第31話:悪の所在
入口を通ると観葉植物の鉢が幾つか置かれ、オフィス然とした受付があった。
台に置かれた電話を取って程なく、先程の問い合わせ電話に出たのと同一人物であろう年若いスーツ姿の女性が二人を出迎える。
艶やかな黒髪を肩を過ぎる程度まで流し、薄化粧が生来からであろう端正な容貌をかえって引き立てていた。
「では、ご案内します。白鷺もすぐに参りますので」
わずかに笑みを浮かべると、まだ二十そこそこであろう女性は奥の部屋へと二人を通すなり一礼して出て行く。
部屋の中は明るい色をした木目調の壁で構成され、清涼さを感じさせる雰囲気が逆に落ち着かない気分にさせられる。
改めて出された冷たい麦茶を飲みながら、待つことしばし。
ついに目的の人物は二人の前に現れた。
「お待たせしました。心理学者を生業にしています、白鷺です。お二人は治安維持局に所属されている方だとか」
講演会の映像と変わらない柔和な笑みを浮かべ、二人を年若いからと言って馬鹿にする様子も見えない。二人は差し出された名刺を受け取って再び席に着いた。
「殺人事件に関して私に協力を頼みたい……とお聞きしましたが?」
「ええ、東京第二街区高等学校で起きた殺人事件について。急なお願いにご協力いただき感謝します」
治安維持局として正式にアポイントを取った以上は、下手な真似は出来ないと生来の不愛想を可能な限り抑えて対応する。
白鷺も急な申し出にも関わらず快く応じたのは、少なからず涼達の用件に興味があると見ていいだろう。
改めて日下部千花の事件を白鷺に説明すると、この場合の犯罪者の心理や千花が検査に引っかからなかった点の見解を求めた。
自分を含む心理学者への容疑に対する推論を試した意地の悪い聞き方だが、それ故に新たな視点から手がかりが得られるかもしれない。
同時に、どこか掴みどころのない白鷺の考え方を試す意図もあった。
「成程、それで学者から意見を……ということですね。どうして私を?」
訊ねた白鷺が一瞬だけ、妙な笑みを見せたのを涼は見逃さなかった。
それは追い詰められた表情でも、怒りを滲ませた表情でもなく、ただ浮かべたのは純粋なる愉悦に近い衝動だ。
なぜ、ここで愉悦を抱くのかは涼にも推し測ることは出来ないが、彼がこの取材を快く承諾した意味がそこにある気がした。
「テレビで講習会は何度か聞かせて貰っています。白鷺さんなら、公平な立場からの答えが期待できると思いました」
「成程、それでは私なりの見解を述べるとしましょう。しかし、その前に質問を一つよろしいでしょうか?」
何故か、どんな質問が来るかは明確に予測できていた。
そして、何の根拠もない想像と一言一句違わない言葉が二人へと静かに投げかけられる。
不可思議な重みと信念が秘められた、人の本質を穿つ言葉。
「例えば、皐月さんは自分と他人のどちらが大切ですか?」
「……自分より大切な人間がいるって言ったら、笑いますか?」
それが白鷺にとって上辺の言葉ではないと解ったから、簡単な嘘で逃げはしなかった。どんなに笑われようが、偽善者だと謗られようが、変わらない皐月涼が持つ唯一絶対の信念だけは裏切れない。
しばし、沈黙と共に視線を交わすと白鷺は軽く息を吐く。
「まさか、笑いませんよ。しかし……本気でそう答えたのはあなたが初めてです。そこまで興味深い答えをされては、私も本音を以てお話しせざるを得ませんね」
「普段は本音じゃないと言いたげですが」
「メディアに露出する際は最低限の言葉は選びますよ。私の発言がMLSのきっかけになることもある、それは理解しています。ですから、改めてお聞きしましょう」
―――そうして、白鷺は笑みを浮かべたままで訊ねる。
「殺人を犯した女子生徒は本当に悪だと断言できるでしょうか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
「確かに殺人は重罪、行為だけ見れば残虐極まりない。ですが、人を殺害するだけが悪ではない。むしろ、人をMLSに叩き落す悪意こそ粛清されるべきでしょう?」
その理論は一見すると、倫理の崩壊した人間の意見に聞こえる。
だが、涼には白鷺の伝えようとしていることが、千花を死に追いやってしまったが故に理解出来てしまっていた。
殺人に手を染めた彼女は純然たる悪ではなかった、本来は悪事を働く人間でもなかったのだ。故に、涼は白鷺の語る善悪論を否定する材料を持てなかった。
「確かに彼女は悪とは言い切れない。しかし、MLSが最終発症に至ってしまえば命を奪う以外に手がないのも事実です」
「絶対に方法がない、と言えるほど我々はMLSを理解していません。そこまで理解が及ぶのなら、とうに疾患は消え失せているはずです」
これもまた、白鷺がさらりと告げることは正しかった。
理解していないからこそ排除するしかない、根源に至らないからこそ最終発症の事例を積み重ねるしかない。
人を死なせない為に取り組まれる、MLSへの対策と研究は矛盾だらけだ。死んだ人間を研究材料とし、人間を処理する為の機関がある矛盾を東京第二都市は常に抱える。
「MLSを抑えるには発症要因を、あらゆる角度から検証すべきです。事件を起こした少女も複数の角度からのストレスが原因でしょう。我々は人間同士の在り方を見直さねばなりません」
講演会で語った時から、白鷺の主張は何も変わっていない。
人の本能と感情を見直し、コミュニティーの在り方を再構築する。MLSを収束させる方法は人同士の接し方にあるという論調だ。
しかし、疑問に思うのは『相手がMLSになるかもしれない』と気を遣い続ける面倒なコミュニティーを人々が望むかどうかだ。
最悪の場合、そのストレスが新たなるMLSを生む可能性だってある。
その解決策をどう提示するのか、正直に言えば涼は興味があった。
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