第39話 光の中へ
あんなに騒がしかった魔術師が、一言も発する事なく光の中へ吸い込まれていった事が、俺たちにとっては不思議だった。
折座が囁く様に言った。
「嵐蔵。目を閉じて。そして瞼の裏に浮かぶ事さまを、しかと見届けておくれ」
俺は言われるがままに目を閉じた。
ざわざわ……
秘宝植物の気持ち安らぐ葉音が俺の体を包み込む。深い意識の扉は開かれていった……。
……ヒューヒューと木枯しの様な寒々しい音が聞こえてくる。
空にも、大地にも、草木にも、全てに色がない。折座と初めて出会ったあの『意識の扉』の感じと似ている。ただ一つ違っているのは、音は聴こえているという事だ。
この世界の映像は、徐々に俺の頭の中に広がっていった……。
「やーい、やーい、化け物ー!」
どこからか子供たちの声がする。
「うわっ、こっち来たぞ! 逃げろー! 喰われるぞー」
何かに向かって野次を飛ばしているのだろう。
意識を集中すると……。
投げられた石が額を傷つけ、流血の下から鋭い眼力を放つ一人の子供がそこに立っていた。
彼は幼子でありながらベソをかくわけでもなく、着物の裾で血を拭い、走り去る子供達を睨みつけていた。
そして額の傷は、傷痕さえ残す事なくみるみる内に消えていった。どうやら彼には特殊な能力が授けられているようだ。
察するところ、その能力がゆえに子供たちから村八分にあっているのだろう。
彼に家族はいるのだろうか? その疑問から、俺の意識は彼を取り巻く全てのものを見渡せるようになっていった……。
「……確かに、あの子には助けられた事も多々ありますよ。だけど気味が悪くて……」
そう言ったのは、彼の叔母らしき人物だった。
「そう言わないで。まだ小さいから何も分からないだけよ」
その通りだろう。彼自身、まさか自分に特殊な能力が授けられていた事など知る由もなく、ましてやまだ子供、人とは違うという事など理解できる筈がない。
この優しい口調の女性は彼の母親だった。
彼の能力は、さまざな事に精通していた。
雨乞いや、自然災害の予言による危機の回避、事故防止、紛失物の発見などは序の口、中でも彼の自己治癒力は桁外れ、群を抜いていた。先にもあった通り、傷を跡形もなく消す事ができるのだから。
人々に恩恵を与え、そのおかげで皆の生活は潤っていたのに、ある時から歯車がおかしな動きを始めてしまったようだ。
何でもできる彼を人々は人間として見なくなり、助けられている事を当たり前だと思うようになっていった。
そして遂に愚かな事を言い出す人間が出てきてしまったのだ。
「自分の傷ばかりを治して、私たちの事は治しもしない」
そうなのだ。
彼に唯一出来なかった事は、自分以外の人の傷を治す事だった。
どんなに、どんなに頑張っても、何故かそれだけが出来なかったのだ。
そしてある日、不幸な事が起こってしまった。
猜疑心を持ち始めた人物が、彼の忠告を無視した挙句、事故に遭ってしまったのだ。
もちろん彼は傷を治す事ができなかった。だが幸いだったのは、長い時間がかかったものの、怪我人の一命だけは取り止め回復に至った事だった。ここに、彼の祈りの力が働いていたという事実は誰も想像だにしなかったのだろう。
以来、人々はこれまでの恩など忘れ、手の平を返した様に彼に辛い仕打ちをする様になっていった。
俺は深いため息をつきたい気分だった。
本来、人間とは素晴らしい生き物。ひとたび神が寄り添えば、思いやり、慈しみ、
ところが、ちょっとした心の隙間に魔が入り込んだ時それは一変、同じ人間のはずが、おぞましい醜悪な動物と化してしまう。心ない言葉は時として魂をも殺す。その悪しきエネルギーは、地下空間へ向かう螺旋を辿る様に、人々を巻き込みながら堕ちてゆく程の強大さだ。
……そうして一人、また一人と遠のき、彼の味方は母親一人となった。
そうは言ってもまだ子供。楽しそうにはしゃぐ子供達を羨望の眼差しで見る彼を、母親はいつも不憫に思った。
そんな悲痛な思いも手伝って、様々な心労から、遂に母親は床に臥せてしまう。そして僅か数日のうちに他界した。
彼にとってかけがえのない、たった一人の見方だった。母親の病でさえ治す事が出来なかった自分を彼は心底憎み、嫌悪し、そして責めた。こんな能力など無ければいいのにと、自分を傷つけもした。だがもちろん、そんな彼の苦しみをよそに、その程度の傷などすぐに消えてしまったのは言うまでもない。
彼は途方に暮れ、力なくふらふらとさまよう様に歩いた。ただひたすらに歩いた。
そんな日々がしばらく続いたある日、封印していたつもりの能力が、彼の思いとは裏腹に危険を察知し警告を発してきた。
人々の様子がおかしい。
彼の脳裏に突然、鮮明な映像が映し出された。
人々が集まってボソボソと密談をしている。
「……あの子は疫病神よ。神様扱いしていたけれど、あんなのまぐれ当たりに違いない」
「そうだそうだ。自分の母親だって見殺しにするのだから、我々だって何をされるか分からないぞ」
「神様だって許してくださるはずだ。身を守る為にする事なのだから」
彼は思い切り目を見開いた。
すると目の前には、
幼い頃から泣く事など決してなかった。
そんな彼の目から大粒の涙が溢れ出したのは、鬼の形相をした人々の中に、斧を抱えて目を血走らせる父親の姿を見た時だった。
悲しみと怒りが辺りを火の海に変えた。
鋭く吊り上がった目、尖った顎。燃え盛る火柱に照らされた顔は、紛れもなく魔術師の顔だった。
幼かった彼が青年となるまでの、未開の地を牛耳る前の話だ。
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