第38話:不完全なる眼

 案の定、人型が蠢いているのが砂埃の中で何とか視認できる。

 これならいかにハーミットが姿を消そうとも、涼の銃弾が持つ限りは結姫は肉弾戦に持ち込めるということだ。

 いかに相手の身体能力が高いとはいえ、戦闘経験・反射神経と結姫が相手を打倒しようと決意したならば捻じ伏せるに足る要素は多い。


 ここで決着だと、望まぬ争いを進めようとした時だった。


「なっ―――!?」


 再びハーミットの気配が唐突に掻き消えた。

 埃はまだ晴れていないというのに、打って変わって気配がほとんど感じられない。


「……く、あッ!!」


 結姫の体が何かに弾かれたように後ろに吹き飛んだ。

 むざむざと隙を曝すことを許さずに、飛ばされながらも結姫は受け身を取って着地すると周囲を油断なく見渡した。

 研ぎ澄まされた感覚がハーミットはまだこの場にいると告げており、何より今ここで二人を放置する理由も特にない。


 姿を消したままで攻撃を仕掛けられることも判明し、結姫と言えども打ち据えられ続ければいずれは限界が来る。


「俺達がこうして争う意味があるのか?」


 離れた場所から姿を現したハーミットは、残された理性を未だに保っている。

 体は硬化して人間ではなくなっているのに、日下部千花と明確に違っているのは戦いを止めるという選択肢を自分の意志で取れることだ。

 元には戻れないと信じ込み、自分の道を自分で決めた陶酔に似た決意。


“自分は今、道を切り拓いた”という錯覚が彼を怪物にしてしまった。


「意味がないな。お前が人間に戻れるなら、の話だが」


「悲しいなぁ、俺は……僕は―――」


 その時、ハーミットは顔をわずかに歪めて、心の奥底を覗かせた。

 自分が戻らないことを確信してしまった彼は、子供のようにただ願いを捧げただけなのかもしれなかった。



「―――正義の味方になれると信じただけなのに」



 彼が誰も殺していない、誰も殺さないとすれば正義はどこにあるのか。


 人間にとって正義とはエゴが絡む代物で、ある時には正義でも時と状況によっては

 真逆に成り得る都合の良い概念だ。

 人によってもそれぞれの正義があり、不都合なものを悪だと断じて生きる人間の弱さが時には垣間見えてしまう鏡でもある。


 ハーミットは存在意義を、生き方を見出す為に怪物になることを受け入れた。


「正義の味方になろうと思ってなれるなら苦労しないんだよ」


 誰かの為にと体を張れること、戦い続ける力があること。

 現代において物語の正義の味方を語ることは難しく、周囲から様々な圧力をかけられる中で自分の道を貫き通すには並々ならぬ精神力が必要だ。

 何より、その思いが純粋かつ欲に塗れたものであってはならない。


 だから、東京第二都市に正義の味方は存在しなくていい。


 むしろ、MLSによる発症者が蔓延する都市に明確な正義があってはならない。

 MLS発症者を“悪”で打倒する側を“正義”としてしまったら、MLSの発症を抑えること自体が意味を成さなくなってしまう。


 悪を救おうと研究を重ねる政治があってはならないのだから。


「忠告は十分にした。少なくとも腕の一本は覚悟して貰うか」


 ハーミットは再び姿を消すと、結姫の近接戦と涼の狙撃を同時に振り切る。

 砂埃による動きの判別だけでは場所は特定できないと考えられ、そうなれば次に試せる手は限られてくる。


「結姫、頼んでいいか?俺も使わなきゃならないだろうからな」


「使うって……大丈夫なのよね。体調悪くなるんじゃないの?」


「検査の結果でも異常はなかったから問題ない。もう、やるしかないだろ」


 何を使おうとしているかは以心伝心で、涼は戦場を退いて分析を開始する。

 結姫と言えど見えない敵を相手にするのは難しいが、全くハーミットの動きが把握出来ないわけでもない。

 驚異的な脚力による地面の陥没や障害物の凹みで、どこにいるかが時々でも見える局面もある。だが、これ以上の情報を得るのなら並みの人間には不可能だ。


 相棒が暴力を受けて傷付く様を見て、思う所は大いにある。


 戦場を相棒に預けることに対して、虚しさがないわけでもない。


 しかし、これが結姫には出来ない涼の仕事なのだと理解はしている。

 身体能力は人間より上とはいえ、ハーミットと肉弾戦が出来るレベルではない以上は自分にしか出来ないことをするべきだ。



 ―――涼の肉体には、最終発症に至った者の血が流れている。



「相手が悪かったな……ハーミット」


 呟きながら呼吸を入れ替えて、結姫と同様に内側に抱えた戦意を意識的に高めつつ瞳へと意識を集中していく。


 涼の身体能力が飛躍的に増すことはないが、この体に取り込んだ血は体の一部分の機能を跳ね上げる。

 結姫ほどの頻度はなくとも検査に通っているのは、涼もまた最終発症に満たないとはいえ以前はMLS発症者だったからだ。

 結姫よりもリスクがある力を使いたくはないが、ハーミットの能力を破るには不完全ながら肉体の変質に頼る他にない。


 身体能力で劣る相手には、眼球を変質させた所で勝てないが今回は特殊だ。


 瞳が熱くなり、外見的には瞳が赤く染まった程度の変化だろう。それでも今までよりも視界のある情報量が明確に増したのを感じる。

 結姫の動作でさえも今は簡単に捕捉することが出来て、ハーミットの透過した体が生み出す違和感の一部をも感知する。


 しかし、これだけでは完全にハーミットを捕捉することは出来ない。


 だから、これから観察するのはむしろ結姫の動きだ。

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