第66話「海の底から守り神が現れたので、事情を話して交渉してみた」

 事件のあと、仮面を外された『神命騎士団』は全員正気に戻った。


 彼らは『神命騎士団』に加入したあとはずっと、夢の中にいるみたいだった、って証言していた。


 最初の数人は、エテリナ=ハースブルクに買い取られて「奴隷の身分から解放する代わりに配下となれ」と命じられた人たちで、あとの者たちは「『神命騎士団』は成果を上げているし、強いメンバーもいるんだから……」って思って、仲間に加わったらしい。


 その後は仮面による精神支配を受けて、操られて。


『神命騎士団』の何人が使い捨てにされて、何人が死んだのか、把握しているのは侯爵令嬢だけ。


 その侯爵令嬢エテリナは、半ば正気を失って、地下牢でうずくまっているらしい。


「さわるな未開人」


「私は勇者だ。異世界から呼ばれた者だ」


「『ギルドマスター』が来たらあんたたちなんか全滅だ」


「わたしがなにをしたっていうの……」


 そんなことを、ぶつぶつつぶやき続けているのだという。


『海竜の聖地』が荒らされて、イルガファ領主家の別荘が奪われて、しかもその原因を作ったのが次期領主だったなんてことは、イリスんちとしてはとても公表できないことで──


 今回のことは裏で処理することになるでしょう、と、イリスは言った。


 エテリナの件は、侯爵家に質問状を提出。本人は地下に幽閉。


 イリスの兄ノイエルは親戚に預けて、次期領主は分家から養子を迎え入れる。


 そして、イリスは……




「改めてお願いします、ソウマさま。祭りの儀式にご一緒してください」




 疲れ果てた顔で、僕に依頼した。


 こんな状態のイリスをひとりでダンジョンに送り出すには、僕は彼女を知りすぎてた。


 だから、


「わかった。儀式に付き合うよ」


 って、僕はイリスに答えた。


「本当にイリスを巫女の立場から解放できるかどうかはわからない。それでもいいのか?」


「はいっ」


 イリスは唇をむすんで、涙をこらえてるみたいな顔で、うなずいた。


「ありがとうございます、ソウマさま……あり、がと……」


 僕の手をとって、やっぱり我慢しきれずに、泣き出したのだった。






 儀式に参加することになったからには「海竜の伝説」について調べておく必要がある。


 なので、僕はイリスから資料を借りることにした。


 儀式までの一日半。その間に詰め込めるだけ詰め込んでおこう。


 まぁ、もとの世界のテストだって、一夜漬けでこなしてたからね。




「海竜の伝説」にはいろんなパターンがある。


 共通してるのは、海竜の娘と勇者が恋に落ちたあと、勇者がクエストをクリアすることで海竜に婿むことして認められる、ってものだ。


 海竜の娘と勇者の出会いには、いくつかのヴァージョンがあった。


 海竜の娘が勇者に恋をして、人の姿になったというもの。


 竜の姿をした娘に勇者が恋をして、その思いに答えた娘が人の姿になったもの。いろいろだ。


 ほとんどの話はラブスートーリーか冒険譚で、海竜の娘と勇者はみんなに祝福されたことになってる。


 ただ、ひとつだけ──イリスが「これは異端の物語ですけど」って言って貸してくれた本では──海竜の娘は、人間に攻撃されたことになってた。


 人間の少年に恋をして、海竜の力を借りて人間の姿になったのはいいけど、身体に鱗があったせいで、化け物として扱われた、って物語だった。


 海竜の娘は、人々に石を投げつけられて追われて、死にかけたところでやっと勇者に再会した。その後、人に迷惑をかける『海竜の天敵』を勇者が倒したことでみんなが綺麗に手のひらを返した。最後には海竜にも祝福されて、このイルガファで暮らすようになって、物語は終わっていた。


 はっきりいって暗い。


 でも、これが一番しっくりくる。


 逆に、この世界の人たちが普通に海竜の娘を受け入れたって話の方がうさんくさい。


 だって、この世界の人間はセシルの同族を──魔族を滅ぼしてる。


 そして人間至上主義の「イトゥルナ教団」が幅をきかせてる。


 イリスだって、あのバカ兄貴に「化け物」呼ばわりされてたわけだから。


 どれが事実かはわからない。


 ただ、イリスの証言から『勇者』と『海竜の娘』のようにイリスと繋がれば、彼女を巫女の使命から解放できるってのははっきりしてる。これは巫女が語り継いできた伝承らしいから、間違いないだろう。


 あとは海竜がどんな提案をしてくるか、ってことだ。





 いくつかパターンを考えてみた。


(1)イージーモード

『大怪魚レヴィアタン』を倒した時点で使命完了。海竜にお願いすれば、勇者特典で巫女と繋がったことにしてもらえる。


(2)ノーマルモード

 将来に期待。もうちょっと巫女と仲良くなって心理的に繋がればOK。


(3)ハードモード

 海竜ケルカトルの目の前で主従契約。『能力再構築』を駆使してイリスと『魂約エンゲージ』する。


(4)18禁モード

 イリスと物理的に繋がる。


(5)アナザーモード

 巫女と繋がるために、別のクエストを要求される。





「……可能性が高いのは(2)か(5)。(1)だったら楽でいいんだけどな」


(4)は……提案されてから考えよう。


 念のため、全部の可能性を考えて、対策を練っておくことにした。






 祭りの日。


 僕たちはまた、ダンジョンの大広間に来ていた。


 メンバーは僕、セシル、リタ、そして巫女のイリス。


 選定理由は『中枢のプレッシャー』に耐えられるのがこの4人だけだから。


 アイネとラフィリアは地上で留守番をしてくれてる。


 町では住民が音楽とともに踊り回って、大通りを海竜のハリボテが練り歩いてるらしいけど、ここは静かだ。


「……それでは、中枢の扉を開きます」


 イリスは緊張した顔で、中枢に通じる扉を見つめている。


 彼女が着ているのは、儀式用の衣だった。


 色は純白。肌が透けて見えそうなくらい薄い生地に、海竜をかたどった刺繍ししゅうがほどこされている。できるだけ海竜と近い姿になるってのがコンセプトらしくて、服の裾が地面を引きずるほど長い。いつもならおつきのメイドさんが裾をもってついていくんだけど、今回はその役目を僕が担うことになった。


「セシルさま、リタさまも、よろしいですか?」


 イリスは扉に手をかけた。


 彼女が触れただけで、重い鉄の扉が、ぎし、と動き始める。


「「はいっ。準備はできました (たもん)」」


 そう言って、セシルとリタが僕の腕にしがみつく。


「こ、こうしてればナギさまの謎パワーで守っていただけますから」


「そ、そうね。わ、私たちの……ぁ……ぃは、中枢のプレッシャーなんかにまけないもん」


 謎パワー違う。


『魂約』の結びつきで、『海竜の勇者』の抵抗力がふたりに流れ込んでるって説明したよね?


「……参ります」


 イリスはふたりを見て、少しさみしそうな笑みを浮かべてから、扉を押し開けた。


 冷えた風が吹き出してきて、セシルとリタが震え出す。


「じゃあ、行ってくる」


 それが落ち着くのを待ってから、僕はふたりの手を放した。


「は、はいぃ」「気をつけて……ナギぃ」


 だからそんな迷子の子犬みたいな顔するのはやめなさい。


 遠くに行くわけじゃない。隣の部屋に移動するだけだ。話ぐらいはできるから。


「それでは……お兄ちゃんをお借りします」


 ふたりに代わって、イリスが僕の手を取った。


 震えてた。


 今回の儀式で、イリスは運命が変わるかもしれない。


 たとえて言えば、ブラック企業から転職するために、超ホワイトな会社の面接に行くようなものだ。緊張するのも無理ないよな。


「大丈夫」


 保証なんかなにもないけど。


 イリスの前では『海竜の勇者』っていうご当地キャラをやるって決めたから。


「もしも儀式に失敗したらイリスをチートキャラにして、イルガファを異能と恐怖で支配できるようにするから。そういう自由もありだろ」


「それはそれで楽しそうですね……お兄ちゃん」


 イリスは深呼吸して、僕の手を握り直して、歩き出す。


 そして僕たちは、海竜の中枢へと入ったのだった。







 ダンジョンの中枢は、青白い光に包まれた空間だった。


 天井がドーム状になっていて、そこから薄青い光が降り注いでいる。光っているのは、海竜ケルカトルの鱗らしい。


 潮が満ちると、ここは天井まで海水に浸かる。


 そうすると、儀式の時に海竜からはがれた鱗が天井に貼り付く。長い時間、それを繰り返して、いつの間にか鱗は天井の一部になる。


 光っているのは、海竜の魔力に反応しているから。


 祭が近くなると青白く輝き、地下に神秘的な空間を作り出すんだそうだ。


 地面は平らな岩場で、中央には、学校のグラウンドくらいの広さの湖がある。潮のにおいがするのは、湖が海につながっているからだろう。


 湖の手前には小さな祭壇……高さ1メートル前後の柱がある。


 表面には文字と、紋章が刻まれている。内容はよくわからない。わかるのは、紋章が海竜ケルカトルをかたどってるってことくらいだ。


「海竜召喚の儀式をはじめます。ソウマさまは、少し離れていてください」


 そう言ってイリスは、湖に近づいていく。


 ゆっくりと、水の中に入っていく。


 膝くらいの深さまで入ったところで立ち止まり、イリスは両手で水をすくった。


 ぱしゃ、と、それを肩にかける。


 右肩。左肩。


 胸。


 背中。


 自分を水の中に溶かそうとしてるみたいに。


 薄衣がイリスの身体に張り付いて、白い肌が透けて見える。


 細い背中も、


 腰も、


 肩のうろこも。




今代こんだいの巫女、イリス=ハフェウメアの名において、海竜との『契約コントラクト』を望みます」


 イリスの綺麗な声が、地下の空間に響きはじめる。


 それはまるで、僕の世界の祝詞のりとのようだった。




『悠久の妙なる誓いを


 この地に結びつきたる 古き神の


 眷属の末裔たるものの 声を発し


 汝と民とを結ぶ巫女が 請い願う


 周年の祭りをこの場で 担いしは


 海に生きる民の安息と 祈りなり』





 イリスは歌いながら、踊ってる。


 身体を水につけたまま、イリスは細い腕を伸ばし、水をすくい。


 白い肌を流れ落ちる水流に、口をつける。




 右腕を挙げる。


 水流が、白い肌を伝い落ちる。


 身体を回す。


 水滴が、湖面に波紋を作り出す。




 僕以外に誰もいない地の底で、イリスは海竜をたたえる舞いを続ける。




暦年れきねんの契りを交わさん


 我は汝の血を受け継ぎし 人の子


 汝は我の父祖と呼ぶべき 竜の者


 暦年の契りを新たにせん


 汝をあがめし民の声を 聞け』





『海竜ケルカトルよ……ここに』





 舞いが終わった。


 イリスはこっちを向いて、恥ずかしそうに胸を押さえて、一礼。


 綺麗だった。


 僕には芸術的なことは、なにもわからないけど。


 動作とか、歩調とか、呼吸とか、そういうものを全部極めると、こういう舞いができあがるんだろうな。


「もしも『初代儀式の再演』ができて、イリスが巫女の使命から解放されたら」


 イリスは僕を見て、言った。


「今度は、ソウマさま──お兄ちゃんのためだけに踊りますね」


「それはもったいなさすぎるよ、イリス」


「では、奴隷仲間のみなさまのために」


「奴隷化確定かよ」


「ソウマさまといつも一緒にいる方たちと同じものになりたいと思うのは、当たり前のことでしょう?」




 そんな話をしてたら




 ろろろぉ


 空気が、揺れた。




 ろろろぉ


 湖が、波打ちはじめた。




 柱を海水が叩く。地面が揺れる。壁の光が増す。空間が真っ青に染まっていく。


 膨大な魔力をもつなにかが、この場所に近づいてきてる。


 でも『魔力探知』を持たない僕には、詳しいことはわからない。


 セシルだったらわかるんだけど……セシルなら。




『セシル。わかる?』




 聞いてみた。


『わかります。ナギさま』


 頭の中に返事が返ってきた。


 セシルは大広間にいる。


 鉄の扉で隔たってるけど、直線距離ではそんなに離れてない。


 だから、さっきこっそり『意識共有マインド・リンケージLV1』で繋がっといたんだ。いろいろ確かめたいこともあったからね。


『海の底から、ものすごい魔力を持つ存在が近づいてきてます。あ……はい。リタさんの「気配察知」にも反応ありだそうです。敵意は感じない、けど、あまりに存在が大きすぎて怖い、って言ってます』


「サイズは?」


『とにかく長いです。聖地をすべて取り囲むくらい。こんなのがいたら──まもの──ちかづけ──な──』


 セシルの声が途切れ途切れになってる。


 海竜の膨大な魔力のせいでジャミングがかかってるのかもしれない。


 セシルに『またあとで。なにかあったら連絡して』って告げてから、僕は意識を湖の方に向ける。中枢でも『チートスキル』が使えることは確認できた。今はそれで十分だ。


「海竜がきます。ソウマさま」


 湖からあがってきたイリスが、僕の手を握った。


 ぶぉ、と、風が渦を巻き、湖の水を巻き上げる。


 舞い上がった水が、豪雨みたいな勢いで降ってくる。僕とイリスをずぶぬれにする。


 イリスはすでに全身水びたしで、白い衣が細い身体に張り付いてる。ぶっちゃけ、服を着てないのとあまり変わらない。イリスは僕に背中をあずけてくっついてる。僕はイリスの肩に手をおいてる。ふたりとも、触れてる部分だけがあったかい。


 イリスの鱗が真珠色に輝いてる。僕が『海竜の勇者』認定されてる証拠だ。


 ……耳鳴りがする。


 緊張してるせいか。それとも中枢の空間が震えてるからか。


 異世界にきてから色々あったけど、ここまで巨大な存在と向き合うのは初めてだな。


 いや、違うな。


 セシルたち『チートキャラ』なしで、こういうでっかいのと向き合うのは初めてなんだ。




 ろろろおろおろおぉおぉぉぉぉぉお




 水面が盛り上がって──割れて。




 ろおおおおおおおおぉぉぉろろろろろ




 青い角が見えて。なにかの頭がせり上がってきて。


 無数のしわが刻まれた顔に埋もれた細い目が、僕たちを見た。


 大きい。


 頭部だけで、荷物を大量に積み込んだトラックなみの大きさがある。


 でも、その形は間違いなく竜だった。




「一年ぶりの降臨こうりんに感謝いたします。我らが守り神『海竜ケルカトル』よ」




 僕の胸に背中を預けたまま、イリスは言った。




 青い鱗で全身をおおった竜が、僕たちの目の前にいた。




息災そくさいであったか、わが血統の者よ』


 海竜ケルカトルは答えた。


 空間に響き渡るような声だった。


 その姿は、僕の世界の東洋竜に似ていた。


 湖から出てる部分は、目算で全長20メートルくらい。胴体は蛇のようで、鱗があって、背中にはヒレがついてる。胴体がどこまで続いてるのかはわからない。セシルの言葉通りだとしたら、ここにいるのは全体の何割かだろう。あとの部分は水の中だ。


 水面から出てるのは頭と、胴体の一部と、前足だけ。地面をつかんでる前脚は三本爪。頭にはごつごつとしたコブと、8本の角がついてる。目は細くて、開いているのか閉じてるのかわからない。大きく裂けた口からは、無数の牙がのぞいている。


 ……これが港町イルガファの守り神『海竜ケルカトル』か。


 本当の意味で『神さま』なのかどうかはわからないけど、並の魔物じゃ太刀打ちできそうにないってのはわかる。でかいってのは単純に脅威だし、人と話ができるくらい高位のドラゴンなら、魔法耐性くらいは持ってるだろう。


 周囲で渦を巻く魔力だけでも、僕やセシル程度じゃ敵いそうにない。


 まさに、人間やデミヒューマンからすれば、別格の存在だ。


「今年も祭りの季節を迎えました」


 イリスは海竜に向かって、頭を下げた。僕もそれにならう。


『つつがなく』


 海竜がしゃべると、振動で床と壁がびりびりと震える。


 それでも言葉がはっきりと聞き取れるのは、さすが神様クラスの竜ってところか。


『だが、現在のこの場には、巫女以外にわが権威プレッシャーに耐えられる者がいるようだ』


「イリスは『海竜の勇者』の適格者を見つけました」


 イリスが、ぎゅ、と僕の手を握った。


 僕は『大怪魚レヴィアタンのうろこ』をかかげた。


『おお。わが天敵を倒したか』


「正確には、倒したのは僕の奴隷だよ。海竜ケルカトル」


『ならばその奴隷は、すでにお前の一部なのであろう』


「……どういうこと?」


『その奴隷はお前の一部となり、お前の手足となって力をふるった。本人はそれを望み、お前もそれを受け入れている。だから奴隷の功績はお前のものとなった。その奴隷は、お前と溶け合うことを望んでいる。ゆえに、お前が「海竜の勇者」認定されている』


「よくわからないけど、奴隷に大怪魚を倒せって命令したパーティリーダーに勇者の権利が与えられるって感じか?」


『それでよかろう』


 湖上で鎌首をもたげた海竜ケルカトルが、僕の方を向いてうなずいた。


『海竜の勇者として認めよう。

 あの、呼ばれもしないのに湖から川をくだってやってきて、うっとうしい再生能力を持ち、触手で我ら海の生物のなわばりを荒らし、あろうことか我にまでケンカを売ってくる上に、殺しても数十年で再生するうっとうしい大怪魚を倒したのならば──』


 思い出すのも嫌なのか、海竜はなんども首を降ってる。


 ……よっぽどストレス溜まってたんだな。


 うっとうしいもんな。大怪魚レヴィアタン。


 触手は再生するし、本体はでっかいし。麻痺能力まで持ってるし。


「海竜ケルカトルよ。イリスは勇者ソウマ=ナギさまと『初代儀式の再演』を望みます」


『お前の代の祭りを終わらせると?』


「イリスが巫女であるために争いが起こりました。この聖地も荒らされそうになりました。巫女であるだけで……狙われて、目の前で人が血を流して……イリスはそんなの、もう嫌なんです」


 イリスは、僕の身体に背中を押しつけてくる。


 もう限界なんだな。イリスは。巫女っていうブラック労働に。


 巫女は選ばれし者だけど、そのせいで研究材料や、取引可能なモノみたいに扱われてるし。ほっといたら、このまま潰れちゃうんじゃないかって思うくらい、疲れてる。


「海竜の伝説は僕も読んだ」


 ……しょうがないな。僕の方でも海竜と交渉してみよう。


「あなたがこの港町に加護を与えたのは、自分の子どもと勇者を祝福するためだって書いてあった」


『いかにも』


「でも、そのための儀式が巫女の重荷になってる。そりゃ歴代の巫女の中には喜んで役目を果たしてる人もいたかもしれないけど、イリスはそうじゃない。というか、今はまわりの状況がおかしくなってるんだ」


『説明せよ』


 淡々とした声で、海竜は言った。


 話を聞いてくれるのか。すごいな。


「イリスは特殊なスキルを持つ敵に襲われた。そいつはイリスを研究材料にしようとした」


『再度説明せよ』


「別の敵はイリスの兄さん、ノイエル=ハフェウメアを誘惑して、聖地と儀式を破壊しようとした。その残骸はいまでもダンジョンに落ちている。確認できるはずだ」


『ならば、提案せよ』


「ここはいったんイリスを巫女の使命から解放するべきだと思う。

 メリットはふたつ。あなたの血を引く者が、自由に生きられるようになる。それはイリスにとっての祝福になる。

 ふたつめは、治安が安定するってことだ。イリスを消せば港町は海竜の加護を失う。だから敵はイリスを狙ってくる。そして戦闘が起こる。聖地や町が荒らされる。イリスがイルガファの弱点ではなくなることで、その連鎖を止めることができる」


今代こんだいの勇者は』


 海竜ケルカトルは、ぷしゅー、と息を吐いた。


 これは怒ってるの? それとも、喜んでるのか?


『理屈っぽいのだな』


「性格なもんで」


『「初代儀式の再演」を考慮する。巫女とのつながりを証明せよ』


「こうして巫女とくっついてる。イリスはいやがってない」


「むしろソウマさまの腕の中で安らいでおります」


『つながりを再度証明せよ』


「イリスはすでに、ソウマさま──たましいのお兄ちゃんに忠誠を誓っているのです!」


 海竜ケルカトルを見上げたまま、イリスは叫んだ。


「領主家の娘としての立場上、奴隷の首輪をつけるわけにはまいりませんが、イリスの心はすでにソウマさまを主としてあがめております!

 毎晩の妄想もうそうの中で、ソウマさまとは何十回となく心と身体を重ねました! ソウマさま──お兄ちゃんの指は優しく、ぎこちなく、イリスを導いてくださいました。その感覚はイリスの深いところに刻み込まれています。もはや現実と区別がつかないくらいです!

 イリスにとって、あとは実行するのみです。イリスの方の準備ができしだい、ソウマさまの寝込みを襲う計画をすでに100以上は立案しております!」


「ちょっと待ったイリス。落ち着いて話し合おう」


「落ち着くなんて段階はもう過ぎました。一緒にお風呂に入る計画を実行した時から、イリスの心の防波堤はすでに決壊しているのです。ソウマさまの前でだけ、イリスはどこにでもいる『恋する女の子』になれます。

 その思いとイルガファを守るという責任を両立するために『初代儀式の再演』をお願いいたします!」


『我は考慮せり』


 海竜ケルカトルは、少し考え込むみたいに首をかしげた。


『考慮せり。さらに情報を求む』


「イリスはこの数日の間に、2回命を狙われている」


「そのたびにソウマさまに命を救われました」


「最初はリビングメイルに、次は魔族をかたった偽物に。つい数日前には、実の兄さんに襲われた」


「配下の奴隷少女たちに的確な指示を下すソウマさまに、イリスの胸はときめきました」


「巫女だってことは祝福なのかもしれない。でも、イリスはそのせいで自由に外を出歩くこともできない」


「ソウマさまがお隣に引っ越してきてくださったことで、心を救われました」


「『海竜の巫女』は、あなたの血を引くものだろう? その子孫が使命を重荷に感じてる。それを少しでも軽くする方法があるなら、教えて欲しい」


「巫女の血は、ソウマさまにお願いして未来につなぎましょう……」


「ちょっとイリス黙ってて」


 僕の目の前でひざまずいてるイリスの口を、とりあえずふさいでみた。


 腕の中で、もがーって言ってるイリスは、なんだか嬉しそう。


「とにかく、言うことはこれだけだ。どうする? 海竜ケルカトル」


『「儀式の再演」を行う』


 海竜ケルカトルは言った。


『その一環として「海竜の試し」を行う。「主従契約」せよ。巫女は勇者の「隠れた奴隷シークレットスレイブ」となれ』


「『隠れた奴隷』?」


『イリス=ハフェウメア。汝の中に流れる我の血により「契約」に干渉する。巫女が他者の奴隷になったとなれば、この町は動揺するであろう。それは我の本意ではない』


 うん。それは僕もすごく困る。


『首輪がそれとわからないようにする。巫女にふさわしいように首輪を飾ろう』


「主従契約が必要な理由は?」


『それをもって「魂約」の代用となす。あの儀式は複雑ゆえ、今ここでなしえることは不可能。ゆえに、繋がりを証明する手段として「主従契約」を用いる』


 重々しい口調で、海竜は言った。


 どっちにしても、僕たちは正式な「魂約」の儀式を知らない。自己流でやるにはイリスを奴隷化する必要がある。


 海竜ケルカトルは話を聞いてくれてる。存在のレベルが違いすぎてわからないけど、こっちの事情を理解して、イリスの願いを叶えようとはしてくれてるみたいだ。


 ……だったら、このあたりが妥協点か。


「わかった。僕の奴隷になってくれ、イリス」


「はいっ。ソウマさま」


 イリスは僕に向き直り、目の前で膝をついた。


 僕は自分のメダリオンを取り出し、宣言する。


「ソウマ=ナギを主として、イリス=ハフェウメアと主従契約を行う。契約条件は『イリスが巫女の儀式から解放される代償として、ソウマ=ナギを主と仰ぐ。契約解消は──』」


「それに見合うものでなくてはなりません、ソウマさま」


 僕の内心を読み取ったように、イリスが言った。


 さすが策士。そういうところは抜け目ないな。


「『ソウマ=ナギの生活が安定し、働かなくても生きられるようになるまで』これでいいな」


「はい。では『契約コントラクト』」


「『契約』」


 かちん、と、僕らは胸のメダリオンを打ち鳴らした。


 しゅる、と、イリスの首に首輪がまきつく。


 けれど、それは革製じゃなくて、鱗と海竜のレリーフがついた首輪だった。


 首輪のデザインに海竜が干渉してくれたらしい。


『これならば、われが与えた装飾品ということで説明がつくであろう』


「助かる。ありがとう、海竜ケルカトル」


 これなら、誰もイリスが僕の奴隷になったって気づかない。


 イリスには今まで通りに領主家にいてもらって、僕んちに来たときだけ奴隷として仕えるってことができるはずだ。細かいことは、あとで考えるとして。


「……イリスは、ついにソウマさまのものになったのですね……」


「うきうきしてる場合じゃない。まだ儀式の第一段階だ」


 海竜はまだ、じっと僕たちを見ている。


「それじゃあ『海竜の試し』の内容を教えてくれ。お使いクエストか? それとも、討伐クエストか?」


『それはあくまでも儀式の再演である』


 海竜ケルカトルがかぎ爪のついた腕を上げた。


『「海竜の勇者」の資格を持つものに告げる。巫女を救え・・・・・


 え?


 イリスもきょとん、としてる。


 どういう意味だ?


『初代の勇者がそうであったように。

 人の世で生きることを選んだ「海竜の娘」の記憶と苦痛より、巫女を救ってみせよ!』


 海竜ケルカトルが叫んだ瞬間。


 空間に魔力が渦を巻き、そして。





 イリスの目から、光が消えた。

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