第24話 お腹空いたよ
龍花は売り子を帰した後、独りで店に残った。表を閉めて、提灯をひとつだけ灯す。
あの若い刑事……犯人の顔を見た。そして直ぐに追って行ったよ……良かった。きっとなんとかしてくれる。中華民国と違って、此の国の警察は信頼できる。
神に祈るのに似ている。キーツとブルンチャスを頼る気持ちが湧く。
其のキーツとブルンチャスはロールスロイスと競り合っていた。キャデラックを追うのにロールスロイスが邪魔だ。
「親父さん、もっとスピードを上げてくれ」
「無理なことを言うな。とっくに制限速度を越えている」
「彼処だ。橋を渡る」
「ええい、邪魔なロールスロイスだ」
ブルンチャスはこめかみに青筋をたてた。
「だろう、親父さん。あいつは子供の頃からそういうやつなんだ」
「知り合いか」
「幼馴染みさ」
ブルンチャスはわかったと言う代わりにスピードを上げて橋の入り口でロールスロイスを抜いた。ロールスロイスの中でシャンタンの側近が叫ぶ。
「あっ、何て野郎だ。お前、ルノーごときに負けるな。あいつに前を取られるな」
ロールスロイスショーファーの鋭い目が燃えた。猛然とダッシュする獣のようにスピードを上げる。
「行けっ、先にキャデラックを捕まえろ」
マフィアと刑事のラリーは熾烈化して、橋の中腹でキャデラックを照準内に捉えた。側近の右手が火を吹く。キャデラックの右後輪に当たった。二発目はナンバープレートを撃ち飛ばし、三発目に左後輪に当たる。キャデラックのスピードががた落ちになる。
キャデラックからも弾が飛んできた。銃弾戦が始まる。キーツがキャデラックのサイドミラーを吹き飛ばす。側近が自動小銃で狙い撃った前輪がパンクして車体が傾いた。リベイロール1918オートマチックカービン自動小銃は単射と連射の切り替えが利く。
キャデラックが停まる。4つのドアが開いて運転手と助手席から降りた者が後部ドアを盾に撃ち始めた。
「おおっと、危ねぇ。バックだ、バック」
側近は自動小銃を連射に切り替えて薬莢を飛ばしながら相手の足元を狙った。相手は頭を狙ってくる。しかし、シャンタン警護と経理が主な仕事だ。命を落とすわけにはいかないが、こんな処でセラ・カポネの魂が取れるとは思ってもいない幸運。人生は時としてナイスだ。
「おい、こら、ルノー。邪魔するな」
「お前の方こそ。偉そうにロールスロイスに乗りやがって」
「悔しいだろう。わはははは」
側近は左ドアのスナイパーを狙い、キーツは右のスナイパーを狙う。ロールスロイスショーファーとブルンチャスも銃撃戦に参加する。自動小銃がキャデラックのボディを狙い始めた。後部座席から頭が消えた。屈み込んだのだ。自動小銃でガラスを乱射する。フロントガラスも割れた。キャデラックは丸裸だ。
「待て、待て、撃つな……」
五人の男が手を上げて出てきた。
ルノーからキーツとブルンチャスが降りる。警察車両が数台やって来た。
「拳銃を捨てろ。頭の後ろで手を組め」
自動小銃の援護を後ろにキーツは拳銃で五人を狙い、ブルンチャスがキャデラックのシートを確認する。絵皿はシートに置かれていた。
「絵皿は無事だ」
ブルンチャスが赤子を抱くように絵皿を持ってルノーに向かう。警察車両から仲間の刑事が数名降りた。ブルンチャスは「今頃かよ、遅かったな」とにやりと笑った瞬間、おっとっと……と、躓いた。
「「「「「「「あっ、あつ、あつ……」」」」」」」
敵味方なく、その場にいた全員が#魂消__たまげ__#た。
もう少しで絵皿を落とす処だ。
ブルンチャスは絵皿を抱いてサッカー選手のように両膝を着いた。
「おおおおお、危なかったあああああ……」
天に向かって叫んだ後、安堵のため息を吐く。全員から同じようなため息が漏れた。
龍花さんに泣かれる処だった……いや、殺される処かもしれない……
キーツの脳裏をあやかしのような美貌が占領する。
「後は任せた。しっかりやれよ、キーツ」
と言い捨てて、ロールスロイスは橋をバックで走り去った。
「ツェルシュの奴、銃撃戦の件で呼び出してやる……」
橋の中腹から、街灯の下を遠ざかるロールスロイスが見えた。
「いい奴じゃないか。血を流さずに逮捕できたのだから警察協力ってことで不問になるさ」
ブルンチャスが笑う。
キャデラックにセラ・カポネらしき人物はいなかった。全員を署に連行する。
龍花は警察に飛んで来た。
「お皿は無事なのね。良かった。其れで、何処に」
アントローサ警部が応対した。
「あれは証拠品ですから、お返しできませんよ。兎に角、あなたからも事情をお聴きしたいので、彼方に」
龍花には珈琲が出た。
キーツが盗難届けの書き方を説明する。
「お皿を取り返してくれて有り難う。でも、盗難届けは出さなきゃいけないのね」
「そうです。其れから面通しですが、あいつらの中に知った顔がいるかどうか、確認してもらえますか」
「お店に乱入してきた男たちは皆知らない。多分、ひとりはセラ・カポネの弟ね。後は見たこともないよ」
「ロールスロイスの客は……」
「あの人はシャンタン会長の使いで来たと言っていたよ。噂の側近かもしれない」
「噂……」
「知らないの。公認会計士とか、税理士とかって遣り手の側近がいるから、シャンタンの経営する劇場やバーが繁盛しているって。彼処は今、階級制度が明確になって、皆が仕事を持って給料で働いているのよ。カジノですら、叩いても埃のひとつも出やしないわよ、多分。パパキノシタの若頭がぼやいていたわ。綺麗なものだ、時代は変わるものだと……」
キーツがどんなに頑張っても、学業もスポーツも敵わなかったライバルがあいつだ。スラムのような貧しい犯罪多発地区で育ち、有志学習金でハイスクールを出た。大学進学は断念した。
あいつは貧しさが罪を生むと言い、豊かな暮らしを望んだ。俺は犯罪多発地区の怒りで警察官になった。進む道は西と東ほど違うはずなのに、何故だ、この敗北感は……
俺はいつも奴の後を追っている。奴がマフィアで俺が刑事だからではない。奴は常に俺の前にいる。
「素敵な人よ」
女の子にもモテた。俺は敵わなかった。
一通りの面通しを済ませて、セラ・カポネの弟モーダル・カポネの面構えを確認した。写真を撮るように記録係りに言う。
1927年以前に、既にロールフィルムカメラは出回っていたが、此の国の警察署では全署が未だ箱形の乾板写真機を使っていた。日本でもロールフィルムカメラに切り替わるのは1930年代に入ってからだ。
「送りますよ」
本当は、遅くなったので夕食でもどうかと誘うつもりでタイミングを逃した。
ツェルシュの奴、素敵な人か……
其の噂の側近は、会長室から足音をたてずにそおっと出た。ソファーで、カナンデラ・ザカリーとコートにくるまって寝ている会長の顔が、クララ・ボウの金髪版に見える。
側近は「誰か中に入った者がいるか」と聞いたが、入り口の黒服はショーパブ客が店に出入りしただけだと言った。側近は椅子を用意させてドアの前に座った。
前会長に見いだされる前は下っ端稼業をしていた。表の黒服や借金の取り立て。金を借りて返せない店の出納簿を出させては、きちんと利益か上がるように指導した。でなければ凌ぎの問題を追及される。腕っぷしで相手をびびらせる取り立てはレベルが低い。スマートに凌ぎ、スマートに出世する。そうやって、前会長に認められた。
『軟弱な息子だが、支えてやってくれ』
ゴッドファーザー……
あなたの息子さんは良くやっています。
頑張っていますよ。
警察車両のワーゲンに龍花を乗せた。ルノーは銃撃戦でライトをやられていた。
イサドラ・ナリスとは違うタイプだが、ブガッティの似合いそうな美女なんだけどな……
「龍花さん、家はどの辺ですか」
「ね、私、お腹空いたよ」
「え……」
「……何か食べよう。ね」
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