第39話 Everybody's fool(10)
(1)
ルパートが部屋から出て行ったのを見計らい、ウォルターはベッドに横たわる少年の上にのしかかった。
少年の、ダークブラウンの虚ろな瞳に僅かな怯えが生じるが、阿片粉と共に焚かれる白壇の香のせいで意識が朦朧としているため、身動き一つ取ることすらままならない様子に、ウォルターの加虐心は募っていく。
混血児として生まれたウォルターは、幼少期よりこの国の人間だけでなく東の異国人からも様々な差別を受け続けていた。
特に、どちらの国でも女達が見せる、さりげない言葉での陰湿な差別は彼を極度の女嫌いへと変えさせる程。彼が唯一愛した女性は実の母のみ。けれど、その母も彼が少年時にこの世を去っていた。
ウォルターが三十歳以上の女装が似合う男を好むのは、女嫌いと亡き母への思慕という相反する思いが大きい。
反面、変声期前の少年を偏愛したがるのは、散々自分を虚仮にしてきたこの国の人間を無抵抗かつ真っ新な状態から滅茶苦茶に汚してやりたいという屈折した思いによるものだ。
そして、今も格好の獲物が目の前に転がっている。
ウォルターは少年のドレスを乱暴に引き裂き、露わにさせた白い背中から腰へ、掌をゆっくりと動かして肌をなぞっていく。
染み一つ見当たらない、幼い子供の柔肌の感触は益々持って興奮を促される。
「なあに、ちょっと我慢するだけで良いんだ……」
少年の身体に残る布地を全て取り払おうと、破れたドレスに再び手を伸ばす――
ゴスッ!
少年を生まれたままの姿に剥いた後、時間を掛けて可愛がりたいと気持ちばかりが逸っていたせいか、部屋に侵入者が現れたことに全く気付かずにいた。だから、たった今自分の身に何が起きたのか、ウォルターはすぐに理解することができなかった。
数秒後、頭頂部からこめかみにかけて生温かく鉄臭い液体がぬるりとしたたり落ちる。激しい眩暈に襲われたウォルターはベッドから床へと横倒れの姿勢で転がり落ちていった。
床に伏す寸前、見覚えのある細く長い脚が視界に映り込んだ――、かと思うと、自分とは入れ違いにその人物はベッドの上に急いで飛び乗ると、「シャロン!シャロン!!……す、すまない、本当に、すまなかった……!」と、涙交じりの鼻声で少年に謝り倒している。
「……ル、ルパート……、貴様ぁ……」
床の上でうつ伏せに倒れながら、息子を助けに戻ってきたルパートを足元から悪鬼の如く凶悪な形相で睨みつける。
ベッドから床に降りたルパートは、半裸状態の息子の身体を自らの上着で包んで抱き上げ、冴えない顔色でウォルターを見下ろしている。
ウォルターは絶え間なく襲ってくる後頭部の激痛と、流血による貧血で立ち上がることすらままならなかったが、代わりと言うべきか――、階段をドタバタと慌ただしく駆け上がってくる音が響いてきて、二人の男がこの部屋へと飛び込んできた。
「ウォルターさん!!ルパート・マクレガーの妻と義妹だと名乗る女達が突然店にやって来て、息子と夫を今すぐ引き渡せ、と、この家の前で用心棒と揉めに揉めてるんです……!追い払って下さい!!……って……」
男達は、頭から血を流して床に這いつくばるウォルターと、幼い息子を抱きかかえ、真っ青な顔で窓辺に立ち竦むルパートの姿を確認すると、一様に絶句した。
「……あ、あんた、ウォルターさんに何を……。何をしたって言うんだ!!」
男達の内で歳若い方の男が、床に転がっている、血がべっとりと付着した青銅製の玉型香炉を拾い上げる。
ルパートが、香炉でウォルターの頭を殴りつけたのだと気付いた男達は、たちまち激しい怒りに駆られ、彼を捉えようと一斉に襲い掛かる。
追い詰められたルパートは、窓際の壁に掛けられたカンテラを手に取り――、迫り来る男達目掛けて勢い良く投げつけた。
カンテラは、先程香炉を拾った男の顔面にぶち当たり、その衝撃でカンテラはけたたましい音を立てて割れ――、炎が男の髪に、顔にと燃え移っていく。
血塗れの顔面と頭を炎に焼かれながら、男は狂ったように泣き叫んで助けを求めた。
もう一人の男がすぐさま駆け寄り、脱いだ上着を使って火を消そうとするも虚しく、瞬く間に全身に炎が回った男は膝から崩れ落ちる。
男が床に膝をついたことで、更なる火の手は部屋の中に少しずつ拡がっていく。
予想以上の被害にルパートは恐怖に慄いたが、今の内に息子を連れて逃げなければ、と、窓を開け放し、そのまま外へ向かって飛び降りた――
(2)
「……結果、建物は全焼、死傷者数名を出したことにより『銀の鎖』は閉鎖。ルパートは二階の窓から飛び降りた際、お前に怪我をさせないようにと庇ったせいで着地に失敗。石畳に全身を強く打ち付けて複雑骨折、頚椎を損傷させ、二度と起き上がれない身体となってしまった……。お前を救うためにな!」
「…………」
シャロンが破ったドレスの裾で手首を後ろ手に拘束され、カーテンを背に床に座らされながら、ウォルターはあっさりとあの日の真実をシャロンに白状した。
ベッドのヘッドボードに腰掛け、ウォルターと対峙するシャロンは、彼から聞かされる、あの日起きた事件の全貌に動揺を隠しきれないでいた。
未遂だったとはいえ、ウォルターに強姦されかけた内容の詳細は勿論として、銀の鎖が潰れたのも父が廃人と化した原因も、全て自分自身だったとは――
それだけじゃない。父が自分を救うために犯した罪が、かつて自分がグレッチェン、いやアッシュを救うために犯した罪と、随分と似通っているではないか――
すっかり混乱をきたし、ふらり身体をよろめかせる。そんな彼を、グレッチェンが腕を掴んでさり気なく支えた。
ところが、話はこれで終わった訳ではなかった。
ウォルターが次に発した言葉に、シャロンはまた新たな衝撃を受けることとに。
「ルパートが仕出かした不始末のせいで、儂が一番割を食ったんだ!元々、銀の鎖を経営していたのは、あ奴だったと言うのに!!」
「…………今、何て、言ったんだ…………??」
たった今、ウォルターが叫んだ、耳を疑う信じ難い言葉。
これでもかとばかりにダークブラウンの瞳を大きく拡げ、シャロンはウォルターをまざまざと凝視する。
「はっ、お前は本当に何も知らないんだな!ルパートは製薬会社の仕事に携わる一方で、秘密裏に『不愉快な六番街』で阿片窟を経営し、東の植民地から密輸した依存性の強い種の阿片を銀の鎖でさばいていたんだ!!当時、儂は東の植民地で阿片の売人をしていて、ルパートにその阿片を現地から本国へ送り続けていた。だが、奴が結婚を機に阿片窟の経営なんて危険な商売から足を洗いたい、東の地からこの国に渡ってきてくれるなら、銀の鎖の経営権及び利益全てを儂に譲渡する、などと抜かしおったんだ!!」
「……嘘だ……」
「嘘なものか、全部本当の話だ!いいか、あいつが買った家も開いた薬屋も、全部銀の鎖で儲けた金を元手にしていたんだ!」
「嘘だ!嘘をついて、私を惑わそうとするな!!」
真っ青な顔をして、両手で耳を塞いで拒否の意を示すシャロンをウォルターはせせら笑う。
「お前が、今まで何も知らずに過ごしていられたのはな!マクレガー家が地位と財力を使ってルパートの罪を揉み消し、箝口令を徹底したからなんだ!!それだけじゃない!!儂に全ての罪を被せて刑務所にぶち込んだんだ!!何なら、お前の母親なり本家の連中なりを問い質してみればいいさ!!さすれば、儂の言葉が正しかったことが必ずや証明されてくるわ!!」
皺だらけの顔を真っ赤にさせ大量の唾を飛ばしながら、ウォルターはシャロンに向かって喚き散らす。
シャロンは、グレッチェンが支えてくれるお蔭でどうにか正気を保っているものの、気を抜いたら最後、発狂し兼ねないのではという危機感に苛まれている。
そんなシャロンの心情を感じ取ったのか、彼が口を閉ざしてしまったのをいいことに、ウォルターは次々と暴言を吐き出してくる。
「のう、お前は何て可哀想な子供だろうなぁ……。父親が重度の阿片中毒者というだけでなく、その父は阿片窟の経営者で何人もの人間を殺めた犯罪者、挙句、金と阿片欲しさに身売りなんてさせられて……」
「……やめろ……」
「しかも、その事実を家族からずっと隠され続けてきた。お前だけが何も知らない」
「……うるさい、やめろと言っているだろう!……」
「いーや、やめるものか!!やめて欲しければその身を私に抱かせろ!!それが条件だ!」
不意に、シャロンの身体の力がふわりと抜けた。ずっと支え続けてくれたグレッチェンが腕を放したからだが――、身体の均衡を崩したシャロンは、腰掛けていたヘッドボードから滑り落ち、床に尻餅をつく。
しかしシャロンはすぐに立ち上がり、再びウォルターへと視線を向けた時――、ウォルターから父ルパートの真実の数々を聞かされた時以上の衝撃が彼の脳内を駆け巡る。
「グレッチェン!!今すぐやめるんだ!!!!」
いつの間にかグレッチェンは床にしゃがみ、ウォルターの首にしがみ付きながら彼とキスを交わしている。
シャロンはあらん限りの大声を張り上げてグレッチェンの愚行を止めようとしたが、時すでに遅し。
グレッチェンが唇を離すとウォルターは白目を剥き、舌をだらりと口からはみ出させて、全身をブルブルと激しく痙攣させ始めた。
シャロンは盛大に舌打ちを鳴らすと、未だにしがみついたままのグレッチェンの傍に近寄り、全身に毒が回って苦しむウォルターから力づくで無理矢理引き剥がした。
「君は、自分が何をしでかしたのか、分かっているのか?!?!」
怒りとも苛立ちとも、または哀しみともつかぬ、混乱極まる複雑な感情をそのままに、激高したシャロンはグレッチェンを思い切り怒鳴りつけた。
「…………怖かったんです…………」
「何がだ?!」
シャロンの剣幕に怯えながらも、グレッチェンは上目遣いで恐る恐る彼を見上げてみせる。
「……これ以上、彼を喋らせたら……。シャロンさんの……、気が触れてしまうのでは……、と、思って……」
唾液と血液で汚れた薄い唇が酷く震えている。左手首には、赤く滲んだ歯型の痕がまた一つ増えている。
「……どうしてなんだ……。どうして君は、そこまでして……」
心から慕う男のために罪を犯す、どうしようもなく愚かで哀れな灰かぶり姫。
彼女をきつく抱きしめてやりたい――、だが、図らずも己の私情に彼女を巻き込み、手を汚させたも同然なのに、そんなことが許される訳がない。
そう痛感しながら、シャロンはグレッチェンの肩を両手で強く掴んでやることだけで精一杯だった。
シャロンに肩を掴まれたグレッチェンは、血が滲む程唇をきつく噛んだまま、心中に渦巻く葛藤を耐えるかのように、両の拳をギュッと固く握り込んでいた。
ガタン!!
息絶える寸前、ウォルターはカーテンの端を咥えながら横倒しで床に倒れていく。
彼の命の灯が消えていくと共に、深紅のカーテンが半分だけサーッと開かれていった。
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