

 ただ、一週間後には大会があり、それは高校総体にあたる県大会の予選で、五月はその400メートルリレーの控えだったため、いつもよりも魔力を強めた。


 どうか、今回も何もありませんように。

 そう願っていたが、次第に頭に映像が流れ込んできた。

 ……これは、あの時と同じ。

 地震を予知したときと、「ブラスト」を習得したとき。

 五月をずっと守ってくれた、大切な人たちが、呪いに巻き込まれた時も見えてしまった。


 ……ついに、呪いの影響が出てしまった。

 五月は唇をかむ。


 でも、もう誰も巻き込みたくない。

 そのためにも、みんなを遠ざけてまで、必死に魔法を身に着けてきたんだ。

 今度は、絶対に……。

 その思いを胸に、五月はその神託に意識を集中した。


 桜空は、そんな五月の変化を感じていたが、何を見ているのか不安に思いながら見守っていた。


 ……頭に流れてきた映像は、どうやら車に乗っているような映像だ。

 車内には高井先生と友菜ちゃん、そして五月の三人。

 周りの景色は次々と流れていって、順調に走行しているようだった。

 三人は談笑していて、平穏そのもの。

 今のところ、異常は起きていない――。

 そう思った時だ。

 青信号の交差点を直進していると。

 突然大きな音が鳴り、天地がひっくり返った気がした。


 その瞬間目の前が真っ白になり、「オラクル」の映像は終わった。

 それと同時に、体に力が入らなくなり、その場に倒れてしまう。


「五月!」


 すぐさま桜空が抱きかかえる。

 五月は、久しぶりに神託をもらえたからか、少し強めに「オラクル」を使ったからか、いつもよりも明らかに弱っていた。

 五月自身、悪寒やだるさだけに収まらず、倒れてしまうほどの体への負担で、意識を保つのがやっとだ。

 明らかに、魔力消費性疲労症の重い症状だった。


「……車が」


 それでも、五月は桜空に伝えるために、懸命に言葉を紡いだ。


「わたしたちが乗っていた車が、急に……、衝突されるみたい……。高井先生と友菜ちゃん、わたしが乗ってたんだけど……、あの音じゃ……」


 間違いなく、車は無事ではあるまい。

 当然、その中にいる人は……。

 しかも、「オラクル」で見たということは、間違いなく起こること。

 五月に、大切な人が死ぬかもしれない、自分も死ぬかもしれないという、二重の恐怖がのしかかる。

 それに五月は立ち向かわなくてはならない。

 いくら呪いへ対抗するために魔法の練習をしてきたといっても、果たしてうまくいくのか、うまくやれるのか……。

 「オラクル」だからまだ乗り越えられる可能性はあるとはいえ、五月へ降りかかる重圧は、とても重いものだった。

 五月はいろいろなことを抱え込んでいて、小さく震えることしかできない。

 そんな五月に、運命の子に、声を掛けられるのは、桜空しかいなかった。


「……五月」


 桜空は歯を食いしばりながら言った。


「……私もイオツミスマルの中から抗います。もともとは、私が招いた種なんですから。それに、五月は一人じゃないんです。みんながいるんです。

 それに、……バノルスの時には、天才と呼ばれた、私もいるんです。だから、そんなに抱え込まないでください」


 イオツミスマルの空間の中からでも、限定的ではあるが、魔法を使える。

 それは呪われている桜空も例外ではない。

 その力をもってすれば、呪いに対抗できる――。

 そう、信じるしかなかった。

 それに、少しでも五月の心を楽にさせてあげたかった。

 その一心で、桜空は語り掛ける。


「……うん」


 五月は、今度こそ呪いを打ち砕けると、信じるしかなかった。



 ※



 翌日、五月は再び体調を崩したが、いつものように回復とはいかず、昼過ぎにようやく歩き回れるくらいの体調になった。

 友菜ちゃんを始め、周りの生徒や先生には三週連続で、一日だけ体調を崩すということもあって、かなりの心配をかけた。

 なぜそうなるのかと聞かれもしたが、呪いのこと、「オラクル」のこと、魔法のことを話すわけにもいかず、あいまいにごまかすことしかできなかった。

 そして、月曜日だったこともあり、学校を休み、五月は一人で寮にこもっていたのだった。

 ようやく歩き回れるほどに体調が回復していたのだが、早由先生には一日寝てるように言われ、同じ部屋の友菜ちゃんにも寝てるように言われたので、未だに布団にもぐり続けている。

 こっそり勉強したり、魔法の練習をしたりするのは、みんなの心配をないがしろにするのでしたくない。

 それに、控えとはいえ、リレーのメンバーなので、少しでも体調を戻すよう休むしかない。


 ふと時計を見ると、三時過ぎになっている。

 学校の授業が終わるころだ。

 今日は、昨日が大会だったので、一日休みになっていて、もうそろそろ友菜ちゃんが帰ってくる頃合いだと思われた。

 みんな心配しているのだから、余計布団から出るわけにはいかないなと思いながら横になっていると、不意に、部屋のドアが開け放たれる。

 それも、音を立てずに。

 五月を起こさないようにという配慮だろう。すでに起きている五月ではあったが、とてもありがたい。

 五月は体を起こしながら言った。


「お帰り。ごめんね、心配かけ……」


 ちゃって、と言おうとした途端、五月は目を疑った。


「ちょっと五月、いっつも体調崩しておいて、もう起きているの? どれだけリーたちが心配してると思っているの? 高井先生も心配してたわよ? 少しは真剣に休みなさい」

「五月、なんで起きてるの? 李依の言う通り。早く寝て」

「さーつーきー? さっさと寝ろー! リレーメンバーの自覚あんのかー!?」


 友菜ちゃんだけでなく、みんなも来てくれたのだ。

 それはそれでうれしくもあったのだが、みんなから言われたことに、半ば怒られたことに、五月は後ろめたさも感じる。

 五月は、呪いのことばかり考えていて、みんなのことを、自分のことを全く考えられていない。

 呪いに関係ないようにと、真剣にみんなのことを思っていないような気がした。

 でも、みんなは違う。

 五月のことを本当に心配しているからこそ、厳しいことを言ってくれていた。

 五月は、そんなみんなにとても申し訳なくて、どうしても目が泳いでしまう。


「……五月ちゃん」


 いつになく厳しい目つきを浮かべて友菜ちゃんが言った。


「もっと、真剣に考えて。この間もよくあることって言ってたけど、それでもうちらは心配なの。それなのに五月ちゃんは自分のことを、なんでそんなに粗末にするの? 大切な人もいたんじゃないの? その人たちの想いもどうだっていいの?

 ……私たちって、五月ちゃんにとって、その程度の人なの?」


 だんだんと、今にも泣きそうなほどの、悲しそうな顔へと変わっていく。

 いかに五月が、彼女たちに失礼な考えをしているかがわかって、胸が張り裂けそうだ。

 ……もともとは、たとえ高校に入ったとしても、ズッ友がいない、遠いところなら、少しの関係なら、誰も呪いに巻き込まないと思っていた。

 呪いに対抗できるだけの力をつければ、何とかなると思っていた。

 たとえ、自分の体がぼろぼろになったとしても、最後に幸せになれれば、それで構わないとも思っていた。

 それが最善だと思っていた。

 でも、それは、五月のことを大事に思っている彼女たちからすれば、どんな気持ちになるだろうか?

 そんなにおろそかにしているのは、……ただの裏切りのように思えた。

 たとえ、仕方ないと思っていたとしても。

 それに、相談しろともいわれた。

 みんな、真剣に五月に向き合ってくれている。

 その想いに、裏切りという形で応えたくない。


 ……言うしかないのか?

 魔法のことを。

 呪いのことを。

 やはり、全部話すべきだろうか?

 でも、それはみんなを巻き込むかもしれない。

 それは嫌だった。

 せめて、一人だけだったら……。

 なんとか、できるかもしれない。


 それに、全部言う必要はあるのか?

 少しぼかしても、かまわないのではないだろうか?

 確かにすべては話せない。ただ、五月は、村の中心人物で、巫女であることはすでに話している。

 それと関係のあることという風に伝えられるのではないだろうか?

 それだけだったら、みんなが呪われる危険は減るのではないだろうか?

 実際にどうなるかわからない。

 それでも、せっかくつかみかけている幸せのつぼみを、自分から踏みつぶすようなことはしたくない。

 一人だけ、というのも失礼な気がする。


 だから五月は、迷いながらも、まずはみんなに聞こうと思った。

 自分と深く関われば、もしかしたら死ぬかもしれないということを。

 それでも一緒にいたいのかを。

 もし首を縦に振るならば。

 全て、話そう。

 そして、約束しよう。

 魔法の力で、みんなを守り抜くと。

 魔法の契りで、幸せをつかもうと。


「……みんな、ごめんね。こんなに心配してくれているのに。

 でも、今から話すことを聞くと、みんな、死ぬかもしれないよ? わたしとこれ以上関係が深くなったら、不幸になるかもしれないよ? それでも、いいの?」


 重い口を開いて、五月はみんなを見渡す。

 やはり、五月の言葉の意味が分からず、困惑しているようだ。


「どういうこと?」


 友菜ちゃんが尋ねる。それでも、五月もみんなのことが大事だからこそ、むやみに巻き込みたくない。


「そのままの意味。わたしが今から話すことを聞くと、もっと関係が深くなると、よくないことが起きるかもしれないの」


 そう言いながら、おそらく、ここまでならまだ話しても大丈夫だと思った。

 五月が体調を崩しているのは、それを防ぐためだというのを話すことを。


「……それを防ぐために、わたしは毎週、こんなに身を亡ぼすようなことをしている」


 その言葉を聞いた途端、みんなの顔がこわばる。


「……もう一度聞くよ?

 みんな、本当にいいの? よくないことが起きるかもしれないよ? それでもわたしと一緒になりたいと、仲良くなりたいと、言ってくれるの?」


 沈黙に包まれる。

 五月の目が冷たく光って、一層重い雰囲気になる。

 五月は、どう願えばいいのかわからない。

 みんなとこのまま、仲良くしていきたい。でも、呪いに巻き込みたくない。

 みんなと離れたくない。

 ぐちゃぐちゃだった。

 迷いだらけだ。

 ……でも。

 心の内では、ズッ友のように受け入れてほしいとも思った。

 その時は、何が何でも守り抜いてやろうとも。


「……五月ちゃん」


 やがて、友菜ちゃんが重い沈黙を破る。


「私は、いいよ。五月ちゃんの支えになるって言ったでしょ? 傍にいるって言ったでしょ? もう、私は何があっても五月ちゃんと一緒にいるって、決めたんだよ」


 ……本当に、ズッ友のようだ。

 いろいろな思いが燻って、ぐちゃぐちゃだったけど。

 とにかく、うれしい。

 呆然としていると、友菜ちゃんが目の前に来て、五月を抱きしめた。

 そのぬくもりを感じた途端、自然と目頭が熱くなる。


「リーも一緒だわ。あなたを一人にしておけない」

「あたしも。見くびらないで」

「アタシもさ! アタシたち、友達、でしょ!?」


 みんなも、同じ。

 その想いがありがたい。

 五月は、もう、涙がこらえきれなくなり、嗚咽を漏らす。

 心の奥にある傷が、どんどん溶かされていく。


「……ありがと。みんな」


 今はみんなの想いに、包まれていたかった。




 それから、五月はすべてを話した。

 村のこと。

 巫女のこと。

 呪いのこと。

 ズッ友のこと。

 裕樹のこと。

 そして、魔法のことを。

 みんなは静かに、五月の言葉に耳を傾けてくれた。


「……これが、すべて。わたしはこの魔法を使って、みんなを守ろうと思っているの。……『フラッシュ』」


 魔法も実演し、この話が真実であることをみんなに納得してもらう。


「でも、これで納得だよ。いつもこんながんばってるんじゃ、そりゃ疲れるわけだよ。……それでもうちらをないがしろにしていいわけじゃないからね?」


 友菜ちゃんの言葉にみんなが頷く。

 確かに納得はしてもらえたが、やはり今までみんなに悪いことをしてきたことは変わらない。


「……ごめんね、みんな」


 だから、五月はまた頭を下げる。

 五月の気持ちが伝わったのか、みんなからはもう五月を非難する声は出ない。

 呪いに巻き込まれるかもしれないということへの、イワキダイキのような連中と同じような、五月を傷つける反応もない。

 本当に、ズッ友たちと同じように、五月を受け入れてくれた。

 それがありがたかった。


「あと、……ありがと」


 みんなは五月の感謝の言葉を聞くと、笑みを浮かべてそれを受け入れる。

 もう、五月たちの気持ちには、溝がなかった。


「……じゃあ、みんな! 五月ちゃんに休んでもらうために、今日はこのくらいにしておこう!」


 そのことが分かったからか、友菜ちゃんが手をたたき、お暇しようとする。

 いつの間にか、夕日が差し込み、部屋が朱

あか

く染められている。

 みんなが来てくれてから、数時間が立っているようだ。


「じゃあ、五月、きっちり休んで、万全の状態にしなさいよ」

「五月。また明日」

「さーつーきー? さっき言ったこと、忘れるなよ! 忘れてたら……、うーん、どうしようか? まあいいか。とりあえず寝てろー!」


 三人も五月にくぎを刺しながら、早めに休ませようとしてくれる。

 五月は、みんなの気遣いに感謝しながら笑った。


「うん、みんなありがと。また明日」


 三人は五月の感謝を受け取ってから部屋を出ていった。

 友菜ちゃんと二人だけになり、先ほどまでが嘘だと思えるほど、静まり返る。


「みんな、帰っちゃったね」


 友菜ちゃんが小さく沈黙を破る。


「……うん」


 五月も応えながら、先ほどは言っていなかったことを、友菜ちゃんに言おうと思った。


「……ねえ、友菜ちゃん」

「なに?」


 友菜ちゃんが五月に振り返る。


「実はね、さっきの話に、未来を予知する魔法を使って呪いに対抗するって言ったけど、……その、ね、見えちゃったの」


 こわばった表情をしながら、余命宣告するかのような悲壮感も漂わせながら言った。


「……わたしと友菜ちゃん、そして高井先生が乗った車が、……突然、横から衝突される。音もすごかったから……」


 声が震える。

 もう、巻き込んでしまうのを避けられないのが、悲しい。

 それでも、全てを知って、巻き込まれる友菜ちゃんにだけは、伝えておかなければならなかった。


「そう、なんだ……」


 友菜ちゃんも、顔を引きつらせる。


「でも! まだ……、まだ、どうにかできる」


 それでも、諦めない。


「絶対に、呪いに打ち勝つよ。みんなを、友菜ちゃんを守るよ。だから、がんばるね」


 五月の決意を改めて聞き、友菜ちゃんは笑みを浮かべる。

 そのまま五月の目の前へ来たかと思うと、五月を抱き寄せた。


「大丈夫だよ。五月ちゃんならできる。信じてるよ」


 友菜ちゃんの温もりが伝わってくる。

 そのぬくもりが、愛おしい。

 失いたくない。

 ずっと、感じていたい。

 ……この子たちと、ズッ友たちと、裕樹と、幸せになりたい。


「……うん」


 五月も友菜ちゃんを抱きしめる。

 呪いよ、残酷な運命よ。

 もう、絶対に負けない。

 絶対にあきらめない。

 絶対に、幸せになってやる。

 今は首を長くして待っていろ。

 全てを、終わらせてやる。

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