第25話 アマリージョ
プラスチックのオモチャが走る。黄色い新幹線の形をしたプラスチックの車両が走る。乾電池を入れて、スイッチを入れて、青い線路を繋げれば部屋の中が横断鉄道。襖の麓からすっかり黄土色になった古い畳のフチに沿ってまっすぐ伸びる鮮やかな青い線路。プラスチックの線路の上を、プラスチックの電車が走る。モーターがシャカシャカ鳴って、車輪がカタコト回る。線路の継ぎ目で少し跳ねて、見上げた洋服ダンスが上下に揺れた。古いタンス。古びた畳、破れた襖、黄ばんだ障子、砂の落ちた壁、切れかかった蛍光灯が時折パカっと点滅する。ジコーーっと走る黄色い新幹線。線路を調べる新幹線。畳のフチからカーブして、部屋中を走る青い線路。立体交差で線路が線路と跨ぎ、高架の上を颯爽とゆく。線路で埋め尽くされた部屋を、たったひとりで走り続ける黄色い新幹線。電池が切れるまで走り続けて、そのうち止まった場所が君の終着駅だ。そこで駅名に墓碑銘を刻んで終わりさ。走る、走る、広がり続ける線路を走る。
コウガイビルだ。コンクリートの縁石と植え込みの湿った地面の境目を、にょろりとしたものが這っているのを見つけた。台風が過ぎてあちこちまだ濡れている、盆も終わりの夏の午後。15時少し前。やがてその平べったく丸っこい形の頭を持ち上げて辺りをキョロキョロ見回し、思いのほか素早い動作でしゅるしゅると縁石を登ってゆく。花壇の土くれと草むらに隠れるようにして、にょろにょろしゅるしゅると消えてゆくコウガイビル。この陽射しの下では生きられまい、暗く湿った世界へ帰ろう。誰もが陽射しの下で生きられるわけじゃない、誰もが陽射しの下で生きていたいわけじゃない。日陰でこそ生きられる者もいる、日陰の方が住みやすい者もいる。その温度差、日陰の良さ、日向にいられない理由も何も考えずに、誰も彼も白日の下に引きずり出される社会でなんか誰も生きてはいけないだろう。日向が平気ならより太陽に近づけられて焦げてゆくし、日陰に潜めば見つけ出されて炙られる。アリの巣にホースで水を注ぎこむ子供のように、カタツムリを焚火に放り込むクソガキのように、どこにも逃げ場はない、誰一人逃がしはしない、と背伸びした中学生の書く面白くもなんともない、ただやり過ぎているだけのディストピア小説のような社会。それが実在するのだから、事実は小説よりも奇なりと言う。日向で生きられる奴等は何も知らずにじりじりと焦がされ、搾り取られて焼き殺される。日陰で息をひそめればレッテルの石を乗せられて窒息するか、石をどけられて摘まみだされていじくり殺される。何もわかっていないことは残酷なほどに幸せだ。誰の悲鳴も聞こえず、サイレンも、SOSも、叫び声も聞こえずに生きていけたらどんなにいいか。何にも感謝せず、何にも恐怖せず、誰にも恨まれたりねたまれたりせずに……そうでなければ気付かずに。気付かないフリをしてもダメだ。いつか背中に重くのしかかった悔恨や自責の念が心の奥底まで染み出して、心を内側から腐らせてゆく。感謝も後悔も恐怖も強がりにすり替わり、腐った心が周囲に悪臭と悪態を撒き散らす。そうなれば終わりだ、人間ではない。腐った心を腐った肉で包んだだけの最低最悪の小籠包のようなものが手足を生やして歩いているだけになる。そうなったら、誰にも感謝せず、何にも恐怖せず、ただ誰でも恨んでねたみ続けて生きてゆくことになる。幸せなようで、実は物凄く周囲を不幸にする、最悪の形だ。それでも構わないと思う奴等が増えれば増えるほど余裕は無くなるし、日陰も狭くなる。コウガイビルが逃げてゆく、どこか他の日陰を目指して。
青いレールをジコーーっと走る黄色い新幹線が小さな駅に着いた。オレンジの屋根とプラットホームがあるだけの、まるで田舎の無人駅そのもの。のどかな駅に停まる新幹線もあったものだ。線路わきの黄色いレバーをくいっと倒せばジャッキアップされ車輪が浮いて停車する。販促映像ではわからないがその間もモーターは回転し続けているのでひどく耳障りな音が鳴り続けることになる。駅に着いて停車したのではない、あくまでタイヤが空転しているだけのことだ。そんな小さなギャップに気が付いてしまうと、とてもやりきれない。気付かないで停まったことになってれば、それはそれでむなしい。
回り続ける車輪をじっと見ていると、だんだん車輪のなかに浮かび上がってくるものがある。ジコーーというモーターから発せられた動力が軸を伝って歯車を動かし車輪を回すイメージ。じっと見ていると動く力に色がついてくる。初めは暗い青、群青色よりも濃い青が紫になり、赤くなってどんどん広がってくる。どんどん赤くなる、黄色いボディに赤い熱がどんどん広がってくる。空転する車輪、回り続けるモーターの音、広がる熱と赤いイメージ。スイッチをパチンと切り替えて、車輪の薄いゴムがレールに食いついて勢いよく走り出してゆく。くねくね曲がった青いレールに赤い軌跡を残して、黄色い新幹線がガタゴト走り出した。陸橋を駆け上がり、踏切を駆け抜けて、真っすぐ並べたつもりでも、少しゆがんだ線路を確かな足取りで走ってくる。白いライトで目の前を照らす。明るい部屋だがライトは光る。その白い光の先に、さらに伸び続ける線路。部屋中いっぱいに広がっても、まだ伸びる線路。部屋いっぱいの青い線路を延々と走る黄色い電車。走っても走っても駅には着かない。さっきの駅が最後だから。次の駅は電池が切れたそのときに、君が止まったその場所だ。そこで駅名に墓碑銘を刻んで終わりさ。さあ走るんだ、モーター、軸、歯車、ゴム、電池。
車輪、カバー、ボディ、ハリボテのパンタグラフ、置物の架線、全部プラスチック。
生きているものといえば、そこに這い出てきた一匹のコウガイビル。枯れた松葉のように線路に横たわってもがいているうちに、黄色い新幹線がやってくる。ジコーーっと走るおもちゃの車輪、プラスチック、ゴム、電池。ぬるぬるぬらぬらと蠢くコウガイビル。車輪、コウガイビル。黄色い新幹線がコウガイビルを三つに分けた。二つずつ二対の車輪で二度轢いて、千切れた体が空を掴むようによじる、よじる。うね、うね、と暫く蠢いていたコウガイビルの体が止まった。頭だけはそのままいずこかへ這って行った。黄色い新幹線は遥か遠くの線路の上を、ジコーーっと走っている。そんな部屋がどこかにある。
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