第36話:激動

 そうして、祈りを捧げた二人は鳥の声以外は静かな墓所を後にする。


 だが、捧げられた祈りが全て届くとは限らない。

 古来でも祈りの後にそれを踏みにじる戦争が重ねられて来たことも、挙げればキリがない数になってくるだろう。

 いつだって潰える祈りは世の中に無情なまでに溢れているのだ。


 それを見せつけるように、刻み付けるように。



 ———今回も、突然にそれはやってきた。



 けたたましく鳴り響くのは最終発症者を検知して鳴り響くサイレンだ。

 それらは方々に設置されており、複数の発症者が出たとしても微かに音色が違うサイレンが重ねて鳴り響くようになっている。

 未だかつてなかったはずなのに、今は鳴っているだけでも四つが聞き取れる。


 一つだけでも災害を巻き起こす厄災が少なくとも四つ以上。


「何よ、これ……どれから行けばいいのよ」


 単騎で最終発症者と渡り合える強襲課の人材はそう多くはない。

 あまりにも唐突な力の発現の知らせを聞きながら、涼はこの場面でゆっくり息を吸い込んで渦巻く状況をもう一度だけ把握し直した。

 落ち着け、ここで焦った所で事態が好転するわけじゃない。


 彼女を死なせない、出来るだけ自分が死なない為に頭を回せ。


 九条からは特に指示はない、強力な最終発症者がどこにいるかをまだ把握できていない現状から見れば答えは一つ。

 普段は発症者の感染度から判断して上から順に倒しているのだが、今回は情報が錯綜して判断も遅れてくるはずだ。


「近くの発症者から止めるぞ。この間にも人が死ぬ」


 何が起きるか分からない世の中になってしまったせいで、強化兵装アサルトの入ったケースは背負って来ていたのが幸いだ。

 すぐに発信された最終感染者発生警報を携帯で受けて、概ねの場所を特定して涼と結姫は駆ける。


 そうして、辿り着いた先には一人の男が立っていた。


 その異質な様相からしても彼が最終発症者であることは疑いなかった。

 一見すると細身ではあるが、その手は黒く変色しかかっている上に二人を見る瞳は片方が充血を通り越して真っ赤に染まっている。

 結姫の変質状態のように美しい紅ではなく、濃血色をした瞳が酷く見る者を不安にさせてきた。


「ああ、治安維持局の人か……」


 待っていたのは二十そこそこにしか見えない若者だった。

 身に着けている服装からも大学生と言っても十分に納得できるだけの若々しさと着こなしが出来ている。そして、やや気怠げな笑みを唇に浮かべているものの、まだ瞳には確かな意志の光が宿っていた。

 果たしてそれは希望か、千花と同じ絶望なのか判断が着かない。


「……あんた、まだ自分が誰なのか解ってるの?」


「ああ、もちろん。それなりに気に入ってる名前貰ってるんだよ。ハーミットっていうんだってさ。治安維持局の人なら知ってるだろ?」


「お前か……。何のために窃盗を繰り返した。人を殺す気はないのか?」


「人に出来ないことをすればさ、なれると思ったんだ。生還者ってやつに」


 ハーミットが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 最初からMLSに足を踏み込まないよう努力すれば、そもそも生還する必要がない状態を目指せる。意志が保てる状態ならば、まだ回復の余地があるはずだ。

 なぜ、肉体の変質まで至る前提で話を進めているのか。


 生還者がまるで選ばれし幸福を手にした者のようではないか。


「最終発症者にならない努力ってやつは出来なかったのか?カウンセリングや治療を受ければ、リスクを少しは減らせるだろ」


「俺はさ、最初から化け物になる人間なんだ。何をしても、どうしても、集団で生きるのに耐えられない人間は変化を求めるしかないんだ」


 彼の言う通りだ、と涼の中で肯定してしまう。


 今のコミュニティーは排他的な性質を持っていることは否めない。

 他人と極端に違う人間は疎まれ、厄介なのはその性質が正義か悪かを定義すれば一般的には正義とされることだ。

『あの人は自己中心的だ』『あの人は少しおかしい人だ』集団において、自己保身を含んだ過度な魔女狩りさえも時に正当化される。


もちろん集団で“上手くやる”ことができない人間に問題があるだろう。


しかし、過度の圧力を与えて他人を追い込む集団もまた時に悪に成り得る。

集団・コミュニティーとは時に正しさの在処さえ数で塗り替えるのだ。


———人の在り方が変わる奇跡が起きない限り、MLSは止まらない。


 人々が自ら長期に渡って生んでしまったストレス・圧力が膨れ上がったものが歪んだ進化を生んだとするなら。


 白鷺の言っていたことは一つの答えなのかもしれない。

 コミュニティーそのものが生まれ変わるべきだ、その為にそれぞれが出来ることをするしかないのだ。


 では、今の涼に出来ることは……。


「お前は元に戻りたいのか?」


「この力で俺は皆を救ってみようと思う。苦しいのなんて皆が嫌なはずだろ?それをなくしてやれば、僕は———人間になれる。英雄になれるから」


 ぼこりとハーミットの右腕が隆起して、肉体の変質が始まるも意志の籠った瞳は静かに二人を眺めていた。


「正義を邪魔する者は潰す、それがお約束だろ?」


 異形になりかかっている少年はそれでもなお、自分の意志を保っている。

 信じられないことに結姫のように人間に戻れないままで、彼は自分の精神力で侵食を逃れ続けているのだ。

 最早、意志を持った異形と言える体に成り果てようとも、ハーミットの執念は人格を肉体に縛り続けていた。

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