第79話 Back To Black(20)

(1)


『ケイトリン・アンドリュース誘拐事件の被疑者と思しき家庭教師、瀕死の重体で発見される』

『堤防から身投げを図ろうとして野盗に襲われたか。激しい心身喪失状態の為、裁判はおろか事情聴取も極めて困難な状況』

『被疑者は現在、しかるべき専門の厚生施設に強制入所中』


 バサッと大きな音を立て、拡げていた新聞を畳む。

 平素のグレッチェンらしからぬ乱暴な動きにシャロンは少なからず驚かされたが、何も言わなかった。その気配を感じ取りつつ、気づかない振りをして新聞をカウンターへ置く。

 ミルドレッドとハーロウから散々な目に遭った安息日から一週間近く。

(ハーロウはどうでもいいとして)ディヴィッド達があえて致命傷を避けて発砲したため、ミルドレッドは一命をとりとめていた。だが、最後に見た狂女の態は現在も変わらない、と聞く。


 どうしようもなくやりきれない。

 自分達は何事もなく日常の世界に戻れたのに。

 ミルドレッドは二度と戻ってこれない。

 例え戻ったとしても、『淫売の身に堕ち、犯罪者に成り果てた没落令嬢』の烙印は免れない。


 毎日目にするケイトリン・アンドリュース誘拐事件、及び彼女に関する記事を読む度にため息も深くなっていく。また一つ溜め息を零しそうになった時、カウンター正面の玄関扉が開いた。頭を切り替え、「いらっしゃいませ」と呼びかける。


 今しがた店に訪れた客は背格好といい雰囲気といい、二人にとって見覚えがありすぎた。

 しかし、二言目の呼びかけがなかなか出てこない。シャロンも同様らしく無言で客を凝視していた。

 絹の柄物ショールを首に巻き、三つ揃えの高級スーツを纏う長身の紳士は二人の視線を受け流している。ハニーブロンドの短髪をオールバックに、色つきの片眼鏡を嵌めたその紳士がディヴィッドだと気づくのにたっぷり数十秒はかかってしまった。


「なになに??さては俺に見惚れちゃっ」

「違います」

「食い気味にばっさり否定するのやめてぇ??」

「改まった服装でうちの店に来たのは理由があるからですよね??」

 口調と態度は普段と全く変わらないが、紳士然とした姿には違和感と疑問ばかりが湧いてくる。当のディヴィッドはへらりと誤魔化し笑いするばかり。

「お嬢ちゃんに、ちぃーとばかし頼みがあってよぉ」

「はい、何でしょうか」

「逢引の誘いじゃないだろうね」

「違う違う。例の、『即効かつ確実、証拠が残らない毒』ってのを俺に売って欲しいんだわ。金は言い値だろぉ??いくらでも望み通りの金額払うからさぁ」


 だらしなくカウンターに肘をつき、ディヴィッドはグレッチェンに向けて身を乗り出した。少し顔が近い気もする。グレッチェンをディヴィッドから遠ざける準備万端とばかりにシャロンの腕が身体に触れるか触れないかの位置まで伸びる。

 グレッチェンの、元から乏しい表情が完全に消え去っていく。薄灰の双眸に怜悧さが宿る。


「毒を売るかどうかは、貴方が毒を求める理由如何によります。まずは奥でお話を聞かせてもらえますか??」






(2)


 四方を背の高い本棚が埋め尽くし、乱雑に実験器具を拡げた机が中央に鎮座する部屋へ、ディヴィッドを招き入れる。奥の流し台の近く、二人掛けのテーブルセットに座るようディヴィッドに促す。

 そこでふと、薬品臭が店内以上に強いのでは、と気になった。自分はすっかり慣れているけれど、とまで思って、少し可笑しくなった。

 これまでも何度となくこの部屋に依頼人を通したというのに、今更気になるなんて。相手が見ず知らずの他人ではなく知り合いだから??などと思いながら、ディヴィッドに遅れて席につく。


「薬品の臭いとか気になるかもしれませんが……」

「あぁー、いい、いいって。死臭や血臭に比べたら、てんでマシ!つーか、そんなことよか、さっさと本題入らせてもらうわ」


 大半の客は話を切り出すのに多少、もしくはかなりの時間を要する。人の生き死にが関わるのだから当然だ。しかし、この手の取引に慣れているのか、ディヴィッドはすぐに話を切り出した。


「昔、うちの関係者だったある女が、犯罪者になったあげく心身喪失状態で精神病院に入院している。おそらく、二度と正気に戻りはしない。だから」

「今の内に口封じ、ですか」


 皆まで言わせず、ディヴィッドを静かに睨む。

 知人とはいえ歴とした依頼人の話を遮り、咎めるなどもっての外なのに。

 頭では分かっているのに、感情が抑えられなかった。

 ディヴィッドは呆れただろう。現に、駄々を捏ねる子供を宥めるような目でグレッチェンを見据えている。


「お嬢ちゃん、人聞きが悪すぎぃ。確かに、口封じの意味も全くなくもないけどー、さすがにちょっとばかし不憫に思えてきちゃってさぁ……、って、その目は俺の言葉疑ってるよね?!」

「はい」

「しかも即答したね?!うわぁ、俺、そんな信用ない訳ぇー??うわぁ、うわぁ……、むちゃくちゃ悲しいぃー、めっちゃ傷つくぅー……」

「では、私の質問に正直に答えていただけますか」


 顔を両の掌で覆い、項垂れて泣き真似すらしてみせるディヴィッドを白々しく思いながら、問い質す。


「毒を求めるのは、本当にサリンジャーさんご自身の意思ですか??それとも、ミルドレッドさんに発砲した時のように、誰かの差し金ですか??」

「…………」

「答えてください」

「……黙秘じゃダメぇ??」

「黙秘してもいいですよ。その代わり、毒は手に入りませんが」

「お嬢ちゃん、随分と手厳しいねぇー」


 パッと掌を顔から離すと、ディヴィッドはさも愉快そうにくつくつと笑う。


「なにが可笑しいのですか」

「だってよぉー、俺の立場知った上で取引持ちかけられても物怖じしないって、すっげぇ神経だなぁ、と」

「身の程知らずだと言いたいのですか」

「あぁ、違う違う!むしろ、その逆!!だからこそ、俺、気に入ってるんだってば!大した女だよホント!!」


 遂には、手を叩いて大笑いし始めるディヴィッドに、グレッチェンは初めて言い知れぬ不安を覚えた。グレッチェンの不安を見抜いたのか、ディヴィッドは笑うのをぴたりと止め、真顔で告げる。


「なぁ??レディ・アッシュ・レズモンド」


 血の気が一気に引き、目の前が急に暗くなった。

 気を抜くと卒倒してしまいそうだが、辛うじて鉄面皮を保つ。


「知らないとでも思ってたー??アンタら素人が危う過ぎる裏稼業やっていけるのも、俺やハロルドが尻拭いしてるからだぜ??だから、素性くらい当然周知してるっつーの」

「…………」

「あ、言っておくけど、ハロルドは責めてくれるなよぉ??あいつ、アンタの素性も秘密も頑なに教えようとしなかった。教えるくらいなら、喉掻き切られて身体をバラバラに切り刻まれた方がいいってな。いやはや、切り裂きハイドに惨殺された恋人を喩えに出されちゃ、さすがに何も言えなくなるって……。だから、自力で勝手に調べさせてもらったって訳。つっても、確たる証拠も手掛かりもなかったからほとんど噂を元にした憶測の範疇でしかないけどぉ」

「……質問の答えをはぐらかすだけでなく、そうやって脅して、毒を売らせようという魂胆ですか。クロムウェル党の頭首と同じじゃないですか」


 痛い程煩い鼓動、くらくらと酷い眩暈。胃の腑からせり上がる吐き気。

 今すぐこの場で舌を噛み切ってしまいたい衝動を堪え、動揺で裏返りそうな声を喉の奥から絞り出す。


「あの蛇男と一緒にするんじゃねぇよ」

 ディヴィッドは再び真顔になり、不快も露わに眉を顰めた。語調もいつになく荒い。

「ちょっとばかし揶揄い過ぎたのは悪かったと思う。あんたの事情に立ち入り過ぎたことも悪かった。ただな、あの男と同類と思われるのだけはどうにも我慢ならないんでね。毒を求めたのは上の指示じゃない、あくまで俺個人の意思だ。美貌も誇りも失って廃人状態で生きることが、異常なまでに矜持高かったあの女が望むと思うか??生き恥晒してまで」

「…………」

「過去の話とはいえ、あの女はうちの店に大いに貢献してくれている。だから」

「……分かりました、もう結構です」


 音を立てず椅子を引き、静かに立ち上がる。

 素と思しき口調が演技でない限り、ディヴィッドがしようとしていることはグレッチェンの脳裏でも時々掠めていた。最も、近親者でもない親しい他人でもないグレッチェンではミルドレッドが入院する精神病院にすら行けないけれど。ディヴィッドだって、ミルドレッドへの同情に見せ掛けてへの反抗心が働いただけかもしれないけれど――



 

「サリンジャーさん、貴方に毒をお売りします」

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