第14話  その縛り方は趣味だよね



埒が明かない。

未明の地下室バーは取り調べ室。カナンデラ・ザカリーはサングラスを外した男アトーの顎を掴んで眼を覗き込む。



「お前が切り刻んだ訳か……鋸で乳房を2つ切り離しただろう。それから子宮と心臓は……」



アトーの喉が異様な音を漏らす。胃液がこみ上げたのをぐっと呑み込んだようだ。涙目になる。



「そうか、やっぱりな。お前じゃないな、切り裂き魔は。しかしお前は其処にいた。見たんだな、切り裂く現場を」



ぐわっ……と音が爆裂して胃の内容物が飛び散る。



「わわっ」



カナンデラは飛び退いた。寸での処でゲロ塗れになる処だ。親と環境から身に付いた運動神経に感謝するでもなく「やっぱりなぁ」と叫ぶ。


アトーは縛り付けられた椅子ごと引き摺られて移動させられた。其の間も、うえっ、うえっ、と胃酸を吐いた。



「よっぽど酷いもんを見たんだろうよ」



人気のない『スピークイージー・ウタマロ』のホールに据えた臭いが漂い、バーテンダーレスがモップを出す。



「お前ええええ、い・た・ん・だ・なぁ、現場にぃ。あの娼婦が切り裂かれた現場だよ」


「うぅぅ……何を言われても俺は……」


「吐いたじゃないか。俺ら気持ち悪くてゲロ吐けなんて言わないけどな、お前ってば見事に吐いたじゃないか、ほれ。臭いな、しかし。此れはお前が現場にいた証拠だろう。あの娼婦の乳房を鋸でギコギコだよな……」


「止めろ。うえっ……うぅぅ……」


「よほど凄惨な現場を目撃したんだな。腹はどうやって切り裂かれた。子宮を取り出したんだろ」


「止めろ。うえっ……止めてくれ……何を言われても俺は……」


「人質でも取られているのか。お前がチクらなければあいつはまだ切り裂くつもりだろうよ。お前って弱虫だな。あいつが恐ろしくて従っているんだよな。切り裂かれた女は健気に生きていたんだぜ。此の生きにくい社会の片隅でさぁ、自分の身を犠牲にしてさぁ、少しのお金くらい恵んでやれよ。殺さずにさぁ。何で殺したの」


「うぅぅ……」


「カナンデラ、警察が来た。アントローサ警部が仕切るはずだ。僕はもう帰るよ」


「ああ、ラナンタータにお休みと伝えて」


「とっくに寝てたよ」


「ん、じゃあ何か、お前らは……相手が寝ているかどうか確認できるくらい近くに……ラナンタータとお前……」


「考え過ぎ。お休み、カナンデラ所長」


「お休み、色男……オイラ何だかとっても村八分な感じ」



カナンデラはアトーに聞いた。



「心臓はさぁ、何に使ったの」


「ぐぅぅぅ……」


「やっぱりお前共犯だわ」



紺色制服の警官が数名やって来た。腕章に国旗と六芒星の刺繍。1920年代後半には此の国でも警察車両を用意している。まだパトカーと呼べるものはなく、サイレンも付いていないが、犯人や要人の護送には警察車両を使うようになった。



アトーが引っ立てられてゆく姿に、何故かシャンタンを重ねる。シャンタンの涙目は可愛いんだけどな、アトー。娼婦とはいえ、切り刻んで良い訳がないだろう。其れを見ていたお前は歴とした共犯者じゃないか、死刑にでもなりゃあ分かるんじゃないの。


処で俺様はシャンタンに会いたくて会いたくて、シャンタンの手下が悪さでもしたら首根っこ掴まえてさ、堂々とシャンタンいたぶりに行くんだけどな。


警護の奴らがうろちょろしているからな。用事がなければ入れてもらえそうにないんだな、此れが。


やっぱり、あのカクテル・リンドバーグキス事件の後、電気アンマが早すぎたかな。もう少し仲良くなってからだったかしら。


糞、独り苛々していてもつまらん。ボルテージ上がるのに何処に行こうかな……





「ラナンタータ、起きたのか」



警察の紺色の制服に黒いコートを羽織ったアントローサ警部が、玄関脇の帽子掛けに手を伸ばした時、白いネグリジェにガウン姿のラナンタータが階段の上に立っているのが見えた。親の贔屓目ではなく、本当に天使のようだと眺める。



「起きたのか」


「何かあったの」


「カナンデラが娼婦殺害事件の一味を見つけた。ラルポアが帰って来るまで寝ていなさい」


「大丈夫。心配しないで。悪いやつらはぶっ殺すから」



壁際からシャベルを取り出して見せる。



「ははは、ラナンタータ、お前には似合わない。そんな真似はラルポアに任せておけばいいんだ。お休み」


「朝は何を食べる」


「林檎があれば林檎を。お休みエンジェル」




ウタマロのオーナーでバーテンダーレスのサヨコはフランス人と日本人のハーフだった。第一次世界大戦のずっと前に日本で生まれ、まだ言葉を覚えないうちにフランスに移住して、親の死に目に涙して全てを畳み、此の国に流れて来たと言う。


サヨコも取り調べを受けた。店の客層や営業方法には触れずに、ヴァルケラピスとの連絡係としてアトーが来るのだと話す。ヴァルケラピスは月1で貸し切りパーティーを開く。



「飲み物も食べ物も持ち込みで、ゴミの欠片も落とさず金だけ落として帰る奇特な上客よ。掴まえておきたいと思って何が悪いの」



「ふてぶてしい態度だな。まあ、其のくらいは夜社会なら当たり前のことなのだろう」


「ふん、気の弱いオーナーはギャングに潰されるのよ。女性なら尚更だわ。特に、うちのような元マフィアの店はね」


「パパキノシタのことか」


「茸戦争でパパキノシタがパロの幻覚茸を奪い取ったのは、あんたが手を貸したからだと聞いているわ、アントローサ警部」



幻覚茸。1957年にマジック・マッシュルームと命名された幻覚茸は、日本では2002年に規制対象に指定されたが、ミレニアム以前は日本同様多くの国で規制の対象ではなかった。


パパキノシタの縄張りで、幻覚による事件事故を起こす若者が急増した時期があった。シチリアマフィアの流れを組むパロが、茸由来の幻覚剤を一般市民にまで売っていた為に起きたことだと判明して、パパキノシタとパロの間で話し合いが持たれた。


縄張り内で幻覚剤を売るなら上納金を寄越せ、と言うパパキノシタに対し、パロはパパキノシタの娘を幻覚剤中毒にして帰した。其れが茸戦争の始まりだ。


パパキノシタは、まだ若造だったアントローサ警部補の助けを借りて、パロの隠れ事務所を襲撃したという噂だ。パパキノシタは着流しの大島に雪駄履きで日本刀片手に殴り込みをかけたというのが都市伝説になっている。背中の美しい刺青を、刑務官は見ている。


「成る程、単なる噂だが、まだ信じている人もいるのか。パパキノシタの時代は過ぎた。あんたがオーナーでいたいなら、店の管理をしっかりやることだ。何をしているのかわからない組織の、金の力に負けて、店を失うことにならないように」


「ふん、余計なお世話よ。そうそう、言い忘れていたけどさ、パーティーは金曜日よ。其れと、カワハギ事件の被害者はトミーよ」


「トミー……」


「うちの常連だったけど、知恵遅れで、人の使い走りをしていたわ。マダム・マヌエラとか」



サランドラ・ド・マヌエラ。娼館の経営者だったが、満月会Rの児童買春事件の煽りか、自殺した。



「教えてくれて有り難う、マダム・サヨコ。他に話しておくべきことがあれば」


「あんたの娘がレストランの男子トイレでパパキノシタの手下の脛を蹴ったとか……はっはっはぁ……面白そうな娘さんだわ。うちにも連れて来てよ。サービスするからさ」


「ヴァルケラピスの出入りする店にか……其れはあり得ない」



アントローサ警部は取り調べ室を出た。


出掛ける際に見上げた階段の上のラナンタータの姿は、白いネグリジェとガウンが似合う、真っ白な天使のような姿だった。背中に羽根が生えていないのが不思議なくらい、神聖な生き物に見えた。


しかし、ラルポアから聞く話しはカナンデラから聞くより信頼が置けるとしても、やはり、ベランダから隣の建物に飛び移ったとか、納屋で回し蹴りしたとか、天使とは思えない落ちが付く。


男子トイレで脛を蹴った……ラナンタータ……ああ、ラナンタータ……私の愛する娘。妻の形見の……



アントローサ警部は暗くなったが、空は白々と明け始めていた。





昼前にジェイコバが目覚めた時、サニーは買い物から戻っていた。イサドラとサニーが狭いキッチンで料理を作る。サニーは木箱や布袋に溢れる野菜と小麦粉を眺め、牛肉の塊を喜び、イサドラに指示して卵を割らせたりしている。


ジェイコバは灯油を買いに出た。サニーの部屋は小さな湯沸かしストーブがあったが、灯油が切れていた。


イサドラは卵を割る度に笑った。黄身が壊れる。上手く割れない。ボウルに小麦粉入れる。粉が舞う。そんなことにも奇声を上げて喜ぶ。


ジェイコバが帰宅すると、キッチンの有り様は筆舌に尽くしがたい散らかり様で、女たちはアルビノのように白くなっていた。


3人でベッドに腰かけての朝食。暖かくなった部屋でお腹が満ちる。何もすることがなくなって、3人で横になった。


ジェイコバは不思議な感覚に支配された。

まるで家族みたいだ。一緒に暮らすことのなかった家族と巡り合った……そうなのだ、其れに違いない。


イサドラは、猫を抱くようにサニーを抱いて寝ている。其の頭に腕を貸して、ジェイコバは2匹の猫を抱くように眠る。暖かい部屋、ストーブの火は小さいけれど、体温が互いに伝わって深い眠りに落ちた。




ウタマロに異変が起きた。サニーが店を辞めて田舎に帰ると言う。週給の少ない稼ぎに何かの足しにと色を付けて手渡し、安物のワインを一本あげた。




其の夜、事件は再び起きた。


ラルポアは、外出禁止になったラナンタータと一緒にリビングにいた。アントローサ警部が所望するので、ラナンタータの肖像画に着手することにして、取り敢えずラフスケッチを何枚か描いた。


ラルポアの母親はアントローサ家のキッチンにいる。ちょっとした夜食をとラナンタータが甘えたので、喜んで火を起こす。2枚のフライパンが焼けるのを待って、ワッフルを焼く。タネを流し込んだら、よく焼けた蓋用のフライパンを乗せる。蓋用のフライパンはひっくり返して火に掛けていたもの。上になった底の面に油を塗って、焼けたらワッフルに乗せるのだ。ゴーフルと違うのは、ネタが多少膨らむので、ゴーフルの固さはない。


ラナンタータはラルポアのモデルになるのが割りと好きだった。ラルポアがイーゼルに向かう姿も見ていて落ち着く。



「そっくりでは嫌だからね。綺麗に描けよ」


「本人以上に綺麗になんて描けないよ」


「詐欺師になったつもりで」


「ラナンタータ、詐欺師を擁護してはいけない」


「つもりだよ、つもり。ほら、余所の女の子をコロリと参らせちゃうじゃない。あんな感じで、なったつもり」



つもりと言うが自分の何処を指しているのかラルポアには検討がつかない。そしてどんなに綺麗に描いてもラナンタータ本人には敵わない。其れが筆を折りボディーガードになった理由だ。絵描きのプロを目指すには限界を知るのが早すぎた。



「詐欺師のつもり」


「詐欺師になったつもりなんて人生に1度もないよ」



馬鹿な話しにリラックスして、不振な物音に気づいた時には、キッチンから叫び声が響いた。



「きゃあああ、来ないでっ。来るなっ。きゃあああ、きゃあああ」



バコン、バコンと激しい音がする。ラナンタータを抜いてラルポアはキッチンに突進した。


母親がフライパンで3人の男たちに応戦している。黒服に身を包んだ覆面の男たちが、焼けたフライパンで叩かれ、或いは股間にフライパンを差し挟まれて泡を喰っている。


登場したラルポアに驚いた先頭の覆面が逃げ道を探すも、後ろがつかえて逃げられない。其の姿にボルテージの上がった母親は、熱々の鶏の煮汁をお玉杓子で振り掛けた。


「「「あっつ、熱い。あっ、つっ、熱っ熱っ」」」


ラルポアは一瞬呆然としたが、直ぐに一番近い男の胸ぐらを掴んだ。熱い。横に倒す。次の男は煮汁を顔に掛けられて蹲った。3人目が窓から飛び出す処でラルポアが脚を掴む。バランスを崩した男が振り返りしなラルポアに蹴りを入れた。


「あんた、うちの息子になんてことを


しっかり焼けたフライパンを脚に押し付ける。


「うわああああ」



蓋用にする為に底に油を塗って焼いたフライパンだ。焼けた油の威力は衣料を焼いて肌まで熱を伝える。ジュウッと音をたてた。嫌な臭いがする。


3人の男を捕まえた。

ラナンタータは紐を複雑怪奇に巡らせて縛りあげ、蟹の形、海老反り、逆海老反りの形に縛った。


「上手いね、ラナンタータ」


「ラルポアも縛ってあげようか」


「いや、僕は……其れよりこいつらは……」



ラナンタータは白い頭を傾げて訊いた。



「此のまま放置しておこうか」


「暴力は禁止されて居るじゃないか」


柔らかなココア色と金髪の混じる髪が額に垂れる。ラルポアは其の髪を人差し指でつと払って、真面目な顔で諌めた。


ラナンタータは天使の笑顔になる。



「そか、放置も暴力か、ラルポア。私は、捕らえる為に仕方なく縛ったんだけどな」


「仕方なくじゃないよ、此の縛り方は。明らかに趣味だよね、ラナンタータ」


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