第9話 謎の人影



 まただ……。この妙な感じ。



 だが今度は少し違う。長く眠っていた様な目覚めとでも言おうか。

 俺は即、両手を確認した。やはりそれは人間の手だった。すぐに分かった。またしたのだと。そしてここに来ると俺は必ず人間の姿になるのだと。


 冷静になれ、と自分に言い聞かせ、記憶を辿る。さっき俺たちは神社に行った。そして……。そうだ。また鈴が鳴ったんだ。確かドラゴンが……。辺りを見渡すと、突然、食い入る様に見つめる巨大な目が視界に飛び込んできた。驚いて後ずさる。今度は誰だ? まん丸で大きな瞳は、パタンパタン、と音を鳴らしながら二度まばたきをした。

「お前……。俺まで連れてくるなよ!」

 その声はドラゴンだった。その姿は竜の様な、さしずめミニチュアの恐竜といったところか。体の大きさは身長で言うと2メートルほどで、背中に付いている羽根だけがオニヤンマの羽根、色は金色だから奇妙な姿だ。

 一体なんなんだ、この世界は。どうやらさっきの騒動で、どさくさに紛れてドラゴンまでさせられたらしい。しかも変身させられて。

 次々に降りかかる様々な出来事に驚くよりも、それらに慣れてきた俺自身の方が驚きだ。俺は深くため息をついた。

「お前だって、そろそろなんじゃないのか、って言っていただろう? 運命を受け入れる事だな」

 そう言い放ってから、即座になっくんを探すべく歩みを進めた。

「何だよ、気取ってんじゃねーよ」

 ちょっかいを出しながらのそのそと尾いてくるドラゴン。俺が人間の姿である事など全く意に介していないといったところが不思議でもある。

「とにかくなっくんを探すんだ」

 俺は足早に歩みを進めた。空は金色、足元はまるで雲の絨毯だった。



 ……チリ、チリ、チリ、チリ、チリ、……



 小刻みに響く鈴の音が聴こえてくる。あれはきっとなっくんが鈴を持って走っている音だ。その音を目指して一気に走り出す。

「ちょっと待て」

 ドラゴンが俺の肩を掴んだ。

「離せ! 早くなっくんを!」

 すると突然、足が空回りするような感覚に陥った。みるみるうちに足元の雲の絨毯がなくなっていく。

「ここになっくんは居ないって。騙されんなよ」

 気づけばドラゴンは、俺の肩を掴んだまま静止飛行していた。

 宙ぶらりんになった足が空を切る。

 どこからともなく空間を揺さぶるような微かな異音が届いてくる。



 ……ぢりりりり……ぢりりりり……



 鈍いベルの様な音。

「何だ? この音は」

 


 ……チリン……



「これは鈴の音だ! やっぱりどこかになっくんが……!」

 振り向くと、側にいたはずのドラゴンの姿がない。360度見渡してもどこにもいない。

「おい、ドラゴン! ドラゴン! どこだ! ドラゴン……!」

 


 ……ぢりりり……チリン……ぢりりりり……チリン……



 リズムを取り合うように、鈍いベルと鈴の音のせわしない共演が始まった。それに合わせるかの様に、消えていたはず雲の絨毯が頭上高く舞い始める。マジックショーさながら、ドラゴンは霧に紛れて姿を消した。



 俺を真綿の雲がふわふわと包み込む。あまりの心地良さに抗う気も起きず、目を閉じ、ただ黙って身を預けていた。ミストのほんのり湿った空気感が自然と深呼吸を促す。目を開けるとドライアイスの様な雲の絨毯が丸く円を描く様に巨大な穴を形成していた。

「生きている様だ……」

  ゆらゆらとうごめいているその幻想的な光景は異世界そのものだというのに、俺はその情景にすっかり溶け込んでいた。

 ゆっくりと近づき姿勢を低くして恐る恐る穴の中を覗き込む。視線の先には薄暗い部屋が広がっていた。俺はその部屋の天井から見下ろしている格好だ。眼下にある棚の上には丸い器の様なものが置かれてある。その中に何やらゆらゆらと水面の様な揺らめきが見える。時に光を帯びてキラキラと反射しているその様はまるで小さな湖だった。

「水鏡……?」

 そう呟いた時、奥の方から人影が現れた。俺は反射的に身を屈めた。謎の人影はゆっくりと水鏡の上に手をかざす。ささやく様な声で呪文とも取れる言葉を唱え始めるや否や、中にキラキラ光る何かが現れてきた。みるみるうちに水面が盛り上がっていく。水のベールをまとう様に現れたのは鈴だった。それは紛れもなく今、先の神社で神宝の一つとして守られているあの鉛の鈴だった。



「奴らがこの村に向かって馬を走らせている!」

 突然遠くからドタドタとけたたましい音を響かせながら若者の叫ぶ声が聞こえてきた。ほどなくして、にわかに馬のひづめの音が近づいて来ると、村の入り口が突破されていく様子が手に取るようにわかった。

「この場面、知っている……」

 俺はすぐに察しがついた。この事実は、先ほど宮司が総代に伝えていた300年前の出来事そのものである事だと。

 思索にふけるのも束の間、その鈴、いつの間にやら手の平の上に浮上し妖光凄まじく謎の人影のシルエットを一層はっきりと際立たせていた。



 ……チリン……チリン……



 鈴の音は、大海原を吹き抜ける風の如く透明な波を従え、爆風さながらの速さで辺りを包み込んだ。俺の髪の毛は激しくなびいた。

 突然、ガチャンガチャンと重々しい金属音が音を立て始める。

「これは刃物や武器を地面に落とす音だ」

 俺は宮司の話を確かめるかの様に呟いていた。無頼漢たちが士気を失い、かつての村の民たちと心打ち解け合うという、あの宮司の話そのままだったからだ。



 ゆっくりと謎の人影は歩き始めた。そして流れる様に滑らかにまるでマジシャンの様な素早い手わざで、現れてきた鈴と入れ替える様に丸い何かを水鏡の中にポチャン、と沈めた。一瞬の出来事だった。小さな湖は、ふわりと一度だけ深い緑色の光を放った。

 一方、謎の人影の手の平の上で浮かび続けていた鈴は、光がおさまると同時にゆっくりと手の平に着地した。そのまま大事に優しくいたわる様に持ち運ばれた鈴は、厳かな風合いの木箱の中に納められた。謎の人影はそのまま扉の方へと進んだ。



……ガラガラガラ……



 きしむ音を響かせながら引き戸を開ける人影を太陽は容赦なく照らしだす。視界に現れたのは全身白装束の男の後ろ姿だった。この姿は、たった今まで俺が目にしていたものが、かつてのあの時代の祈祷所の中の様子だったということを裏付けるのに十分だった。


「五代目酋長……」

俺は思わず声を漏らしてしまった。とっさに手で口を覆うが時すでに遅し。謎の人影はくるりと振り向き顔を上げた。俺は完全に油断していた。突然の出来事に体は固まる。そんな俺に身を屈め隠れる余裕などある筈もない。俺と謎の人影は暫しの間、目を合わせた……と。逆光で顔は見えない。だがこちらを凝視し目と目が合っている事は間違いなかった。

 どれ位の時間が経過しただろうか。目を合わせたまま気を失っていた様な、長い様な短い様な時間。すると謎の人影は、緊張の糸をゆっくりと断つ様に腕を伸ばした。そして俺との視線を離さぬ様にしたまま長い指先で何かを指し示した。



 その先にあったのは先の水鏡だった。


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