第80話 Back To Black(21)

(1)


「大丈夫か??」

「はい」


 ディヴィッドが退店するやいなや、カウンターの中でシャロンはグレッチェンの顔色を窺った。

 声も表情も普段と変わりなく落ち着いているが、普段とは比べ物にならない青褪めた顔色は血を抜いたせいだけじゃないだろう。

 固く閉ざされた扉の奥で交わされる会話がはっきり聞き取れた訳ではない。だが、いつになく憔悴するグレッチェンの様子から、毒の標的が誰なのか、なんとなく察しがついている。でなければ、ディヴィッドもこの店ではなく別ルートで毒を手に入れる筈だ。

 毒販売の依頼受理に関して、基本的にシャロンは口出ししない。きっと口出しを始めたら、諸々理由をつけて全ての依頼を断るよう仕向けてしまう。本来はそうすべきなのだ。しかし、そうなった場合、最終的にグレッチェンは自分の元から去っていくだろう。


 彼女と出会い、自分は変わった筈だと思っていたが――、狡くて卑怯なのは死ぬまで変わらないかもしれない。愛せない癖に手放したくないなんて勝手が過ぎる。


「顔色が戻らないようなら今日は早めに帰るといい。体調管理も仕事の内だよ」


 不摂生の塊みたいな自分が言うと説得力皆無な気がする。グレッチェンにもそう切り返されるのでは、むしろ、普段通りの厳しい指摘が返ってくるのを期待した。少しでも憂慮から気を逸らしたり、頭を切り替えて欲しかった。けれど、当のグレッチェンは力無く微苦笑したのみだった。


「今回の報酬を使って、ゴールディにある君のお気に入りの高級菓子店で全種類買い占めるのはどうだね??」

「それは……、大変魅力的な提案ですね」

「だろう??」


 子供騙しもいいところな、苦し紛れの慰めに、ほんの僅かだが、グレッチェンの気分が上向く。上向いた気がする。この調子で少しでも気を紛らわしてやらねば。


「ただ、全種類買ったとして……、さすがに量が多いので私一人じゃ食べきれません。シャロンさんも一緒に頂いてくれますか??」

「え」

「え??」


 互いにきょとんと顔を見合わせる。グレッチェンに至っては至極真面目な顔して小首を傾げている。

 まさか本当に全種類の菓子を買うつもりでいるのか。

 もちろん、彼女がそれを望むのならいくらでも叶える……、つもりだ。


「お義母様と三人でお茶会してもいいですけど……。でも、大量のお菓子を購入した経緯を絶対詳しく訊きたがると思うのですよね……」

「あぁ、まぁ、そうだね……」


 シャロンの脳裏に、マクレガー夫人の好奇心に満ち満ちた輝かんばかりの笑顔が浮かび、一気にげんなりする。母の性格を的確に見抜きつつ、うまくはぐらかしたり誤魔化せないグレッチェンの姿もありありと浮かぶ。甘い物が苦手なシャロンにとって山盛りの菓子など見るだけで腹いっぱいになるし、食べるとなれば苦行に他ならない。

 しかし、言い出したのは紛れもなく自分。ここでぬか喜びさせるなんて紳士の風上にも置けない。彼女のためにも腹を括らなければ。


「そ、そうだね……、じゃあ、今度の安息日にでも一緒に」

「あっ、そう言えば……、シャロンさん、甘い物苦手でしたよね……。無理強いは駄目ですから」

「いや、私ならかまわ――」

「ハルさんをお誘いしましょう」

「は??」


 なぜ、ハルの名が出てくる。


「ハルさんでしたら事情を皆まで言わなくてもきっと察してくれますし」


 非常に複雑な気分に陥ったが、グレッチェンの言い分はおよそ間違いではない。

 ぶつくさ文句言いながらも『しょうがねぇなあ』と、誘いに乗るに違いないから。








(2)


 数日後、グレッチェンはシャロンと共にラカンターに足を運んでいた。





「……で、二人揃ってうちの店に来たって訳か」

「はい」



 平日の中日であっても店内のテーブ席は半数以上埋まっている。各テーブルでは客達が談笑やカード遊びに興じ、喧騒の間を縫うように従業員の青年ランスロットが忙しなく飲み物や軽食を運んでいた。

 カウンター席は常連客しか利用しないせいか比較的空いており、二人の定位置にあたる真ん中の席に腰を下ろした。そして、以前二人で交わしたお茶会(?)の話をそれとなくハルに持ちかけたのだが。


「まぁ、愚弟が世話になったみたいだし、誘いに応じてやらんでもないが……」

 シャロンにはスコッチのグラスを、グレッチェンにはレモネードの瓶を手渡すハルの返事はどうも煮え切らない。咥え煙草を軽く噛みしめ、横目でシャロンに一瞥くれる。

「こいつの顔見ながらの茶会、ねぇ」

「ほう、奇遇だな。私も同じ気持ちだよ。その台詞、そっくりそのまま返してやろう」

「言ったな??シャロンの癖に」

「お二人とも、子供じみた口喧嘩はやめてください」


 喧嘩するほど仲が良いとはよく聞くけれど。

 どうしてこの二人は顔を突き合わせる度、互いになにか言わずにいられないのか。

 レモネードを一口、ため息と胸中の呆れと一緒に流し込んでいると、憎まれ口の応酬が止んでいた。代わりに二人揃って微妙な表情でグレッチェンを見つめている。

 そもそもの原因ハルを誘うと言ったのが自分だとは思いも寄らないので、不審も露わに尋ねる。


「……なんですか、お二人とも変な顔して」

「「いや、別に」」

「声、かぶってますけど」

「あん??」「は??」

「……仲、良いですよね」

「良くねぇよ」「良くない」

「…………」


 無言で再びレモネードを口に含むと、後ろのテーブル席から一際大きな笑い声がどっと沸き起こった。

 何事かと振り向いてみれば、四人掛けテーブルの一席で、男の客達に混じってカードゲームに興じる若い娘の姿に目を奪われた。グレッチェン同様、騒がしさにつられて振り返ったシャロンも言葉を失っている。

 娘は、カウンター席で驚愕に固まる二人に全く気づいていない。襟ぐりがやけに広く胸元が強調された衣服から、街娼の類か。益々に似ている。


「言っとくが、他人の空似だからな」


 喧騒に紛れて呟いたハルにどきりとさせられ、徐に向き直る。

 当のハルは煙を吹かし、頭上を仰いでいた。その視線は、頭上にずらりと並ぶグラスでも天井でもなく、もっと遠い場所へ向けられているように思えた。


「おい、お前ら。ちょっとばかし喧しいぞ。もう少し静かにしろよ」

「はーい、ごめんなさーい!」

 ハルに注意されると、娘はちろりと舌を出して肩を竦めてみせた。その様子に、やれやれとハルは呆れ顔だ。

「ハル、彼女は……??見たところ街娼のようだが、ラカンターじゃ娼婦の客引きは禁止していなかったか??」

「他の街娼連中に絡まれてるのをたまたま助けたら、なんか懐かれた。懐かれた以上、質の悪いのに当たって酷い目に遭わせたくないし、うちの客ならまぁ、悪いように扱わないだろうと特別に客引きを許可した」


 客引きを許可したのは懐かれただけが理由じゃないだろう。

 髪色や体格等は違えど、あの若い街娼はアドリアナによく似ている。特に笑った顔は生き写しといっていいくらいである。だが、そのことをグレッチェンはあえて言及しなかった。

 彼の古傷を、否、未だ塞ぐことなく、繰り返し膿んでは血を流す傷口に触れてはならない気がしたから。


「あの……」

「ん??なんだ」

「こんなこと、私が言っていいか分かりませんが……、あの女性をラカンターで雇う、というのは、無理な話でしょうか??」

「グレッチェン」

「すみません、シャロンさん。余計な口出しなのは重々承知しています。ですが」

「いや、グレッチェンの言う通り、そうしてやるのが一番いいとは俺も思ってる。ただ、あいつと出会う直前に新しい従業員を雇うことが決まってな。その新入りはランスの連れだし、前にうちで働いてた歌姫の弟で……、まぁ、つまりは断ると、ちと面倒な事態になり兼ねないっつーか……」

「雇用に関する揉め事を避けたい気持ちは分からなくもない」

「だろ??給金の問題もあるしな」

「いっそのこと、永久雇用という手もあるんじゃないか」

「シャロンさん!」


 冗談でも言っていいことと悪いことがある、と窘めかけて、口を噤む。冗談めかした発言とは裏腹に、ハルに向けるシャロンの表情は真剣なそのものだった。

 対するハルは怒るでも硬直するでもなく、短くなってきた煙草を咥えたまま眉を寄せている。気まずい沈黙の中、ハルはだるそうに頭を掻いて煙草を灰皿に押しつけた。


「俺じゃメリッサは幸せにできん」

「ハル」

「年齢も性格も全然違うってのに、顔があいつアドリアナに余りに似すぎている。そのせいで事あるごとにあいつと比較しちまいそうだ」

「…………」

「それに」


 カウンターに肘をついたハルにちょいちょいと手招きされる。

 シャロン共々、顔を寄せるとこっそり耳打ちされた。


「あいつの方がはるかに胸がデカい」


 反射的にハルからササッと身を遠ざける。


「お前って男は……、最低だな」

「最低です」

「グレッチェンはともかく、シャロン、お前にだけは言われたくないぞ」

「私は比べるような真似はしないぞ。しかも女性を目の前にして……」

「言っておくが、メリッサの実物は見ちゃいないし今後も見るつもりない」

「そんなことは誰も聞いてない!」

「……私、もう帰っていいですか」


 心底うんざりして席を立ちかけると、「私も帰るよ。馬鹿馬鹿しくなってきた」と頭を振りながらシャロンも立ち上がる。


「あと、レディを一人で帰らせる訳にはいかないだろう??」


 差しだされた手を『結構です』と跳ねのけようとして、ミルドレッドのことが脳裏を掠める。

 毒の報酬の一部として、グレッチェンはミルドレッドが事件を起こすに至った経緯をディヴィッドから聞き出していた。


 セオドア・アンドリュース氏による理不尽な仕打ち、妻アンの無知に対する強い憤りと、彼女への深い憐みを抱く一方で。もしも、ミルドレッドが頑なまでに血筋や地位に固執せずにいたら??アンドリュース氏の庇護を捨て、子供と生きていく道を選んでいたら??

 もちろん、不幸続きの人生の半分以上は彼女の責任ではどうにもならなかったわけだし、この国の女性の幸せは身分の高低に拘わらず運次第なのだと改めて思い知らされた。


 そう、所詮、自分は運が良かっただけ。

 でも、その運の良さで、今もこうしてくだらないお喋りだってできる。


 珍しく素直にシャロンの手を取ると、意外そうな顔をされてしまった。

 あからさまに驚かなくても、と、ムッとしたが、軽く睨むだけに留めておく。


「今夜はやけに素直だなぁ」

「明日は季節外れの雪が降るか」

「……私をなんだと思っているのですか」


 散々な言われようにだいぶムッとしつつ、もう少しだけ(主にシャロンに対して)素直になるべきか。

 面白がる二人を尻目に、グレッチェンは一人静かに思案に耽っていた。

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