第18話 ヴァギー

パパキノシタの跡目争いがなかったことがそんなに以外な出来事なのかと聞かれて、カナンデラは答えに窮した。


「だからさ、俺様もそこら辺はあまり詳しくは知らないんだけどね」


カナンデラはお気に入りの一人掛けソファーに深々と沈んで足を組んだ。


ボナペティ銃撃戦で送検されたマフィアはほとんどがパパキノシタの構成員だった。中には若頭もいたという。


「所長。今夜、もし、シャンタン会長の処に行くのなら、聞いてみたら……」


ラルポアがカナンデラの肘掛けに腰を下ろして、にっこり笑う。時には「カナン」と呼び捨てにすることもある仲だ。


「パパキノシタの名前は塗り消され、組織はカポネズファミーユになっている。アメリカに親戚がいるという向こう見ずの若者が仕切って、パパキノシタが手下に植え付けた義侠心も踏みつけにされていると聞く。其のくらいかなぁ、俺様が知っているのは……」


「シャンタンから聞いたの」


「情報元はボナペティのアランだよ、ギャルソンの」


アランは元カレがパパキノシタの構成員だったことから顔が通る。元カレは病死したことになっているが、信憑性はない。


「ああ、トイレでキスした奴か」


「お、俺様はそんないけないことは……」


「濡れ衣だとでも……」


「いいじゃないか、ラナンタータ。カナンデラ所長は付き合い広いし、探偵業に必要な技能かもしれない」


「必要な技能……ラルポア、見直したぞ。お前、ただの美形男子じゃなかったんだな。俺様、感激……寝るか」


「勘違いするな、カナンデラ。オカマ掘るなよ。ラルポアはただの励まし上手なだけだから。そこら辺の女が行列作って順番に卒倒してるって噂だからさ」


「ラナンタータ、もう少し優しい女性になろうね。おいら、ラナンタータにも優しくされたいな。見かけは天使で中身は悪魔だなんて、親が可哀想過ぎるからさ」


「勘違いするな、ラナンタータ。カナンデラ所長は冗談が好きなだけだから」


ラナンタータは片方の頬がひくひく痙攣した。吹き出したいのを堪えている。


「あぁ、ラナンタータちゃんが笑った。おいら、兄貴として嬉しいなぁ」


階下にシャンタン一味のロールスロイスが停まったことにも気づかずに冗談を言い合っていた処に、ドアをノックする音が響く。


「どうぞ」


カナンデラが応じる。

ドアが開いてシャンタンの側近が入って来た。



アントローサ警部は頭を抱えていた。


あるアパルトマンでボヤ騒ぎがあった。火災の状況は大したことはなかったが、死体が発見された。

毒殺の可能性がある。しかし、ボヤが起きた時点で生存していたと証言する者が出た。自殺の可能性は低い。家族のバースデーを祝うレストランに予約を入れていたことが判明したからだ。初動捜査は肝心だ。



龍花は店の奥で帳簿を付けていた。中国陶器はヨーロッパ全土にオリエンタルな魅力を強烈に与えている。大通りから路地に入った店は存外大きく、美術品の壺や香炉、像の他にも、本国で日常的に使う安い商品もあることからかなり繁盛して、売り子も常に3人はいる。


電話が鳴った。


「はい、ロンホァチャイナです」


電話の相手は暫く声に詰まってから名乗った。


「わ、私はサラ・ベルナールの劇場で働いていた者の孫で、アンドレア・チャブロワと言いますが、そちらで……」


アンドレア・チャブロワは、世紀の大女優サラ・ベルナールから祖父が貰った中国製の大皿を、鑑定してほしいと言う。


「ええ、はい、あなたはいつ私の店に来ますか。あなたの都合に合わせます」


龍花は柔らかい声を心掛けた。もしも其の皿が、阿片戦争以前に中国から流れ出た皿なら、国宝級のものかもしれない。どんなに高価な値がついても買い取らせてもらおうという下心有りの龍花に、水心あれば魚心と言い表すに相応しく相手もまた、買い叩かれないように用心深く売る気満々でいる。


「私は、明日は時間が取れないので、明後日なら、そちらに……」


「私があなたのお宅に参りましょうか」


「いえ、私はなかなか時間が定まらないので、此方から伺います」


龍花には願ってもない話だ。折角、前もって大金を用意して行っても空振りになることもある。国宝級の美術品に出会うことは稀で、滅多にない逸品に巡り合っても、買い取れるとは限らない。相手が運んでくれるのなら手間が省ける。


「では、お待ちしております」




アントローサ警部の自宅に侵入した3人組のひとりがぽつぽつと語り始めた。


「最初は、ウタマロの女から聞いたんだ。アルビノ狩りの報償金が10万フランだと……それから暫くして、20万フランに跳ね上がった」


長らく黙秘していた反動からか、少しずつだが、警察がほしがっている情報を洩らす。


「其の女の名前は」


聴取に当たったのはキーツ・ナージという若い刑事だ。ブガッティの女がイサドラだと勘を働かせた、猟犬のような脳ミソを持っている。


「パメラとか……もういない。フランスに行った」


「ヴァルラケラピスとパメラの関係は」


「そんなこと知るかよ」


「20万フラン……此の国では立派な家が二軒は建つなぁ」


「だろ。目が眩む気持ちはわかるだろ」


「馬鹿者。人間狩りは犯罪だ」


キーツ・ナージが鉄壁の返答で突き放す。


「犯罪か……だとしても誘拐だ」


「人食い組織の殺人幇助。其れが目的の誘拐だ。罪は重い。お前、家族はいるか」


「……」


男はまた黙秘に戻った。キーツ・ナージは、家族について考える時間を与えて、罪を軽くする方法を伝える代わりに情報を引き出すつもりだった。


「家族はいない。俺を泣き落としにかけるつもりなのだろうが、悪かったな」


「俺と同じか。俺も天涯孤独の身の上だ。お前さん、周りに助けてくれる人が誰もいなかったのか」


幼い頃に起きた地震で家族を失ったキーツは、犯罪多発地区の施設で育った。大勢の子供がいた。


「いたさ。パパキノシタが」


「なら、何でパパキノシタの命令じゃないことに手を出すんだ」


「うちの組織にもいろいろあるんだよ」


「あれか、新頭領のセラ・カポネってアメリカ野郎。どんな奴だ」


「どんな奴って……」


「噂だけどな、お宅らのカポネさん、あの7人会と睨み合っているらしいぜ。今は6人会だけどな。それが本当なら、お前さんも辛い立場だなぁ」


「……うちはシャンタン会長の傘下では最大の組織だ。今更7人会に入れなくてもどうってことはない」


「そうかな。シャンタンが本気で潰しにかかったらいくら最大組織と言えども終わりじゃないか」


「あのお飾り会長に何ができる」



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