第200話 信頼の軌跡(2)

「すごいです……」


 望がキラキラと尊敬した眼差しで見てくるが、別に何も俺がすごい訳でも何でもない。

 

 ―ただ、お人よしにも力を貸してくれると言ってくれた人が居ただけの事だ。


 だから俺は何もしてはいない。

 ただ、金を出すことにしただけだ。


「何も凄い事なんてしていない。たまたま偶然だ。それよりも、香苗さん」

「分かっています。受け入れ態勢が必要だという事ですね?」

「いえ、受け入れ体制については俺の方で何とかします。香苗さんには、接客対応マニュアルを、望と一緒に作ってもらいたいのです」

「接客対応マニュアルですか?」

「はい」


 俺は頷きながら望の方をチラリと見る。


「今回、派遣会社から紹介されて年間契約で働くメインの前職は、初日から電話が取れるコールセンター要員と飲食店関係に業種を絞っています」

「先輩、どうして業種を?」

「製造業とかだと接客に向いていない。だからこそ、顧客対応能力が高い接客業を入れてある」

「――え? でもコールセンターの人は……」

「望、コールセンターの人材で初日から電話が取れる人間と言うのは、そのコールセンターのコンセンサスを理解する能力が桁違いに高い人間のことだ。つまり――、マニュアルさえ存在していれば、それなりの接客が出来る事に他ならない。あとは、謙譲語、丁寧語をマスターしているのもコールセンターの人材の強みだな」

「そこまで考えて……」


 望が驚きのあまり、喉まで出かけていた言葉を飲み込む。


「俺の大事な物を穢したんだからな。必死に物事を考えて万全な状態に徹するのは当然の事だろう?」

「先輩……」

 

 潤んだ眼差しで望だけでなく、「山岸さん……、そこまで――」と、何故か知らないが佐々木親子が感嘆した様子で俺を見つめてくる。


「――なので……、香苗さん」

「分かりました。細かい部分までは難しいと思いますが娘と一緒にマニュアルを作ります」

「よろしくお願いします」


 ――あとは……。

 

 俺は板前の源さんや雑務担当の幸村さんへと視線を向けた後、頭を下げる。

 今回の戦いは完全に俺の私怨だからだ。

 彼らには迷惑を掛けてしまう事は重々承知している。

 だからこそ、きちんと頭を下げる必要が出てくる。


「お二人には、大変なご迷惑を掛けてしまうと思います。何卒お力を貸してください。もちろん、その分の給金は自分が補填しますので!」


 俺は電卓を打ちながら二人に見せる。

 その金額は、一年分の報酬として2千万円を提示しておく。

 二人の現在貰っている年収は分からないが――、力を貸してくれて円滑に旅館経営を回せるなら安い金額だ。

 

 まぁ、総理から貰った泡(あぶく)銭だから、俺にとっては自分のお金という実感は殆どないが――。


「別にお金の為では……、ですが――、私らの仕事を評価してくださるのなら――、望御嬢様の為なら若旦那に着いていきますよ!」と、板前の源さんが頷くと共に、雑務の幸村さんも「御嬢様に、こんな出来る婿が来てくださるなんて! これで旅館『捧木』も安泰ですね! こちらこそよろしくお願いします!」と、何度も首肯しながら受け入れてくれた。


 なんというか、完全にお金で釣った感じになってしまったが、俺は彼らとの信頼関係がまったくない。

 つまり真っ新な状態なのだ。


 そして……、信頼関係が無いのなら――、その信頼の証として対価を払うしか方法がない。

 だからこそ――、俺はお金を提示した。

 そして、それは受け入れられることが出来た。


「――ですが、若旦那」

「若旦那というのは止めてください」

「いえ、ここまで出資してくださるのでしたら、それに――、望(のぞみ)の為に、そこまでのことをしてくれるのなら……、ぜひ若旦那で――。そうよね! 望(のぞみ)!」

「……え? あ……」


 一瞬、戸惑いの表情を見せた佐々木望が、俺の方を見てくる。

 その表情から読み取れるのは、本当に若旦那と呼ばれていいんですか? と言う確認の視線な気がする。

 まぁ、旅館の士気を上げる為なら、どんな呼ばれ方でも問題ないか……。

 俺は、望に頷き返す。


「先輩も、若旦那と言われても問題ないって目で言っているので……、大丈夫かと思います」

「皆さんが、それでいいのなら仕方ないですね」


 俺は肩を竦めながら佐々木望の言葉に同意するかのように言葉を紡ぐ。


「それでは人材に関しては、どうにかなるという目途で話を進めたいと思います」

「先輩……、まだ何かあるんですか?」

「ああ――。人材だけを増やしても意味はないからな。だから、旅館『捧木』だけでしか提供できない物を用意することにする」

「そんなものが?」


 香苗さんは懐疑的な視線を俺に向けてくるが――。


「先輩、どうするんですか?」

「少し待っていろ」


 俺は部屋から出て襖を閉めた後にアイテムボックスからミドルポーションの無限精製樽を取り出す。

 一抱えほどある樽を片手で持ったまま襖を開けると全員が俺の抱えている樽を見て首を傾げる。


「お待たせしました。温泉に、この樽の中の物を混ぜます」

「先輩、それは……」

「ミドルポーションが出てくる樽だ。これを温泉に混ぜ込むことで旅館『捧木』だけでしか提供できない最強の温泉を全面的に売りに出す! 名付けて薬湯温泉だ!」


 



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