第六話 祝福

 入試から一週間。

 その間、五月は他に受験する高校はなかったので、勉強をしないこと以外はいつも通り、体を鍛えるための陸上の練習、魔法の練習をしていた。

 ただ、桜空は、身が入っていないように見えた。

 当然かもしれない。

 もし不合格だったら、五月は高校に入れず、高校入試に失敗して浪人というレッテルを張られるのだ。

 しかも、五月は源家当主。御三家の名を穢すようなことだけはしたくないという、重圧もあるのだろう。

 一応、日程別に二回受けたのだが、それでも不安なはずだ。


「……あ」


 そのためか、五月は陸上の練習の際、転んでしまう。


「大丈夫ですか?」


 桜空が駆け寄ると、五月の膝が擦りむけて、血が出ていた。


「……あはは、らしくないよね……。転ぶなんて。『ヒーリング』」


 五月は苦笑しながら黄魔法で治療すると、あっという間に傷口がふさがる。


「……心配ですか?」

「……うん。完璧だとは思うんだけど、やっぱり結果を出せてるかは別問題だから。調査書のこともあるし」


 少し涙目になりながら五月は続けた。


「……ほかの人は、公立のすべり止めみたいなんだけどね。それでも、怖い。落ちてるんじゃないかって。……大丈夫かな? 今日発表だけど、緊張して、全然寝られなかったし……」


 今日の十六時に結果が発表だった。今はまだ十時。

 たった数時間だけのようだったが、五月にとっては気の遠くなるような時間だ。

 もちろん桜空も同じで、実はこの一週間、五月の練習中であっても、気が付けばボーっと考え事をしているほど集中できてなかった。

 これでは、全く意味がない。

 そう思い、とっさに思いついたことを桜空は五月に提案した。


「五月。今日、練習はお休みにして、久しぶりにお蕎麦を食べに行きませんか?」


 蕎麦。

 いうまでもなく、「橘のそばで」で食べるということだろう。

 以前は、かなちゃん、マリリンとよくいっていた、思い出の場所だ。

 しかし、五月が学校に行かなくなったのを境に、自然と足が遠のき、今日まで二年近く行っていなかった。

 ……それに。

 ……。

 やめよう。

 桜空にとって、つらい記憶のはずだ。

 無理に思い出させるわけにはいかない。


 おそらく、「桜空さくらの祟り」の原因を作った領主の橘は、綾花の先祖なのだろう。

 本当は、複雑な思いを持っているのかもしれない。

 それでも桜空が何も言わないのは、綾花のことを、受け入れているからだろう。

 五月はそう思うことにした。


「……うん。一人でカウンター席みたいになって、珍しがられるだろうけど、久しぶりにいいと思う。綾花の顔だけでも見たいし」


 そのまま練習を取りやめ、お義母さんに綾花のところで食べると伝えてから向かった。



 ※




「いらっしゃ……、え? 五月ちゃん!?」


 店に入るなり、綾花は幽霊でも見たかのように驚いて五月に駆け寄る。


「お久しぶりです。気分転換の意味も込めて、蕎麦を食べに来ました。野菜かき揚げを一つ、お願いします」

「あ、はい……。それはいいんですけど、大丈夫なんですか? 一応、高校を受けるとはゆかりさんから聞いていたんですけど……」


 五月は苦笑する。


「はい。もし何かあっても、大丈夫なようにはなりました。まだ不安があるのと、嫌な人がいないところに行きたかったので、大山の方を受けましたけど。実は、今日が合格発表なんです。それで、緊張してしまって……」


 綾花は、まなじりに涙を浮かべながら笑った。


「……よかったです。また、ここにきてくれて……」

「……はい。ただいま戻りました、綾花。まだあまり来られないと思いますけど、改めてよろしくお願いします」


 それからしばらくして、蕎麦が運ばれてくる。

 口に運ぶと、懐かしい味、のど越しがして、ズッ友たちとの、裕樹との、楓と雪奈との、儚い思い出が、少し近づいた気がして、ようやく幸せの一歩を踏み出せたと、光が見えたと思った。

 まだお昼時前だったので、また少し綾花と話して、五月は家路についた。


 その後は、穏やかな気持ちで静かに家で過ごした。

 不思議と、緊張がなくなっている。

 今まで、ずっと暗闇のトンネルの中にいて、ようやく一筋の光が見えたことを、実感できたからかもしれない。

 そして。

 時はきた。

 ホームページを探すと、「入学試験結果」の文字が。

 そこを、クリックする。

 自分の番号を探す。


「……あ」


 機械的に並んだ数字の中に。

 ……それは、あった。


「……五月」


 振り向くと、お義母さんが微笑んでいた。


「……おめでとさん」


 そのまま、ハンカチを五月に差し出す。

 そこで初めて、五月は自分の頬を熱いものが伝っていたことを知る。


「……ありがとう、……お母さん」


 五月は、久しぶりに幸せの中にいられた気がして、涙を流しながらも、満面の笑みを浮かべた。


(……よかったね、五月)


 ようやくうれしそうな、幸せそうな五月を見られて、桜空もしばらくの間、静かに至福の時を一緒に過ごしていた。



 ※




「じゃあ、かなちゃんもマリリンもゆかり高校に受かったのですか?」


 それからだいたい一か月後。

 今度は、ズッ友二人の朗報が、お義母さんの口からもたらされた。


「ああ。さっき麻利亜ちゃんから直接連絡がきた。五月に真っ先に知らせたかったんだとさ。あと、『これからお互い、花の女子高生ライフを満喫しようじゃないか、巫女さん』って、佳菜子ちゃんが言ってたよ」


 なんとも二人らしいなと、思わず五月は苦笑する。

 そんなささやかなつながりが、今はとても愛おしい。

 でも、これからが本番だ。

 再び学校に通う上に、寮生活で、さらに二人部屋。

 特に同じ部屋の子には、呪いが降りかかりやすいはずなので、注意が必要だ。

 それでも、不思議と怖くない。

 今の自分なら、きっと乗り越えられると、五月は信じていた。


「ああ、あと、その二人と、裕樹が五月に贈り物だって、さっき裕樹のお母さんが来てこれを手渡されたんだ」

「贈り物?」


 なんだろうか。

 今までは、誕生日などの節目にしか送り合わなかったのだが。

 中身よりも、なぜ送られたのかということが気になった。

 そして、お義母さんから一つの筒を受け取る。

 その中には、一枚の紙があった。

 それを開くと。


「……みんな!」


 思わず目頭が熱くなる。

 それには、「卒業証書」と書かれていた。

 しかも、直筆のだ。

 みんなが、五月のために、自分たちの卒業証書を作ってくれたのだ。

 この日まで、五月には卒業するという意識がまるでなかった。

 それは、かなちゃん、マリリンを呪うことを恐れたり、呪いへの対抗手段を見つけたりしようとしていたからだ。

 中学生でありながら、中学生の生活を送ることができなかったのだ。

 それでも、節目であることには変わりない。

 中学生であることには変わりない。

 確かに中学生としての時間があったことには変わりない。

 そんな五月をみんな大切に思ってくれていることが伝わってきて、涙がこらえられない。


「……五月」


 お義母さんが五月の耳元でつぶやく。


「卒業、おめでとう」

「……うん」

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