16話 下校
午後の実技授業はつつがなく終え、下校時刻になった。
シルヴィアとフィオは寮で生活しているということで、校舎を出た所でアキホは二人と別れる。
朝からずっと続いている視線を身に受けながら歩いていると、その先で今日知り合った顔が校門に寄りかかって目を瞑っていた。
そのままアキホが歩いていくと、その瞳が開く。彼女は迷うこと無くこちらに目線を向けて、寄りかかっていた校門から腰を離してこちらに笑いながら手を振った。
「お昼ぶり。手紙、読んだんでしょう?」
「ずっと待ってたんですか?」
「待つってほど待ってないわ。今日は学科統括のお仕事も今日はないし、もし会えたら一緒に帰ろうかなって思ってただけ」
「生徒会室で伝えてくれれば」
「あら、あの二人の前で誘うなんて恥ずかしいじゃない」
どこまで本気で言っているのかわからない表情で微笑むアリア。校門に当てていた腰についたホコリを払いながら彼女はは帰り道を指差した。
自分も同じ道だったこともあり、アキホは拒否すること無く歩き出したアリアの隣に並ぶ。
少し小高い丘の上に立っている校舎からは街の景観がよく見える。見下ろす城下は夕日の橙を映し出して赤く染まっていた。
城下町の東にある学園から中央の王城に向かうように、二人はゆっくりと歩みを進めている。
「今日も夕日が綺麗ね」
「そうですね」
「今日の晩ごはんどうしよう……アキホ君の家はどうしてるの?」
「僕が作ってますけど」
「え、そうなの?」
「えっと、義母が忙しい人だから夕食の時間に間に合わないことが多くて。世話になりっぱなしもどうかと思うので、料理くらいは僕が」
「あ、そっかそっか。アキホくん養子なんだよね。ちょっと無遠慮すぎたかも」
「大丈夫ですよ」
自分の発言にアリアは少し表情を曇らせる。
そんなつもりじゃなかったとアキホが小さく首を振ると、それを見てアリアは困ったような笑顔でありがと、と呟いた。
「それにしても初めて聞いたときはびっくりしたわ。貴方、学園長の家にお世話になっているんでしょう?」
「……あの人に聞いたんですか?」
「ええ。『一応私の息子ということになる。すまないがよろしく頼む』って。だから初対面のあの時、緊張でガチガチになっちゃった」
「そうは見えませんでしたけどね」
その言葉にアリアは何も言わずに微笑んだ。
どこまでが本気なのかはぐらかすようなアリアの反応。それが何故か嫌ではなくて、アキホもつられて優しく笑う。
「んー………それにしても敬語が抜けてくれないわね。私、敬われるような女じゃないんだけどな」
「アリアさんは敬語が嫌いなんですか?」
ひとつ上の先輩ということで、アキホは敬語を使っている。もしかして気分を害したのかと思ったのだが、手を顔の前で小さく振りながらアリアは違う違うと笑った。
「嫌いってわけじゃないわよ。敬われて気分いい時もあるし、礼が成っていない子には厳しく叱ったりもするし」
でもね、とアリアは片手で持っていた鞄を小さく揺らす。微笑みは少し弱まり笑顔の質が変わる。
アキホより小さい彼女は少し見上げて、彼の眼をまっすぐに見て真剣に呟いた。
「せっかくシルと仲良くなってくれる人なんだから、私としても仲良くなりたいじゃない?」
「…………」
騎士科生徒会室でも聞いた呟き。内容は違うが、等しくそこに込められたシルヴィアへの親愛と安堵にアキホは思わず小さく微笑む。
真っすぐなその眼差しをしっかりと受け止めて、アキホは僅かに頷いた。
「……それ、ですよね」
「……えっと、なんのことかしら?」
「僕を待ってた理由です。他愛のない雑談をするためだけに待ってたわけじゃないですよね」
図星を突かれたアリアは、しかしクスリと微笑んだ。まるで自分の本心を見透かされていることを知っていたかのように、笑ってアキホを見つめている。
「思った通り。どこか天然なようで実際のところは聡明ね、君は」
「そんなことは無いですよ」
「そんなことはあるの。だって、ただ空気が読めないとか優しいだけじゃ、彼女の味方になることは出来ないんだから」
意味ありげなその言葉にアキホはアリアをじっと見つめる。アリアもじっとアキホに視線を返しながら、なおも心の底から楽しそうに微笑んでいる。
穏やかな笑みを浮かべながら、彼女は唐突にアキホに問いかけた。
「ねえ、アキホ君はどうしてアリアの味方になろうと思ったの?」
その問いは何気ない声色で含みを持たない素朴な疑問だった。
しかし、問いかける彼女の眼は鋭く、心の奥底を見抜き値踏みするような探る視線がアキホの眼を貫いている。
この眼の前では嘘は付けない。そもそも吐くつもりもなかったアキホは、飾り気のない言葉で答えを返した。
「僕の知っている人に似てるんです」
「……知っている人?」
「はい」
そう呟いてアキホはアリアから視線を逸らして前を向いた。まるでどこか遠くを、遥か遠くを見つめ何かを思い出すように。
もう戻れないいつかを懐かしむように、ここにはない何かを見つめながら呟いている。
「自分に厳しく、他人にも厳しい。誰もが彼を恐れて近寄ろうとも思わなかったけれど、その実誰よりも他人の事を想っていた。厳しい世界の中でも果てしなく優しかった大切な人と」
「………」
「シルヴィアさんが誰かを拒否する理由がもしあの人と同じ理由だったのなら、彼女を一人にしてはいけない。……したくないと思ったんです」
その言葉にアリアは俯いた。その言葉にこもる感情の重さと深さに、彼の言う『あの人』について聞きたい気持ちを抑え込んだ。
しばらくの間、二人の間で交わされていた会話が途切れる。
意図せず重くなった空気を誤魔化そうとアキホが口を開こうとした瞬間、先にアリアがに重い口を開いた。
「……私も一緒なの」
「……え?」
「誰かに似てるっていうのは違うけど。私も彼女に味方する理由は、彼女を一人にしたくないって思っちゃったから。……アキホ君も私に聞こうとしてたでしょ?」
「……はい」
図星を突き返されたアキホは小さく微笑んだ。
先ほどの意趣返しをされたアリアはあら、と口を膨らませる。しかしすぐに小さく噴き出して、寂しそうに彼女も微笑んだ。
「初めてシルと会ったのは大体……昨年の夏だったかしら。その時すでに彼女は今の状態だったの。……いや、彼女の強さを知らない人が多かった分、直接的な危害が及ぶことも多かったわ」
「……それは」
「もちろん暴力まで行くと学園長に目を付けられるから。そんな度胸のある生徒いないだろうし。くだらない悪戯のようなものだけど、それでも悪質には違いないわ。あの日も、彼女は大切なペンを隠されていた」
ペンという単語を聞いて、アキホは教室での一幕を思い出す。
あの時も彼女はずっとペンを握りしめていた。きっとあの白いペンが、彼女にとって大切なものなのだろう。
「花壇に隠されたペンを見つけ出した彼女を、集団が取り囲んで嘲笑っていたわ。直接手を出すことは無かったけど、彼女のペンがあった花壇に唾を吐きかけて、花壇を踏み荒らしながら笑って去っていったの」
「……はい」
「集団が立ち去った後、シルはじっと無残にも荒らされた花壇を見つめていたわ。しばらくの間見つめた後、彼女は何をしたと思う?」
「…………花壇を直した、ですか?」
ほんのわずかに間を置いて返した答えに、アリアは微笑って頷いた。
きっとシルヴィアは、自身が傷つけられ貶められることは身の内に封じ込めるだろう。
しかし、自分のせいで他の何かが傷つくことを彼女は絶対に許容しない。
そんな彼女だったらそうするだろうとアキホは思ったのだが、そしてそれはどうやら間違っていなかったらしい。
「慈しむように丁寧に、詫びるかのように心を込めて。彼女は花壇を元通りに直したの。それこそ荒らされる前よりも美しい状態になってたわ。そして彼女は元に戻った花壇に安堵して、よかったと呟いて撫でるようにその花に触れた」
アリアはその光景を思い出して目を細める。
「その姿を見た時に思ったの。この優しい少女を一人にしちゃいけないって。まあ、その場で声を掛けたのはあまりにも性急すぎるかなって、今では思っているけど」
「かなり拒絶されそうですね」
「それはもう猫の様に警戒されてたわ。今より頑なで拒絶が酷かったからもう
話す内容とは裏腹に楽しそうに話すアリア。アキホもその気持ちが分かると小さく微笑む。
その罵詈雑言は、他人を拒絶することで他人を守る彼女の優しさだともう知っているから。不器用な彼女がちゃんと持っている、誰かへの思いやりだとちゃんと気付いているから。
「だからね、彼女が心を開いてくれる人が増えることがすっごい嬉しいの。私はアキホ君が彼女に寄り添ってくれたことが嬉しいから、もっと仲良くなりたいわ」
「あ、そこに話が戻るんですね」
「当然よ!ほら、思い切って敬語を抜いて、もっとシルやフィオライナちゃんに話すみたいに気軽に話してくれていいんだからね?」
そう言ってアリアは後ろ手に鞄を持って前かがみになる。下から上目遣いにこちらを見つめてきている彼女の胸元が見えそうになって、アキホは視線を逸らしながら困ったように頬を掻いた。
「それじゃ先にアリアさんから。君付けで呼ぶのやめてほしいです」
「え?」
「アリアさん先輩ですから、子ども扱いされているみたいで少し困ります。なので先にそっちを直してもらえたら」
唐突な要求に目を白黒させるアリア。しかし仲良くなりたい、距離を詰めたいと望んだのは当の自分なので、この要求を断るわけにはいかない。
「そ、そっか……それもそうかも」
予期せぬ反撃にどもりながらアリアは聞こえないように小さく呟いている。
口の中で練習を重ねて、小さく『よしっ』と自らに気合を入れて、緩くふわふわとした髪を耳にかけながら恥ずかしそうにつぶやいた。
「………あ、アキホっ」
その言葉をきっかけに、一瞬ではあるが二人の間に静寂が訪れる。
毅然とした態度で呼ぼうとしたのだろう。しかし、如何せん顔が朱に染まっており、漏れた言葉は小さくつっかえてしまっていた。
ぎこちなくなったことに気づき、真っすぐアキホを見つめていた瞳を逸らして、赤くなった顔のまま前をじっと見つめている。
「…………………これで、いいかしら?」
照れ隠しのように唇を尖らせて、まったく目を合わせる気配がないアリアにアキホは苦笑した。ゆっくりと頷いて、茶化さないように真剣な声色で肯定を返す。
「はい。それでこれからはお願いします」
「わかったわ、アキホ……うぅ、どことなく照れ臭いわね」
耳元から垂れ下がった自分の髪を軽く掴みながら、アリアは恥ずかしそうにうつむいた。顔は未だに耳まで赤くなっており、決して目線を合わせようとせず地面を一心不乱に見つめている。
「同年代の男の子を呼び捨てなんて初めてだから、恥ずかしいかも……」
「そうなんですか?」
「そうよ。いつもは君とかさんとかつけてたから……ってあれ?」
そこでアリアは何かに気づいたかのように顔を上げた。
キョトンとしたまま、疑問符の浮かんだ顔でアキホに再び顔を向ける。
「敬語、直ってないわよ?」
「えっと、はい。直すつもりがないので」
「は、え、ちょ、ちょっと!?」
急な裏切りに真っ赤な顔のままアキホを睨みつける。
自分は素直に条件を飲んだのにどういうことだと射貫かんばかりの視線で叱責するが、アキホはどこ吹く風で微笑んでいた。
「ごめんなさい。自分でも勝手なことを言っているとは思いますけど、出来ればアリアさんを敬わせてください」
「どうしてよ。やっぱり年上で先輩だから?」
「違いますよ。いや、それもありますけど、アリアさんという個人を尊敬したいんです」
「だから私、敬われるような人間じゃないって……」
「そんなこと、在り得ません」
苦笑いしながら謙遜するアリアに対して、アキホはなおも頑なに否定をする。その優しさは大切なことなんだと、首を横に振りながらアキホはアリアに諭すように。
「アリアさんは素敵な人です。だって、僕なんかよりもずっと先に、僕なんかよりもずっとシルヴィアさんの傍にいてくれたんですから」
「………っ!」
予期せぬ理由にアリアの呼吸が止まる。
そのアキホの微笑みにアリアは思わず息を飲んだ。
彼のその優しい理由が、自然にすとんと胸に落ちる。
彼も一緒なのだ。シルヴィアという不器用な彼女を理解したい気持ちを、自分と同じように持っている。
そして彼女の気持ちを守りたいという思いが一緒だからこそ、自分を敬いたいと言ってくれているのだ。
「……っ、ばか」
ゆっくりと消え入りそうな声でアリアはか細い悪態をついた。そして再びため息のように息を吐いて、仕方がなさそうに小さく笑う。
「まったく、そんな可愛い事言われたら無理に変えさせられないでしょ……」
「はい。だから、これからも敬語で話させてください」
「はいはい分かったわよ。その代わり、気が変わったらすぐにでも変えていいから」
「はい。気が変わったら」
「まったく……あーあ、ほんと可愛い後輩を持ったものだわ」
夕日を見つめながらどこへ届かすでもない叫び。それを聞き流して優しく笑うアキホを見て、アリアはまた困ったように。そしてまた心の底から嬉しそうに微笑んだのだった。
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