第40話 Everybody's fool(11)

(1)


「あっちゃー、マクレガーの旦那とお嬢ちゃん、随分と派手にやらかしてくれたねぇー」


 今にも窒息しそうな重苦しい空気の中、場違いなまでに素っ頓狂で明るい声が背後から響いてきた。

 声につられてシャロンとグレッチェンが振り返ると、ハニーブロンドの短髪に長身痩躯の黒スーツ、もとい、ディヴィッドが後ろ手で扉を閉めながら、殺伐とした部屋の光景に唖然としていた。


「ま、やっちまったもんは仕方ねぇかぁ。あぁ、心配しなくても、あんたらが仕出かしたことは何とか揉み消してやっから、安心してくれよぉ。……ていうか、やらなきゃ俺がハロルドにぶっ殺されちまう」


 殺人が起きたばかりの場に関わらず、相変わらずディヴィッドはニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべている。

 そんなディヴィッドをシャロンは薄気味悪そうに眺めていたが、彼が姿を見せたことで、ずっと胸の内に抱いていた疑問を彼に尋ねようと思い立った。


「……ミスター・サリンジャー。貴方にお尋ねしたいことがあるのだが……」

「へいへい、何でございましょうかねぇ??」

「ドン・サリンジャーの店の男娼をウォルター・ケインの元へ派遣していたのは、商売とは別に、何か目的があってのことなのだろう??……と言うのも、サリンジャー一家は歓楽街を裏で取り仕切る以外に、ファインズ男爵からの密命での仕事も請け負っている、と、もっぱらの噂だ。終身刑を下されていた筈のウォルター・ケインが数年前に突然保釈されたり、奴が上流階級の人間に成りすまし、秘密俱楽部の名目で阿片を広めていたり……。どう考えても、他に共謀者が存在するに違いない……。ドン・サリンジャーは、貴方と男娼を使って、その共謀者についてウォルター・ケインから何らかの手掛かりを掴もうと探っていたのでは……??」

「ははぁ、流石、この国有数の名門大学の元医学生だけあって、旦那ってば賢いお人だねぇ。ただ、こっちとしても守秘義務が課せられてるんでね。悪いけどさぁ、旦那の質問には答えてあげられないんだわ」

「…………」

「まぁ、旦那が気にする気持ちは、よーく分かるぜ??でも、あんたとお嬢ちゃんはあくまで堅気の人間なんだ。知らなくてもいいことさぁ。って、そんなことより、目的は済んだんだから、とっとと帰りなよぉ。行きにあんた達を降ろした通り沿いに馬車を待たせてあるから、それに乗ってくれ。後始末は俺が上手くやっとくからさぁ、なぁ??」


 ディヴィッドは二人に近づくと、シャロンの肩を叩いて部屋を出るよう促す。馴れ馴れしさに眉根を寄せ、徐に彼から顔を逸らす。

 窓の下に転がっている、カーテンの端を咥えたまま絶命したウォルターの亡骸が視界の隅に映った。


 その時、ふと違和感を覚えた。

 もう一度ウォルターの亡骸付近を横目で注視してみる。


 半分だけ開かれたカーテンの後ろの窓――、その更に向こう側には小さめのバルコニーが設置されている。

 そこでバルコニーから窓越しに映るものを確認すると――、瞬時に顔色を変えた。



 シャロンが目撃したもの――、知らない間に、窓の外に人が立っていて――、部屋の中の三人に向けて銃口を構えていたのだ。



 気付くが早いか、シャロンはグレッチェンを抱えるようにして窓から最も遠い壁際へと飛びずさった。

 半拍遅れて、窓の外から銃弾が撃ち込まれる。

 僅差でディヴィッドが懐から銃を抜き、窓の向こう側へと発砲――、窓を隔てた中と外とで銃撃戦が始まった。





(2)


 絶えず部屋の中で鳴り響く乾いた銃声。跳弾によってあちこちに生じる青白い火花。

 粉々に砕け、きらきらと光りながら床に飛び散る窓硝子の破片。

 幾つもの穴が開けられた寝具から飛び出し、ふわふわと宙を舞う白い真綿と羽毛。


 星のように輝き、または雪のように白く柔らかい、それらの間をすり抜け、時にはウォルターの死体に弾をめり込ませつつ、飛び交う銃弾の雨。


 暴力的でありながら、どこか退廃的な美を思わせる光景に、グレッチェンを庇いつつシャロンはつい目を奪われる。


「ったくよぉ……、敵さん、意外としぶとくて本当敵わねえやぁ……」


 切迫しきった状況下であっても、ディヴィッドはおどけた口調を崩そうとしない。

 互角の腕を持つ相手との撃ち合いを楽しんでさえいるようで、口元がだらしなく緩みきっている。


「でもなぁー、俺一人だけならもうちょっと楽しみたいんだけどさぁー。あいつらが撃たれちゃヤバいから、そろそろケリつけっかぁ!!」


 ディヴィッドが、スーツの裏地に取り付けたホルスターからもう一丁銃を抜き取り、二丁拳銃で応戦し始めた直後。

 窓枠と僅かに残った硝子を突き破り、灰色の山高帽を目深に被った男が部屋の中へと転がり落ちてきた。


 ディヴィッドは二丁の銃を構えたまま、ウォルターの死体の上に仰向けで重なり、ぴくりとも動かない男の元へと慎重な足取りで一歩、また一歩と近づいて行く。

 離れた壁際では、シャロンとグレッチェンが立ち竦んで抱き合ったまま、戦々恐々とした面持ちで事の成り行きを見守っている。


 男のすぐ傍まで近寄ったディヴィッドは彼の帽子を取り払い、銃口を額に押し当てると躊躇うことなく引き金を牽いた――。


 銃声と共に男の頭は吹き飛ばされ、シャロンはグレッチェンに凄惨な場面を見せまいと彼女の目元に手を宛がう。


「……マクレガーの旦那ぁ、今すぐお嬢ちゃんを連れてこの部屋から逃げるんだ」

 ウォルターと男の死体に視線を落としたまま、二人の方を見向きもせずにディヴィッドは鋭い声で言い放った。

「聞こえてねぇのか?!とっととこの部屋から出ろっつってんだよ!!」


 ディヴィッドはそれまでの間延びしたふざけた口調とは程遠い、切羽詰まったような怒声を張り上げる。

 彼の豹変振りに、ただならぬ事態が起きた、もしくは起きそうだと理解し、速やかにウォルターの部屋から出て行く。

 すぐさまディヴィッドも二人の背中を追って、走り寄ってくる。


「おい、階段まで早く走れ!」


 ディヴィッドは、廊下を駆け出した二人を後ろからぐいぐいと押し出しては急き立てる。


「ミスター・サリンジャー、一体何が……」

「説明は後だ!それよりも早く階段を……」


 訳も分からず、ディヴィッドと二人が階段を降りて行く途中――、ウォルターの部屋から耳を劈く巨大な爆発音が。

 熱風と黒煙、爆破された壁等による細かな粉塵が階段の方まで流れ込んでくる。


「グレッチェン!!」


 熱風の風圧に押され、よろめいたグレッチェンを庇ったシャロンは階段を踏み外し、彼女共々踊り場まで転がり落ちていく。


「旦那!お嬢ちゃん!!大丈夫か?!」

 ディヴィッドは足早に階段を駆け下りていき、踊り場の隅に蹲る二人にそれぞれ手を差し伸べて助け起こそうとした。

「あぁ……、私は大丈夫だが……」


 シャロンはディヴィッドの手を借りながら、したたか打ちつけたらしい顔面を抑えてよろよろと起き上がる。

 グレッチェンも身体をふらつかせながらも、ディヴィッドの手は借りずにどうにか自力で身を起こす。


「……私も、大丈夫です……、って、きゃっ?!」


 グレッチェンが完全に立ち上がるよりも早く、ディヴィッドが彼女の小さく華奢な身体をひょいっと抱き上げる。


「お嬢ちゃんに怪我させたとあっちゃあ、ハロルドの手でヨーク河の水底に沈められちまうから、俺が馬車まで抱えていってやるよ」

「ちょっと……、サリンジャーさん!私は一人でも充分歩けますから!!降ろしてください!!」


 焦ったグレッチェンはディヴィッドの腕の中でジタバタともがいて訴えかけるものの、「まぁまぁ、お嬢ちゃんは頑張ったんだし、これぐらいは楽させてやるよぉ」と、ディヴィッドは聴く耳を持とうとしない。

 彼らのすぐ傍では、シャロンが眉間に一段と深い皺を寄せ、氷の刃を思わせる冷たい殺気をディヴィッドに送り付けている。


「旦那ぁ、そんな恨みがましい目つきで見ないで下さいよぉ。気持ちは分かるけどさぁ、ドレス姿じゃお嬢ちゃん抱えるのはちょっとばかし無理だろぉ??」

「…………」

「てことで、さっさと馬車が停めてある場所まで行きますよ??」


 ディヴィッドに意味ありげな含み笑いを向けられたシャロンは、不機嫌さは変わらずとも黙って頷き返したのだった。



(3)


 突然起こった盛大な爆発音に、屋敷内の人々は当然の如く混乱に陥っていた。


 着の身着のまま一目散に外へと脱出を図る使用人達に対し、阿片で酩酊している秘密俱楽部の会員達は出産前の熊のように部屋の中や廊下を右往左往とうろついてばかり。一向に外へ逃げようとしない。


 非情極まる態度だと思えど、シャロン達も彼らに構っている余裕など皆無。屋敷内で逃げ惑っている人々には目もくれず、すでに開放された玄関から外へ飛び出した。



 ウォルターの屋敷から出たシャロンと、グレッチェンを抱きかかえたディヴィッドは足を止める間もなく、馬車を待たせているという通りの場所まで一気に駆け抜けていく。

 上流階級の人々の屋敷が連なる閑静な住宅地で起きた爆発に、近くに住む住人が何事かとこぞってウォルターの屋敷の前に集まっていく流れに逆らいながら。


 やがて、ウォルターの屋敷から北へ一本進んだ通りに、一台の辻馬車が停まっているのが確認された。


「ほーら、俺の言ったとおりだろ??」


 馬車の傍まで来ると、ディヴィッドは何故か勝ち誇ったようなような顔つきで、シャロンとグレッチェンを交互に見返してきた。

 シャロンはその言葉に答える代わりに、ディヴィッドの腕の中から奪うようにしてグレッチェンを抱きかかえた後、地面へと降ろす。

 シャロンの強引かつ、紳士にあるまじき不躾な態度に気を悪くするどころか、しょうがねぇ人だなぁ、と言いたげに、ディヴィッドは軽く鼻を鳴らした。


「御者には『ストロベリー・フィールド』っていう賭博場にあんた達を連れて行け、と伝えてあるからさぁ。ま、そこも親父が経営している店なんだけどよぉー。そこで着替えを用意させているし、とりあえずその店に入ってくれれば、あとは店の連中が何とかしてくれるんじゃね??」


 ディヴィッドは馬車の中に二人を押し込むと、何か言いかけているシャロンを無視して扉を閉めた。

 窓に張り付いてまだ何か言ってくるシャロンに構わず、ディヴィッドはへらへらと笑いながら両手を振って、別れの意を示す。


 それが合図だったかのように、御者が手綱を振るう音と、馬の嘶きと共に馬車がゆっくりと動き出す――


「……さぁてと、最後に大仕事かましに、あいつのところへ出向くとするかぁ……。にしても、あの野郎……。刺客を寄越しやがっただけでなく、返り討ちに遭った時のために時限爆弾で自爆するよう命令しやがったな……。クソッタレが……!」


 二人を乗せた馬車が去っていくのを見送りながら、ディヴィッドは誰に言うでもなく、忌々し気に悪態をついた。

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