第3話 だから、そこまでしなくっても!

「お父さん! お父さん!」

「おー、お帰り泉美」


 その日、家に帰ったわたしはまっすぐお父さんの仕事部屋に駆け込んだ。

 お父さんはいつもみたいににっこり笑いながら、持っていたペンタブレットを掲げて見せる。


 そんなお父さんにまっすぐ駆け寄りながら、わたしは声を上げた。


「お父さん聞いて! 今日ね、うちのクラスに転校生が来たの!」

「えぇ? こんな半端な時期に転校生って……なんだか事件の匂いがするね!」


 後半、なぜか渋い声で返すお父さんは、さすがわかってる。こういうときは話が早くてとっても助かる!


「しかもね、すごいんだよ。光さんって言うんだけど、勉強もスポーツもなんでもできて」

「ほほう?」

「英語もペラペラで」

「おおう」

「なんでか『〜のじゃ』とかいう時代劇みたいな喋り方で」

「なん……だと……?」

「大きな黒い車で送り迎えされてたの!」

「待て待てちょっと待て、いくらなんでも属性盛りすぎだぞ!?」


 がしがし頭をかきながら、お父さんが天井を見上げた。


「文武両道でのじゃロリのお嬢様だって? そんな人間がこの世に実在するのか!?」


 そしてなんだか悲鳴みたいな声を上げる。


「なんてことだ……現実が二次元に追いついていたとは……。事実は小説より奇なりってやつか……!」


 うおおお、なんて声を漏らして今度は机の上で頭を抱える。

 その前にあるパソコンの画面では、ドリルみたいなカールヘアーをしたいかにもな女の子が、「~ですわ」なんて口調でしゃべる吹き出しと一緒に描かれていた。


 お父さんはさらに持ってたペンタブレットを放り投げると、


「こうしちゃおれん! 今日はもう仕事はやめだやめ!」


 そう言いながらわたしの身体を抱き上げた。


「泉美、その子のことをもっと詳しく聞かせてくれ!」

「う、うん、まだ知らないことだらけだけど、わかる範囲でね」


 お父さんの目はらんらんと輝いていた。

 相変わらず子供より子供っぽいお父さんだよ。そこがいいところでもあるんだけど。


 ……でも締め切り大丈夫なのかな。確かもう十日もなかったと思うけど?


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 とはいえ、わたしが持ってる光さんの情報なんてそんなに多くない。何せまだ会って初日だもん。


 だからお父さんにした説明はそんなに長くかからなくて、あっという間に終わっちゃった。

 それでもお父さんは満足だったみたいで、今はご機嫌で台所に立っている。


 ああ……あれはたぶんそう遠くない未来に、お父さんの連載に光さんっぽいキャラが出るなぁ。お父さんの背中がそう言ってる。

 それはそれで楽しみではあるんだけど、もし光さんに知られたら怒られたりしないのかな。なんか、肖像権? とかってのがあったような。


 まあでも、それは子供のわたしが考えても仕方ない。これについては考えないことにして、わたしはゲーム機に手を伸ば


「泉美ぃ、宿題は終わったのかな~?」

「う……」


 ダメだった。


「わかったよぉ……。宿題やるから、ちゃんとあとでゲームやらせてよ? お父さん、たまに占領しちゃうじゃん」

「今日はちょっとラフを描いておきたいからたぶんそっちはやらないかな!」


 ……完全に光さんモデルのキャラ出す気だ、あれ。


 いやいや、それは置いといてだ。こうなったからには一刻も早く宿題を終わらせないと。昨日はボスに負けちゃったから、じっくりレベル上げしたいんだ。


 えーっと、確か今日の宿題は漢字と算数のドリルが二ページずつと、社会のプリントが……あれ?


「……ない。学校に忘れたかな」


 ランドセルの中をどれだけ漁っても、目当てのプリントは出てこなかった。


 うーん、これはやからしちゃいましたね。

 別に宿題忘れても、今年の先生はそんなに怒らない人だからどうにでもなるんだけど……お父さんにバレたらしばらくゲーム禁止されちゃう。今年はもう二回バレてるから、ほぼ間違いなくされる。それはヤだ。


 はあ……仕方ない。取りに行くしかないか……。


「お父さん、忘れ物したから学校行ってくるね」

「おやおや、そりゃ仕方ないなぁ。学校には連絡入れておくから、気をつけるんだぞ。防犯ブザー忘れずにね」

「うん、大丈夫」


 防犯ブザーはたくさん持ってるもん。お父さんは心配性だ。


 その中から一番簡単に使えるやつを一つつかんでポケットに入れると、わたしは急いで外に出た。

 そのままついさっき通った道を逆走して、足早に学校へ向かう。


 まだ太陽は沈んでないけど、早くゲームがやりたい。その一心で、登校するときよりも少し早く学校に着いた。


「いらっしゃい平良さん。お父さんから聞いてるわよ、忘れ物したんですって?」

「えへへ、宿題のプリントを忘れちゃって」


 昇降口は閉まってたから、職員玄関のほうから回り込んだら先生が待っていてくれた。

 少し困ったように笑う先生にぺこりと頭を下げて、校舎に入る。


「はい、これ教室のカギよ。用事が済んだら職員室まで返しに来ること。いいわね?」

「はぁい」


 そこで先生からカギを受け取って、放課後の校舎を歩き始める。


 たまに忘れ物をして、こうやって放課後に学校に来ることがある。そんなときいつも思うんだけど、普段はにぎやかな学校の中が静まり返ってるのがすごく不思議な気分になるんだよね。

 静かなのもそうだけど、人の姿がないのも不思議。まるで違う世界に迷い込んだみたい。

 これを見てるとなんとなく怖いような気分になってくるんだけど、みんなも同じふうに感じたりするのかな。だとしたら、学校の怪談話はどうあがいてもできちゃうものなのかもしれない。


 ……なんて考えながら歩いてたけど、もちろん実際にそんなことが起こるなんてなくて、普通に教室までたどり着いた。

 何事もなくカギを開けて中に入って、自分の席へ。その中を漁ってみれば、目当てのプリントがあっさりと見つかった。


「あったあった。早く帰って終わらせちゃおう」


 プリントをバックに入れて、ふう、とため息をついて外へ。入ったときと同じようにカギをかけると、これまた同じように職員室に向かう。


「……?」


 その途中、なんだかおかしな感じがして外に顔を向けた。

 窓の外にあるのは、もちろん学校の外の景色。だけどそれが、いつもと違ってるように見えた。


 なんだろう、何が違ってるように見えるんだろう?


 しばらく考えてたけど、答えが出るより早く職員室に着いちゃったからそれについては頭から捨てる。

 だけど職員室に入ったところで、もう一度わたしはおかしな感じに囚われた。


「失礼しまーす。カギ、返しにきま……あれ?」


 そこには誰もいなかった。きょろきょろ見渡してみるけど、うちのクラスの先生だけじゃなくて他の先生の姿もまったく見当たらない。


 これは、絶対におかしい! いつもだったら結構遅い時間まで誰かがいるのに。誰もいないなんてありえないぞ。


「先生ー? あの、誰かいませんかー?」


 そう思って声を上げたけど、返事はなくて。

 ただ耳が痛くなるような静かさだけが職員室の中を満たしていた。


「……え、ええと、あの……カギ、返しますー……」


 それがたとえようもなく不気味に思えて。

 なんだかすぐにここを離れたくなって、わたしはいつも先生がいる机にカギをそっと置くと、くるっと回れ右した。

 そのまま急いで職員室を出て、職員玄関から学校の外に出て……。


「……っ!?」


 そこでやっと、少し前に感じていたおかしさに気づいて息をのんだ。


 空が、赤い。夕焼けの赤さじゃない。絵の具の赤をそのままぶちまけたみたいな、暴力的な赤が空を覆っていて……ものすごく気色悪かった。


「な……何? 何これ、どうなっちゃってるの?」


 怯えながら周りを見てみる。

 相変わらず人の姿は見当たらなくて、当然答えも返ってこない。あまりにも異常で、わたしは何もされてないのにどんどん心細くなっていった。


「ひゃっ!?」


 近くにあった木が揺れて、思わず悲鳴を上げる。

 慌ててそっちに目を向けたけど、特に何もなくて……風で揺れただけかと思って深く息をはく。


「か……帰ろう……。……お父さん……そうだ、お父さんは大丈夫かな……」


 だけどいつまでもそうしてるわけにはいかなくて。

 わたしは家にいるはずのお父さんの姿を思い浮かべて、走り出した。


「――XAAaaaaa!」


 その背中に。

 得体の知れない、聞いたことのない声が聞こえた。


 それはまるで……そう、まるで映画とかで見る怪獣みたいな声で。

 わたしは後ろを振り返ることなく、走る足を速めた。


「VXAAaaaac!」


 それがいけなかったのか。

 さっきの声が、さっきより近い所で聞こえた。それに合わせるかのように、どしん、どしん、と何か重い音が響いてくる。

 そしてそれが、近づいてくる。後ろから、少しずつ。少しずつ。


「はあ……っ、はあっ、はあ……っ! や、やだ……っ、やだ……っ!!」


 どんどんどんどん近づいてくる足音。それと声。振り返るなんて、怖くてできない。涙がほっぺを伝う。

 あまりにも怖くて、家に帰る道もろくに選べなくて進む方向はめちゃくちゃだ。とっくに防犯ブザーは起動していて、けたたましい音が周りに響いている。


 それなのに、やっぱり誰にも会わなくて……もう何がなんだかわからない。


 誰か。誰か助けて。よくわからないけど、誰か!


 そう願ったところで、突然足音が消えた。


 助かった?


 そう思って、わたしはつい振り返った。振り返って、しまった。


 瞬間、わたしはそれと目が合った。いや、目が、というのは正しくないんだけど。

 ともかくわたしは、たぶんジャンプしたんだろうそれと……空中にいるそれと、目が合って……。


「いやああぁぁぁーっ!?」


 黒い、真っ黒な化け物。人に近い姿形で黒い羽が生えてて、角があって、尻尾もある。なのに、顔は平べったいのっぺらぼう。そんな、化け物が。


「VXAAaaaac!」


 吠えながら、わたしのすぐ目の前に着地した。

 激しい音と一緒にアスファルトにひびが入って、その衝撃と迫力にわたしはその場でしりもちをつく。


「ひ……っ、ひえ……っ」


 ぐるり、とこちらに向き直った化け物がわたしの顔をじろりと見る。


 何がなんだかわからない。意味が分からない。なんで、どうしてこんなことに。

 今も鳴り続ける防犯ブザーの音をBGMに、わたしはわたしの頭に伸びてくる野太い腕を眺めるしかできなくて――。


「――させぬ!」


 声がした。

 後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 続いてしゃりん、と鈴が鳴るような音も。


 その瞬間。わたしの頭の上を何かが通り過ぎて……。


「はあッ!」


 その何かが、長いものを振るって化け物を殴りつけた!


「GIIiiiaaa!?」


 よっぽどそれが痛かったのか、化け物は悲鳴のような声と共に後ずさる。

 と同時に、わたしと化け物の間に、立ちふさがるように小柄な人影が降り立った。


 風になびく、黒いポニーテール。それは赤い色彩に負けないように、まるで輝いてるみたいで……。


「……間に合ったな。怪我はないか、泉美?」

「……光、さん?」

「おうとも」


 こちらに半分だけ向けられた瞳は。

 いつの日か見た流れ星のような、美しい青い輝きを放っていた。


「……まあ、あれじゃ。色々聞きたいことはあるかもしれんが……その前にこれを片付けるゆえ、しばし待て」


 そして彼女はなんでもないことのように言うと、前に視線を向けて身構えた。


 その手にあったのは、彼女の身長よりも大きな黒い杖。先端部分は三日月みたいになっていて、その中心部分……杖のどことも繋がっていない空中に、青くて丸い宝石が浮かんでいる……。


「Guuaaaa……!」

「ふん、迷い込んだ夜鬼ナイトゴーントごときが生意気な」


 怒ってるような態度を取る化け物。


 だけど光さんは、そんな化け物を鼻で笑う。ぐるん、と杖が躍る。彼女の身体も、それに併せて大きく躍動した。

 同時に、彼女が振るった杖、その先端にあった宝石が光る。美しい青い光を放ちながら、杖がごう、と吠えた。


「失せろ。ここから先はうぬらがいていい世界ではない!」

「GIIiiiaaaxtuuu!?」


 その動きは、まったく見えなかった。きっとすごい速度で振るわれたんだと思う杖は、化け物の両腕を相次いで切り飛ばしていた。

 化け物も、痛みがあるみたいでさっきよりも大きな悲鳴を上げる。


 だけど光さんは容赦なく、次の攻撃を放とうとしていた。それを見た化け物は、大きくジャンプ。近くにあった電信柱の上に着地する。

 そして反撃……するかと思いきや、一目散に逃げだした。


「逃さん!」


 化け物の背中にそう言って、光さんは杖を空に掲げる。

 すると杖の先端からやっぱり青い光が生まれて……一瞬でそれが丸いボールみたいになった。しかもたくさん。


「行け!」


 そして光さんが杖を前に振るうと、その青いボールが一斉に飛び出した。

 ううん、違う。あれは弾丸だ。青い弾丸一つ一つが意思を持ってるみたいに、化け物を追いかける。しかもすごいスピードで。

 まるでマシンガンみたいにたくさん放たれたそれらは、あっという間に化け物に追いついて、次から次に命中していく。


「Guuaaaa!?」

「トドメじゃ」


 そして全弾が見事に命中……する一瞬前に、それを知ってたみたいに言った光さんが、前へ杖を突きだす。

 今までと同じように先端には青い光があって……だけど今までより明らかに多くの光に、わたしは思わず目を細める。


 それでもわたしは、確かに見た。化け物が地面に落ちていくのと同時に、光さんが杖から特大のビームを発射したのを。

 轟音が周りに響いて、耳をふさごうとしたけど間に合わなくって変な声が出て……そしてそのビームが化け物を飲み込んで、チリ一つ残さず、それどころか悲鳴ごと完全に消滅させてしまった。


「……ふう。ひとまず終いか」


 しばらく光さんは周りを警戒してずっと構えたままだったけど、やがてそうつぶやいて構えを解いた。


 そのままわたしのほうに向きなおった彼女の手から杖が消えて、右手首に黒い腕輪が現れる。


「大丈夫か? 立てるか?」


 そして彼女はわたしの前に膝をつくと、小さな手を差し出しながらそう言った。

 わたしはうんうんと頷くことしかできなかったんだけど……でも目に見える恐怖がなくなったからか、あれこれ考える余裕が少しずつ戻ってきていて。


 だからこそ、思った。思ってしまった。


(勉強も運動もできて、英語もペラペラで、のじゃ口調でお嬢様で、おまけに魔法少女って!? いくらなんでもやりすぎだよぉ!!)


 声にしなかったのは、我ながらがんばったと思うんだ……。

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