第15話 友達になった日(奏視点)
「今日は送ってくれてありがとね。おやすみー」
「ええ、おやすみ」
「うむ、おやすみじゃ」
車から降りて手を振る平良さんに、私たちも手を振り返す。そのままゆっくり動き出す車の緩やかな振動を感じながら、私は小さく息をついた。
今日はあまりにも衝撃的な出来事が連続しすぎたわ。座席に預けた身体にしっかりとしただるさを感じる。
だからこそ光さんも、車で送ってくれてるのだと思うけれど……家の位置関係的に当然だとも思うけれど……最後に光さんと同じ空間に取り残されたのは、ちょっとだけきまずいわ。
光さんが嫌いというわけでないの。ううん、むしろ尊敬しているところのほうが多いから、それはいいんだけれど。
やっぱり、光さんに指摘されたことがどうしても頭から離れない。それだけ、彼女の指摘は私にとって衝撃的だったのだ。何せ金づちで頭を殴られたような、そんな感じだったのだから。
だから……勉強も運動もなんでもできて、人当たりもいい光さんが、……今は少しだけ怖い。あんな大きなクモのバケモノを、ばったばったと倒していた姿を見てしまったからか、余計に。
さっきは勢いと、ちょっとしたくやしさから、だいぶ光さんをつついてしまったけれど……あんなことをして、本当によかったのかしら? 恨まれていないかしら? いくらなんでもやりすぎだったのでは? なんて、ずっと考えてしまう。
それでこの状況。彼女になんて話しかければいいかしら……。このまま黙ったままっていうのは、やっぱり避けたほうがいいわよね……。
「奏、お主の家は何人家族じゃ?」
「へっ? よ、四人だけど……」
そう思っていたら、その光さんにいきなり声をかけられた。予想していなかったそれに、私は思わず素直に答えてしまう。
答えてから、これは彼女なりの気遣いなんだろうかとも思ったけど……彼女は気にした様子もなく、どこからともなく手のひらの上に指輪を出した。
……これも魔法、よね? さっきも同じようなことをしていたし、間違いないと思うけど……本当にすごいわ。
「ではこれを渡しておく。なんでもいいから理由をこじつけて、家族にも渡してやってくれ」
「え……」
だけど光さんは、やっぱり気にした様子もなく、いつものようにさらりと言いながら指輪を差し出してきた。
それは、彼女の目と同じ色をしている。花房さんがたまに学校に着けてくるものとは違って、目立った装飾は一切ない。とてもシンプルな指輪だ。
ただ、サファイアよりももっと美しい、透き通った青さはとても普通の指輪には思えない。もう日が暮れてて、車内も明かりがないはずなのに、そういう美しさがあるというのがなぜかわかってしまう。不思議な指輪だった。
どこからどう見てもお高そうだし、しかも一気に四つって、本当に受け取っていいものなのかしら?
「お主の考えておることは大体わかるぞ。実際、値は張るものではあるが」
「う、ま、魔法って考えてることも読めるのね」
「いや、お主の場合わりと顔に出るからわかりやすいだけじゃ」
思考を見透かされた気恥ずかしさから、少し上半身を引いた私に、光さんはくすりと笑う。かわいらしい彼女とは少し違う、いたずらっ子のような笑い方だ。
「まあそれはともかく。その指輪は、護りの力が込められた魔法の道具じゃ。もしまた何かしらの怪異に襲われたとき、それがお主を守ってくれる」
「……魔法を使った防犯グッズってこと?」
「ん、そんなところじゃな。防犯グッズというにはちと性能が高いが」
「そうなの?」
「うむ。そうじゃのう、ミサイルの数発くらいは耐えられるはずじゃ」
「それは過剰すぎないかしら!?」
想像の何十倍もとんでもないものだった!
思わず声を上げた私に、だけど光さんは構わず微笑む。先ほどのものとは違って、とても優しい笑い方だった。
「大は小を兼ねるというじゃろ。こういうのは、備えすぎて損はないものじゃ」
「それは、……そうかもだけど……」
「そういうわけじゃから、持っていてくれ。お主に何かあっては一大事じゃ」
「……そういうことなら……」
重ねて微笑んだ光さんに、私はこれ以上話を伸ばすのは失礼だろうと思った。だから、彼女の小さな手のひらから、四つの指輪を受け取る。
そしてそのうちの一つを指でつまみあげて、目の前に掲げてみた。くるくると動かして、中も外も見て見るけど……見れば見るほど不思議な指輪ね。何でできてるのかしら?
改めて手元で見ると、これ最近になって花房さんが着けるようになった指輪と同じものみたいね。なるほど、だから彼女はずっと着けていたのね。
……それにしても、やっぱりすごくお高そうだわ。これを家族に渡すって……どうしようかしら……。
「あとはもう一つ」
むむむ、と急に出てきた難問に頭を悩ませていると、光さんがさらに言葉を発した。
そのまま彼女は、私に対して手招きをする。
「奏、すまんがもう少し近う寄ってくれぬか」
「……?」
言われるままに光さんににじり寄る。
すると、いきなり額に指を突き付けられた。
急に何!?
と思ったけれど、私が身を引くより早く光さんの指先から青い光があふれた。それがまるで生き物みたいに私の身体にまとわりついて消える。私が離れることができたのは、そのあとだった。
「い、今のは?」
「魔法に関わることについて、他言できぬようにさせてもらった。すまんが機密なのでな」
「そ、そんな! そんな大事なこと、同意もなしにいきなりするなんて……」
「言いたいことはわかるし、お主の性格なら大丈夫とも思うが、我々魔法使いの業界ではこれが普通でのう」
「…………」
彼女のその説明に、私は彼女の家でのやり取りを思い出した。
魔法使いの法律が優先される。納得はできないけれど、それが彼女の普通なのだと言われたら、反論できなくなってしまう。
『手前の狭い「普通」で相手の「普通」を否定するのは楽しいか?』
『普通なぞ、ところ変われば変わるもんじゃろうが。お主がやっておることは、外国で日本の法律を持ち出してその土地の人間を勝手に断罪するようなもんじゃぞ』
そんなこと、考えたこともなかった。私にとって普通というのは守るべきルールで、絶対的なものだったから。
だって、ルールがどうしてあるのかと言ったら、必要以上にトラブルを起こさないためで。人に迷惑をかけてはいけないと言われて育った私には、そうあるべきだと思っていた。
そして世の中のどこの家でも、大なり小なり普通の意味は変わらないものだとも。そうでなかったら、みんなも普通はこうだって反発するはず。そう、思っていた。
だけど……もしかして違ったのだろうか? 私がやっていたことは、私の思っていることを押し付けていただけなのではないだろうか? もしそうだったら、私はとてもよくないことをずっとしていたのでは……。
光さんに言われて、私はそう思った。思ってしまった。だからあのとき、何も言えなくて。今も改めて面と向かってこれが普通なんだと言われたら、言葉が出なくなってしまって……。
「……やはりお主はクソ真面目じゃのう」
顔を伏せてしまった私の頭の上から、光さんの声が落ちてきた。
そして伏せたままの私の視界に、小さな手が滑り込んでくる。言うまでもなく光さんの手だ。ひんやりしているけれど、奥のほうに暖かさを感じる手。
「そう考えすぎんでもよい。お主が善性の持ち主で、自己を律することのできる良き人間であることは疑いようもないのじゃから」
彼女はそのまま私の手を取ると、もう片方の手も使って両手で包み込む。
「間違っていることを間違っていると言えること。それは得難い資質じゃよ。お主は正しい。誇ってよいぞ」
「……光さん……」
正しい。そう言われて、なんだか心が軽くなったような気がした。頭も。
なんとか顔を上げる。そこにあった、光さんの目と目が合った。
吸い込まれそうになるくらいに美しい、青い目だ。真っ暗な宇宙の中で、たった一つだけ命を育んだ星である地球のような、輝く青。その輝かんばかりの色彩は、なんだか魔法のようでもあった。
「じゃがこの世界は〇か×だけで語りつくせるほど単純ではない。いや、むしろ△が最も多いくらいなのじゃからな」
「さんかく……」
「白と黒、そして灰色、と言い換えてもよい。右と左、そして真ん中、という言い方もあるな。まあ言い方はどうでもいい。要はやりすぎなければいいんじゃよ」
「……でも、そんなの、どうすればいいか」
「当り前じゃ、最初からわかってたまるか」
「え」
わからない。うまく言葉にできなくて、どう言えばいいのかわからなくて……。
うつむこうとしたところで飛んできた言葉に、私は固まった。
「あのなあ奏。人間、最初からなんでもうまくできるはずがないじゃろ。こういうのは、人付き合いの中で少しずつ学んでいく……そういうものではないか? だからこそ学校があるのではないのか?」
「……あ……」
私の目が、大きく開いたような感じがした。思わず正面からもう一度、光さんの顔を見る。
「お主のそういうところがクソ真面目と言うんじゃよ。そもそもお主はまだ小学生ではないか。いくらでも失敗してよい立場じゃ」
その反応が期待通りだったからか、光さんは笑っていた。いたずら猫のような、ちょっとだけいじわるな……そんな笑い方で。
だけど、その笑みはすぐに変わった。底抜けに優しい、透き通った微笑みに。
「失敗しながら、少しずつ学んでいけばいいんじゃよ。恐れずともよい。恐れさせたわしが言うのもなんじゃがのう。
だからと言うわけではないが、練習相手にならいくらでもなるさ。きっと泉美や樹里愛もな。共に死闘から生き延びた仲であろう?」
「……う、うん……!」
私は頷いた。何度も何度も頷いて……ずっと握ったままでいてくれた光さんの手を、ようやく握り返した。
うまく言葉にできないけれど。
このとき、私は初めて光さんと本当の意味で友達になれたんだと思う。
違うと言う人もいるかもしれないけれど……少なくとも私は、そう思った。思えたのだ。
「……光さん、今日はありがとう」
そして、いつの間にか帰りついていた自宅の前で。車から降りた私は、中から身を乗り出す光さんに言う。
心の底から、思ったことを素直に言えたと思う。
だけど光さんは、くすぐったそうに笑って手をひらひらさせるのだ。
「うむ、どういたしましてじゃ」
こういうとき、あんまり謙遜しないで胸を張れるのは、きっと光さんのいいところなんだろうな。そして彼女の中では、これが普通なんだと思う。
私なら、大したことはしてないって言ったかもしれない。それが私にとっての普通だ。だった。
だけど。ここで光さんにそうされるのは、なんだか違うわよね。だって、私はとても嬉しかったんだから。それだけのことをしてくれたって、本気で思っているのだから。
……ああ、もしかして光さんの言うやりすぎるな、というのは、こういうことでもあるのかな。
「……本当にありがとう。おかげで肩の荷が下りた気がするの」
だから、気づいたらもう一度私はお礼を言っていた。
「なんじゃ、既にお主の感謝は受け取ったぞ。これ以上はもらっても持ちきれんわい」
これにはさすがの光さんも、少し謙遜をして首を振る。……独特の言い方だったけど、したのよね?
うん、したんだと思う。そういうことにしよう。
ということで私はうんうんと首を縦に振る。まあ、その意味がわからなかったのか、光さんはちょっと眉をひそめていたけれど。
「……さて。わしはもう帰るぞ」
「ええ。……また、明日学校でね」
「おうとも。また明日、じゃ!」
そして彼女は白い歯を見せてにっと笑う。
その笑顔が、緩やかに動き出した車に合わせて流れていく。
私は、そんな友達に大きく手を振って見送るのだ。
車の窓から出た彼女の小さい手は、そんな私に応じる形でいつまでも。車が曲がり角を曲がって見えなくなるまで、振り続けられていた。
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