第28話 最後の戦い
なんていうかそれは、まさに怪獣だった。真っ黒で、尻尾が九本もある巨大なキツネ
次にそいつは犬みたいにブルブルっと身体を震わせると、特に何かするでもなく、適当に散歩に出歩くときのお父さんみたいな軽い雰囲気でゆっくり歩き始める。
でもこんな大きいの、歩くだけで大惨事だ。踏まれた木があっさり倒れるのは当たり前。尻尾が軽くなでただけで木がなぎ倒されるんだから、なんかもう現実味がなさすぎるぞ。
もちろん、わたしたちはぽかーんしながら見上げることしかできない。
けれどひーちゃんは、ひーちゃんだけは、静かに空中に浮かんでいく。そうして巨大キツネの顔くらいの高さまで上がったところで……。
「行かせぬぞ。『
その魔法を合図にして、最後の戦いが始まった。
ひーちゃんの後ろから、ぐるっと巨大キツネを囲む形でたくさん咲いていくヒマワリの花。それは咲いたやつから順番に、大きな魔法の砲弾を発射し始める。
同時に、空から水仙の形をした水の塊が降り始めた。こちらもヒマワリと一緒で、たくさんの数が降ってきている。あのうねうねのバケモノですら回避を選んだ攻撃だし、いくら大きくてもこれなら……。
そう思っていた頃がわたしにもありました。
「おいおいマジかよ……!?」
「効いてない……!」
「ウソでしょ……そんなことってある……?」
巨大キツネはまったくダメージを受けることなく、のっそりとひーちゃんに顔を向けただけだ。そんなことをしてる間にも、魔法の砲弾と水の塊がガンガンぶつかってるはずなのに、ブレることすらしない。
……あ、いや、顔の周りに来たやつは手で振り払ってるから、まったく効いてないわけじゃないみたいだけど。
でもあれは効いてるっていうより、顔の周りで飛んでる虫がうっとうしいだけって感じがする……!
「ちっ……」
このままじゃダメだと思ったんだろう。ひーちゃんが次の魔法を用意し始めた。杖の先を巨大キツネに向けて、その先に魔法の光が集まっていく。
さっきはうねうねに跳ね返されちゃったけど、ひーちゃん自身にすら大ダメージを与えた極太の光線を発射するやつだ。これならきっと行けるはず!
そう思ったのはわたしだけじゃなかったみたいで、わたしたち三人はほとんど同時に応援の声を張り上げた。
だけどそれは、すぐにやめさせられることになる。なんでって、ひーちゃんが魔法のチャージを始めた瞬間、それまでひーちゃんを見てはいてもさほど気にしてなかった巨大キツネが、顔色を変えたように襲ってきたんだもの!
おまけに叩きつける形ではたかれたひーちゃんがこっちに猛スピードで落ちてきたんだから、何も言えなくなるに決まってる!
「ッグァ!」
ひーちゃんが思いっきり叩きつけられたところに、クレーターみたいな痕ができる。そのまま彼女の小さな身体はボールみたいに何回もバウンドして、ボロ雑巾みたいに転がった。
悲鳴だ。初めて聞く声だった。あのひーちゃんが、苦しそうにしてるところなんて見たことも聞いたこともなかった。
だからわたしたちは名前を呼びながら、すぐ近くまで転がってきた彼女に大慌てで駆け寄る。
「……ッ、く、来るな!」
だけどそれは、ひーちゃん本人にとめられた。
あんまりにも必死な声だったから、わたしたちは思わず立ち止まって……直後、ひーちゃんが巨大キツネに踏み潰された。
途端に衝撃と突風と砂ぼこりが襲ってきた。直前に青い花が現れてわたしたちは何も受けずに済んだけど。
でも、すぐ目の前でひーちゃんが潰されて……しかももう少し近くまで寄ってたら、わたしたちも一緒に潰されてただろうって思うと怖くてへなへなと座り込んでしまう。
「う……嘘でしょ……?」
「おいバカ、何やってんだよ! 負けたらぶん殴ってやるって言っただろ!?」
「嫌ぁ! 死んじゃ嫌よ光さん!」
思わず、情けない声が出た。
でも次の瞬間、ひーちゃんを踏み潰した巨大キツネの前脚を貫いて、極太の青い光線が空に向かって発射された。巨大キツネもこれは効いたのか、濁った悲鳴を上げながら数歩後ずさる。
そしてそいつがどいたところには……杖を文字通り杖にして、よろめきながら立ち上がるひーちゃんが!
「ふう……。おいお主ら! 勝手に殺すでないわ!」
「ひーちゃぁーん!!」
「トー子ぉ!!」
「生きてた! よかったぁ!!」
「喜んでる暇があるなら離れろ! 巻き添え喰らっても……チィ!」
喜ぶわたしたちをよそに、ひーちゃんが怒鳴る。だけどすぐにこっちからは意識を外して、何もないところを杖でぶん殴った。
するとそこに、いつの間にか巨大キツネが飛び込んできてて、前脚でひーちゃんを殴り飛ばそうとしているところだった。ひーちゃんの杖はこれをギリギリで防いで、あろうことかそのままぎりぎりと拮抗し始める。
「あ、あり得ないわ……あんなの物理的にあり得ない……」
「……魔法的にはあり得るんだろ、たぶん?」
「だよね……じゃなきゃひーちゃん、素手で普通に家とか壊せることになっちゃうよ」
その間にひーちゃんからもう一度離れたわたしたちは、遠巻きに眺めながらも驚くばかりだ。慣れたと思ってたけど、この数分の間にどんどん上限が更新されていくなぁ!
だけどひーちゃんが対抗していられたのはそんなに長くなかった。だって、ひーちゃんが全身を使って巨大キツネをとめてるのに、巨大キツネのほうは片手で押してるだけなんだもん。片手は普通に空いてるし、なんなら尻尾だってあるし。
実際、巨大キツネが両手を使い始めたことでひーちゃんはまた一気にピンチになった。猫がボールで遊ぶみたいに数回両前脚でもてあそばれた彼女は、ぱくりと食べられてしまったのだ!
「あーっ、あーっ!?」
「おいバカやめろォ!?」
「光さんー!? 逃げて光さぁん!!」
わたしたちのそんな声が役に立つはずもなく、ひーちゃんの姿が見えなくなる。
……あ? あ、でもギリギリ大丈夫っぽい? 口の中で杖をつっかえ棒にして、口が閉じるのをギリギリのところで防いでる! ひーちゃんがんばれ!
というか、むしろあれは作戦だったりするのかな。一寸法師みたいに、中から攻撃する……みたいな。どんなに強い敵でも身体の中はそこまでじゃない、ってのは一種のお約束だよね。
「吹き飛べ!」
本当にそうだったみたいだ。巨大キツネの中からひーちゃんの声が聞こえるより早く、口の中から青い光が漏れ始めた。
そしてひーちゃんが言うのと同時に、ものすごく大きな音を響かせて巨大キツネの顔が吹き飛んだ。
宣言通りにされた巨大キツネは、口もないのにどこからか悲鳴を上げて倒れ込む。痛みを感じてるのか、その場でじたばたをもがき始めた。
……サイズがサイズなだけに、これだけでもまるで地震だよ。めっちゃ地面が揺れてる。
と、そこにひーちゃんが降りてきた。オリンピックみたいな綺麗な着地を決め……きれなくて、がくりと手と膝をついてしまう。
「ひーちゃん!」
「大丈夫か!?」
「怪我はない!?」
「致命傷はない。が……このままでは埒が明かん」
わたしたちが近づくのを手ぶりでとめながら、ひーちゃんがため息をつく。そのまま巨大キツネに血のにじんだ顔を向けた。
思わず同じようにしたけど、倒れたままもがいてる巨大キツネの顔が少しずつ再生しているのが見えた。これでもダメなの!? 頑丈すぎない!?
「ど、どうするの……?」
「ここまで来れば致し方あるまい。枷を外す」
返事の意味がわからず、わたしは首を傾げる。はーちゃんとふーちゃんも一緒だ。
そんなわたしたちをよそに、ひーちゃんは自分の顔に左手を当てた。手のひらで右目を隠すように。そうして彼女は、少し力んだ。ように見えた。
「……っ!?」
けど、変化は劇的だった。見た目は何も変わってないはずのひーちゃんから、ものすごい量のオーラが放出され始めたのだ。
それだけじゃない。オーラと一緒に、ものすごいプレッシャーを感じるようになった。これを敵意と一緒に叩きつけられたらと思うと、恐ろしいほどで。
思わずごくりと唾を飲んだわたしたちに対して、深呼吸とともにひーちゃんが左手を下ろした。そこから出てきたのは……。
「ひ、ひーちゃん……!? その目……!」
赤だった。今までのひーちゃんにはまったくなかった、ちょっとも感じられなかった赤。
青いはずの右目が、赤に変わっていた。
「お、おいトー子、お前まさか!」
「悪魔になりかけてるんじゃ!?」
はーちゃんとふーちゃんの声に、わたしははっとなった。
そうだ。魔法は使いすぎると悪魔になっちゃうんだ! なのになんで自分から……!?
「……こうでもせねば奴を消せぬなら、仕方あるまい」
「で、でも……!」
ひーちゃんは違うなんて言わなかった。つまり、そういうことなんだろう。
ってことは、今の彼女は本当に悪魔になりかけてるんだ。そうに違いない。
実際、呼吸も少し荒い。深くて荒い。無理をしてるのは間違いない。
そうしないと勝てない相手ってことはわかった。わかったけど……でも、心配は心配だよ!
「安心せい……すぐに終わらせる」
にたり。
ひーちゃんが笑った。いつものと似てるようで、少し違う笑い方だった。少なくとも、わたしにはそう見えた。
だけど、深く考える前に彼女は背中を向けてしまう。
そこに、顔の再生が終わった巨大キツネが立ち上がる。今までとは違って、そいつは明らかにひーちゃんを警戒しているのがわかった。身体はしっかり地面を踏みしめて身構えていて……全身が黒いからよくはわからないけど、ひーちゃんを睨んでいるようにも見える。
「『
対するひーちゃんは杖を大きく振りながら、宣言する。
すると空中に、大量のバラの花が咲いた。よく見るとそれは全部炎でできていて……きっとものすごい高温なんだろう。周りの景色が歪んで見える。
それらが一斉に巨大キツネを襲った。バラはあっちこっちから殺到するだけじゃなくって、そいつの身体から生えてきたみたいに次から次へとどんどん現れて、咲いて、そいつを焼き尽くそうとする。
さらに、今まで残っていて、ここまでずっと巨大キツネに砲弾を浴びせ続けていた(だけどほとんど効果はなかった)ヒマワリが、ぐぐんと巨大化した。巨大キツネと同じくらいのサイズにだ。
これだけ大きくなったんだから、ヒマワリが発射する砲弾が小さいままなんてことはもちろんなかった。今までとは比べ物にならない大きな音を響かせて、今までよりもっともっと大きな青い砲弾が大量に巨大キツネに襲いかかる。
悲鳴が上がった。さっき顔が吹き飛んだときよりも大きくて、きつそうな悲鳴だ。今まで全然ダメージを受けてなかった巨大キツネが、間違いなく追い込まれてる!
これが悪魔に近づくってことなんだろうか。だとしたら、悪魔はもっとヤバいんだろうな。
なるほど、悪魔になった人や悪魔に育てられた人が魔法使いから敵視されるのも、なんとなくわかる気がする。こんなこと簡単にできる人が近くにいたら、誰だって怖いに決まってる。
……わたしも? 今、ぎゅって手を握って、ひーちゃんの背中を……彼女が今してることを見てるわたしも、そう思ってるんだろうか。
……確かに怖いかもしれない。うん、怖い。怖いよ。
でも、だけど……それもあるけど、でも!
やっぱりひーちゃんは友達だよ! 怖くったって、友達だ! どんなに怖くっても、友達からは逃げちゃダメだよね!
「……ひーちゃん! がんばって! あと少しだよ!」
だからわたしは、今までと同じように声を出す。口元に手を当ててメガホンにして、彼女の背中を応援するんだ。
「……っ、そ、そうだぜ! 負けんな!」
「……っ、え、ええ! もうひと踏ん張りよ!」
はーちゃんとふーちゃんがわたしに続く。
うん。それに、わたしは一人じゃないもんね。ひーちゃんのこと友達だって思ってるの、わたしだけじゃないもん!
それが意外だったのか、ひーちゃんが半分だけこっちを向いた。驚いた顔をしていて、左側の青い目が丸くなってわたしたちを見ている。
だけど。驚いていたのはほんの少しの間で。
「……ふっ、ふふ、ははははは! ああもちろん! こんなところでくたばってたまるものか!」
彼女はそう笑うと、杖を振り回しながら片方の手で何かの形を作り始める。
「
それに合わせて、何やら唱え始める。独特なイントネーションが連続していて、少し間延びした感じ。今まで魔法を使うにしても、魔法の名前だけで詠唱なんてしなかったひーちゃんが、ここに来て詠唱してる。
ということは?
もしかしてこれから使う魔法は、きっと彼女にとって必殺の……。
「――
そして、詠唱はそこで区切られた。同時にひーちゃんは顔を上げて、大量の光を宿した杖を大きく大きく天に向かって突き上げる。
次の瞬間、彼女を中心にして周りにいくつもの木が現れた。ヒマワリの花よりももっともっと大きい……それこそ宇宙まで行っちゃうんじゃないかって大きさの木。
それがずらっと彼女の左右に現れて、現れて現れて、限りなく広がっていく。
木には花が咲いていた。ピンク色の花。桜だ。
そのすべてがうっすらと光っていて、周りはいつの間にかピンク色の穏やかな光で満ちた空間になっていた。
「――『
ひーちゃんが叫ぶ。同時に、杖を振り下ろした!
するとすべての木が、一斉にすべての花を散らす。花は一瞬空中にぶわっと広がって、けれどすぐに巨大キツネに向けて殺到した。
さっきの火でできたバラとは比べ物にならない量の花びらが、上から下から、右から左から、前から後ろから、すべての方向から巨大キツネを襲う。
そして花びらがぶつかったそいつの身体の部分が、一瞬で消滅する。びっくりするほどの再生力があるそいつは、すぐに身体を再生させるけど……足りない。追いつかない。
だって桜の花びらは、途絶えることがない。次から次へと巨大キツネを襲って、次から次へとその身体を消していく。
やがて花びらの嵐が、巨大キツネの再生力を完全に上回った。再生できないところまで追い込まれたそいつは、あっという間に花びらに包まれて見えなくなって……。
ううん、見えないんじゃない。そこに存在しないんだ。花びらが消してしまったんだ。
……ものすごくきれいな光景だった。これ以上にきれいなものなんてないんじゃないかってくらい、きれいで……そして、ものすごく残酷な光景だな、とも思った。
そうこうしてるうちに、周りの景色が元に戻る。赤しかない、破壊された森と神社。
と思いきや、すぐに別の景色になる。たくさん色がある、破壊されていない森と神社に。
終わったんだ。戻ってきたんだ。
そう思ったわたしたちは、期待を込めてひーちゃんを見る。
彼女はいつも通りの青い空を一回見上げたあと、持っていた黒い杖を元の腕輪に戻して衣装も元通りにすると、ゆっくりとわたしたちに振り返った。
右目はまだ赤いままだったけど……縁のほうから元通り青くなり始めている。
よかった。悪魔になんてならなかったんだ。心底安心したよ。
そしてひーちゃんは、そんな感想を後押しするかのようににんまりと満面の笑みを浮かべると。
わたしたちに向けて、親指を立てて見せた。
「「「……やったー!!」」」
そんな彼女に、わたしたちは大きな声で喜びながら、一斉に抱き着いた。
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