第17話 アポステルホーフェがあっという間に

ねぇちゃん、ねぇちゃんにもねぇちゃんのお国があれば良かったのにな


パパキノシタ、私は此の国の者ですけど


いや、ワシは此の国が好きで此の国の人間になったつもりだが、人様から見ればワシは日本人だ

其れと同じように、ねぇちゃんも、此の国の人間だと言っても人様の目にはアルビノだと映る

だから何処かにアルビノの国があったら良かったのにな


其れがパパキノシタとの最初で最後の会話だ。パパキノシタが身罷ったことを知ったのは、真冬の雪の積もる季節。結構な年だったと聞く。


「なんだかさ、冬に亡くなる年寄りって多いね」


カナンデラ・ザカリーが新聞から目を離して呟く。窓辺のラナンタータは細雪を眺めている。


「跡目争いにならなくて良かったと父が言ってたけど、パパキノシタの組織って、ヤバかったの」


「どうかなぁ、今夜シャンタン会長に聞いてみるか」


カナンデラは前回の事件の詳細を、此の地域のゴッドファーザーであるシャンタン・ガラシュリッヒ会長に求められていたが、なんだかんだと野暮用が続いて事件後数日経っていた。

夜、厳つい手下のい並ぶ会長室に呼びつけられた。其処でいつものように甘えて、アポステルホーフェを味わう。


「うんうん、旨いワインだ。そこはかとなく鼻孔に残る花の香りに俺様はイチコロだ。シャンタン会長、其処でね、何処の組員かわからない連中が、いや、今はわかっている。警察発表があったわけだからね、パパキノシタ組だって。しかしあの現場にいた時はわかる訳がない。そうだろ、シャンタン会長の手の者かもしれないわけだ。此の街で看板背負って生きていく俺が、シャンタン会長の手下を相手に暴れる訳がない」


喋って飲んだ。暖かい部屋の居心地の良いソファー。饒舌は時間を忘れさせ、一本があっという間に空になる。


「アポステルホーフェの次は……」


カナンデラはすっかり好き者の目付きでシャンタンを見た。


「ヴァギー・アルマニャックは如何ですか」


シャンタンは落ち着いた顔で言った。18才とは言え跡目をついで半年になる。見てくれだけでもゴッドファーザーの貫禄を身に付けたい。


内心、アポステルホーフェの次はお前だと言い出しかねない困った奴だからな。ヴァギーで潰そう。ま、こんなに大勢のボディーガードがいれば手出しできないだろうけどね。残念だったな、カナンデラ・ザカリー……とほくそえんで、本人はでかいマホガニーのデスクで珈琲を前にしている。


側近の一人がキャビネットからブランデーを出す。見事なブランデーグラスはベネチア製だ。


「おほっ、最高だ、シャンタン会長。若いのに良くできたボスだ。チョコレートも付けてくれ」


そう言って事件の噺をあらかた済ませる頃には、カナンデラはヴァギー・アルマニャックに呑まれていた。酔った勢いでシャンタンをウタマロに誘う。


「ウタマロはパパキノシタの縄張りだが、其の店とはどんな関係だ」


「おっと、シャンタン会長。其れはまずい。お宅の手下に裏切り者がいる可能性がある。人払いをしてくれないか」


シャンタンが顔色を変えた。古株の側近を見る。側近は頷いて手下を率いて部屋を出た。シャンタンは側近の勘違いに思わず腰を浮かせて引き留めようとしたが、古株の側近はドアを閉める前に「誰も近づけません」と訳知り顔で言った。


「いい教育してるなぁ、シャンタン坊や。流石はボスだ」


人目が無くなると会長から坊やに格下げする。しかも素早くシャンタンに近づく。シャンタンにとって不都合なことは、ドアの外で側近が警備していることだ。大声を出せない。助けを呼ぶなどもってのほかだ。


カナンデラは図々しくも既に軽々とシャンタンを担ぎ上げてソファーに運んだ。


「お前、殺されたいのか……」


圧し殺した声でシャンタンが凄む。


「あはは……可愛いなぁ、シャンタン。俺様はお前にぞっこんさ」


シャンタンをソファーに横たえて其の上に重なり、鼾をかきはじめた。シャンタンは目を白黒させて、顔の横で鼾をかいているカナンデラに困惑した。ヴァギーの強い香りがシャンタンの鼻孔に絡まる。手を振りほどこうと試みるも、手錠のように離れない。

其れもその筈カナンデラは、死んでも犯人は放すなと警察学校で訓練を受けた元警察犬だ。


「お、お前、何のつもりだ」


鼾は続く。シャンタンは両手首を強く掴まれたまま身動ぎもせずカナンデラを睨んでいたが、次第に身体の力も抜けた。


「俺も疲れた……どいてくれ……重い」


呟いて、疲れた目を閉じる。ヴァギー・アルマニャックとアポステルホーフェの相まった濃厚な花園の香りにチョコレートの甘い香り。シャンタンはふっと花園の香りに抱かれて意識が途切れた。


どのくらい経ったか、古株の側近がノックした。返事がない。そっと開けて「会長……」と声をかける。返事はない。拳銃を手にドアを素早く開けて室内に飛び込んだ。


其の目に映ったものは、ソファーで抱き合って眠るシャンタン会長とカナンデラの姿だった。


「か、会長ぉ……」


側近は足音をたてずにそっと部屋を出ると、静かにドアを閉めた。顔が赤い。


「んあ……誰か来たか……」


先に目覚めたカナンデラだったが、シャンタンのネクタイを緩めながら再び寝落ちした。


目覚めた時はすっかり朝になっていた。シャンタンは胸をはだけた状態で裸同然のカナンデラの腕枕で抱かれて寝ていた。真冬の室内は暖炉の火も#燻__くすぶ__#って、寒々しく、無意識に互いの体温で温めあっていたのだった。


「あ……」


シャンタンが目覚めた。カナンデラの顔が近い。


「おぉ、お早うイットガール……お前のヴァギー……」


カナンデラが耳元で囁く。


「お前のヴァギー・アロマニャックのせいで寝ちまった。お前のシャツは小さいし、おいらシャワー浴びたいんだけどな……」

「あっ、あっ……腰を動かすな。止めろ……カナンデラ、シャ、シャツが欲しいのか」

「シャツくらいでは止めない」

「お、お前、こっ、殺されたいか、カ、カナンデラ・ザカリーぁぁ……』

「うわお、萌えっ。可愛い……シャンタン」


後はなし崩しに……あのモンスターめ……俺様のくれたカシミヤを忘れて帰りやがって……しかも、一週間も取りに来ないなんて舐めているのか……俺様はゴッドファーザーだぞおおお……やっと男として生きる決意ができたのに突き崩しに来やがって。俺様はお前のイットガールじゃあなぁいいいい……





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