質屋 満々金 其の二
「ほげぇぇ!」
突如あがった奇声に驚いて、電線で羽を休めていたカラス達が、夕刻の空に舞い上がった。
場所は質屋 満々金の前。
まばらにいる通行人達も、何事かと俺達を見ている。
タクヤに手加減なしでケツを蹴られた。
突然の衝撃に、思わず出た言葉が「ほげぇぇ」とは。俺は普段から、いつでも「ほ」を発声できるように、準備しているのだろうか。
「痛いわ! いきなり蹴るな!」
「うるさい! 笑ったくせに!」
「笑ってないだろ? やめろ!」
二発目の蹴りを華麗にかわす。
馬鹿め。もう、その軌道は見切った。何度も通じるか。と思っていたら、くるりと回転したタクヤから、鋭い蹴りがまた飛んできた。
見事に股間に命中し、今度は声すら出せなくうずくまる。
「あ、ごめん。今のは痛いよね」
「………!」
たしか、キックボクシングを習っていたとか、いないとか。死角からくる見事な蹴りだ。
股間にダメージを受けると、お腹が痛くなる。
男ならではの、この苦しみは、とても文章には出来ない。
一緒に帰ってきた竜二さんが、俺達をみて溜め息をついている。
「タクヤよ。もう勘弁してやれよ。こいつだって、走り回ってたんだぜ」
いつのまに俺達の名前を覚えたのだろう。
随分と馴れ馴れしく話をするようになったものだ。
「ルイが働いてる店まで走って、土下座して無理やり来てもらったんだと。本当は、もっと時間がかかるはずだったんだぜ?」
「コウタ。まじ?」
「走らせたのは俺だが、ルイを説得したのは、こいつだよ。だからさぁ。もう蹴るなって」
竜二さんが俺の肩を持ってくれたおかげで、一方的なスパーリングから解放される。
俺も、この機会に何か言いたい。
ものすごく感謝されるように、話を何十倍にも膨らましたい。
だけど、お腹が……。お腹が痛い……。
「さて、オヤジに報告してくるわ。落ち着いたら、店に入れよ」
入店は、俺のお腹待ちだと告げて、竜二さんはさっさと消えてしまう。
十分経って、仲直りの握手を交わした俺達は、言われた通り店の中に入った。客は誰もおらず、あのヒキガエルみたいな爺さんと、竜二さんの二人だけだ。
「ご苦労様でした。大変怖い想いをさせてしまったようで、申し訳ありません」
爺さんは帳場から降りてきて、頭をさげる。
謝罪してくる者に対して、俺はいつも高圧的だ。
「ボディタッチの嵐だったわ! おしゃべりなんて、ほとんどしてねえよ! 聞いてた話と違うけど、どう責任とってくれるんだよ!」
勢いよく啖呵をきると、腕を組み直した竜二さんが、じろりと俺を見た。
「と、タクヤがさっきまで言ってました」
「えええええ?」
タクヤよ。俺はどんな時でも生き抜いてきた。
過去も、これからもだ!
「遅くなりましたが、私は藤咲ノミと申します。お陰さまで信用は失わずにすみました。有り難う御座います。では、どうぞ報酬を選んで下さい」
ノミの爺さんに促されて、俺達はパソコンの前に立つ。
長かった。わずか数時間の出来事だが、徹夜して働いた時より疲れた。正直、次に頼まれたら絶対に断るだろう。
「選んでいいのか?」
俺より頭一つ身長が低い、ノミの爺さんの顔を覗き込みながらたずねる。
「ええ、どうぞ」
「こ、これでもいいの?」
指差したのは、一番スペックが高いパソコンだ。最初に値段を聞いた物より、遥かに高いだろう。
「どうぞ。どうぞ」
「後で返せとか言わない?」
「ふふふっ。大丈夫ですよ。そこも信用というやつです。随分と怖い目にあわせてしまったので、そのお詫びも込めてですよ」
これは、良いものが手に入った。
タクヤが上半身裸になって、頑張った甲斐があったというものだ。ゲームだけに使うには勿体無いスペックだ。
竜二さんが、台車を押して来てパソコンをのせ始める。そんな気はしていたが、箱とかは無いようだ。
全て直置き、尚且つ作業が荒いので、パソコンが痛まないか心配になる。
「藤咲さん。マリアさんってご存知ですよね?」
それまで、静にしていたタクヤが急に話し出した。
「マリア? ええ、知ってますよ。どうかしましたか?」
「マリアさんのお店で、買いたいものがあって……。ちゃんとお金を払いますので、連絡してもらえないでしょうか?」
タクヤ。攻めるねぇ。
今日一日で、全て終わらすつもりだと思った。
「連絡できますよ。でも、あそこはアダルト……。まあ、いいでしょう。少々お待ちください。ああ、それから、私の事は、ノミと呼んで下さいますか」
「分かりました。ノミさん。あれ、言いにくいな。ノミのオヤジさん! これでいいかな」
そこは言いやすいように、と言って、ノミのオヤジは、背中を向けて携帯をいじり始める。竜二さんが台車を運び始めたので、俺は出口の扉を開けに走った。
「近くまで送ってやるよ。家どの辺だ?」
さっきまで、ともに死線を潜り抜けてきたせいか、
この竜二という人との距離が随分と縮まった気がする。タクヤの家の場所を教えていいものか迷ったが、この人達は、俺達に危害を加えたりはしないだろうと、今は思える。
「
「オッケーわかるわ。あれ、マリアのとこ寄りたいのか?」
ノミのオヤジが携帯に向けて、何か言っているのが竜二さんにも聞こえたのだろう。
「そうなんです。もし大丈夫なら、寄ってもらえますか?」
タクヤはノミのオヤジの背中を見ながら答えた。
マリアという爆乳短気な美人店員は、店を閉めると言って俺達を追い出した訳だから、もう居ないかも知れないのだ。
「マリアは店に居るとの事ですよ。お二人が今から行くと伝えておきました」
「うわ。ありがとうございます」
タクヤの顔に花が咲いた。
パソコンを載せて、黒いバンが出発する。
ノミのオヤジは店先まで俺達を見送りに来てくれた。
あ、そうだ。
あの竜二さんにラリアットされていた、太いおっさんはどうなったのだろう。
外国人の大男を見かけないから、まだ奥で監禁されているのかも。
思えば怖い出来事だ。
今は機嫌よく、俺達を送ってくれているが、怒らしてはいけない人達なのだ。
タクヤの家まで教えてしまったのは、失敗だったかも知れない。
まあでも、そこは信用しよう。約束を違えると、きっと信用を失うのだ。
俺達の世界より、ノミのオヤジや、この竜二という人が住んでいる世界は信用が重いのだ。
ただ、それだけのこと。
無理な約束をしなければいい。
約束したなら守ればいいのだ。
マリアさんの店が見えてきた。
これでゲームが手にはいれば、俺達の目標は達成だ。
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