第31話 Everybody's fool(2)

(1)


 真っ白なテーブルクロスの上に、短めの薄いゴールドのクロスを被せた丸テーブルに座る四人の元に、キャラウェイシードとオレンジピールが入ったシードケーキ、ナツメグがふんだんにかけられたカスタードタルト、バターをたっぷり塗った食パンに煮りんごを詰め、型に敷き込んで作ったアップルシャルロットが、紅茶と一緒に運ばれてくる。


「今日はね、甘い物が大好きなグレッチェンの為に沢山お菓子を用意したのよ。遠慮なく頂いて頂戴」

「ありがとうございます。一度にこんなに沢山のお菓子がテーブルに並ぶなんて……」


 感激しながらも、早速カスタードタルトを手に取り、一口齧る。

 たちまち、グレッチェンの固く引き結ばれがちな唇は綻び、愁いを湛えた薄灰の瞳が輝き始める。


「お味はどうかしら??」


 夫人の質問に、まだ咀嚼している最中だったため、言葉を返す代わりに

 にっこりと微笑んでみせる。

 その表情を見れば、グレッチェンが菓子に満足しきりなのは一目瞭然。


 普段は大人びたグレッチェンが見せる年相応の少女らしい笑顔を、シャロンや夫人、シェリルは微笑ましげに眺めていた。


 やがて、それぞれの近況報告や他愛ないお喋りもある程度落ち着き、エドナが二杯目の紅茶を注ぎに再び応接室に入ってた時だった。


「そう言えば……、最近片付けをしていたら、良い物が出て来たのよ」

「良い物??」

 首を傾げる三人を尻目に、夫人はエドナに何やら耳打ちする。

「かしこまりました、すぐにお持ち致します」


 エドナはティーポットと空いた皿を乗せたトレーを持ち、一旦四人の前から下がる。

 数分後、エドナは年季の入った、えんじ色の分厚い手帳のようなものを手にして応接室に戻ってきた。


「レイチェル、それは一体??」

 エドナが夫人に手渡した手帳が余程気になるのか、シェリルは夫人の手元ばかりに視線を集中させている。

「まぁ、まずは中を見てご覧なさいな」


 夫人は、金属製の錆びついた留め具を外し、テーブルの空いている箇所に手帳を置き、広げてみせる。


 手帳の中身――、黄ばんだ台紙に古い写真が貼り付けられていている。つまり、手帳ではなく写真アルバムだったのだ。

 アルバムの一枚目にはまだ赤ん坊のシャロンを腕に抱き、椅子に腰掛ける夫人と、二人の傍に佇むシェリルの姿が写されていた。


「あらまぁ、随分と懐かしいわねぇ……」

 シェリルは思わず目を細めた。

「この赤ちゃんはシャロンさんなのですか??」

「えぇ、そうよ。可愛いでしょう??子供の頃のシャロンはあんまりにも可愛かったから、よく女の子と間違えられていたのよ??」

「えっ?!そうなんですか??」

 驚いたグレッチェンは、隣に座るシャロンと写真を何度も見比べる。

「シェリル叔母さん、その話はやめてくださいよ。恥ずかしい……」

「別にいいじゃないですか。ちょっとおどけた顔して笑うこの写真なんて、本当に可愛い……」


 いつの間にかグレッチェンは、一人でアルバムを独占し、幼いシャロンの成長記録とも言える写真に見入った。

 対するシャロンは気恥ずかしいのか、こそばゆそうにしつつ、写真に夢中なグレッチェンを優しい眼差しで見つめている。

 そんな二人を、夫人とシェリルは感慨深げに見守っていた。


 グレッチェンを引き取り、養育したのはマクレガー家であるが、彼女の戸籍は夫人の旧姓であり、シェリルの方の姓――、ワインハウスの方に入っていた。(シェリルは未婚者)


 医者のシェリルの方が、裕福とはいえ一介の薬屋でしかないマクレガー家よりも社会的信用も地位も高い分、養子縁組し易かった――、というのが表向きの理由。実際はシャロンとグレッチェンの深い絆を察した夫人が、グレッチェンがある程度の年齢に達したらシャロンに娶らせようと考えたからであった。


(……それなのに、あの子ときたら、相変わらずふらふらと女遊びばかりして……)


 夫人が二人に気付かれないよう、こっそりシェリルに嘆いていた矢先だった。


「……ち、違うんだ、グレッチェン!!これはだな……」


 突然シャロンが声を張り上げ、畳みかけるようにグレッチェンに弁解し始めたのだ。

 グレッチェンはと言うと、全身を固まらせて気まずそうに俯いている。


「二人共、一体何が……」

 夫人とシェリルは半ば呆れながら、グレッチェンの手元――、二人の可笑しな挙動の原因となった写真を確認するべく――、目を落とす。

「お母さん!このような写真を残して置くのはやめてください!!」

 シャロンがこれまた珍しく、食ってかかる勢いで母に猛抗議を仕掛けてくる。


 それもその筈、その写真には、フリルがふんだんにあしらわれたケイトグリーナウェイドレスを着せられ、むっつりと不貞腐れきった表情で椅子に腰掛けている、六、七歳くらいのシャロンが写されていたからである。


「大体ですね……。お母さんとシェリル叔母さんの二人で嫌がる息子にしょっちゅう女装させていたのだって、今思えば中々に酷い話だと思いますよ……。まぁ、私が可愛かったから、つい出来心が生じたのでしょうが」


 はぁ……、と、わざと大仰に嘆息してみせるシャロンだったが、いつもならば開き直って逆に揶揄いさえする母達がシュンと項垂れていることに気付く。


「……そうね、確かに面白半分で女装させていたのは、本当に申し訳なかったわ……。ごめんなさい……」

「こんな写真は早々に処分しなくてはいけないわね……」

「……??……」


 快活な夫人の青ざめた表情と神妙に黙り込む叔母の様子に、シャロンは首を傾げて訝しがる。

 和気藹々とした団欒はいつしか、重たい沈黙へと変わっていく。


「あ、あの……」

 空気を変えようとしてか、咄嗟に捲ったページからグレッチェンは、線の細い金髪の美青年が燕尾服姿で佇む写真について、シャロンに尋ねる。

「この方は……、シャロンさんのお父様……ですか??」

 父ルパートの写真を目にしたシャロンは、徐に顔を顰めながら答える。

「……あぁ、そうだよ。ただし、私はこの愚か者を父だとは認めてはいないがね」

 

 図らずも、シャロンの機嫌を益々傾けさせてしまったグレッチェンは、自らの失態に恥じ入った。


「……すみません。余計なことをお聞きしました……」

「いや、君に悪気がなかったことはよく分かっているし、私は君に対しては怒ってなどいないよ」


 グレッチェンを安心させるため、シャロンは普段通りの優しい笑みを浮かべてみせる。


 だが、阿片に溺れ、母に散々苦労を掛けてきた父にシャロンは今でも憎しみを抱き、蔑み続けていた。



(2)


 シャロンが生まれて間もなく、孫可愛さにルパートの両親は勘当を撤回し、薬屋商売を軌道に乗せるために漢方薬を置いてはどうか、と提案を持ちかけてきた。

 ルパートはその提案に乗り、漢方薬の買い付けや仕入れ先を確保するために、レイチェルとまだ乳飲み子だったシャロンを置いてこの国の植民地――、大陸東方部の大国へと渡った。

 事は万事成功し、新たに漢方薬を仕入れた店は大いに繁盛した。


 ところが、異国での慣れない生活や言葉に心労を溜め込んだルパートは、以前は嗜む程度だった阿片に傾倒。帰国した頃には最早手放せない程に依存してしまっていた。


 シャロンの記憶の中のルパートは、東の異国で手に入れた煙管を使い、一日中阿片を吸っては自室で寝てばかり。

 たまに外へ出掛けたかと思うと(おそらくは阿片窟に通っていたのだろう)何日も家に帰らず、酩酊状態の酔っ払いのような体で知人に力づくで邸宅へ連れ戻される、といった情けない有様であった。

 それでも夫人は父を見限らなかったが、ある日を境に遂に厚生施設へと父を送り込んだ。


 ちなみに、その日と前日の記憶がシャロンの中でところどころ抜けていて、よく覚えていない。

 確か、今から二十三年前、彼が七歳の時の話で覚えていなくてもおかしい事はない。

 ただ、その欠けている記憶を示唆する夢をごく稀に見ることはあったが――



 ――おそらく、今朝見た悪夢の一部分がそれに当たるのかも……――



 ズキン!



 突然、シャロンは後頭部に、鈍器で殴られたような激しい痛みに襲われる。


「シャロンさん、どうしたのですか??」

 シャロンの異変に気付いたグレッチェンが、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「……あぁ、いや……。一瞬、頭が痛んでね……」

「もしかしたら風邪の前触れかもしれませんね……、大事を取って今日はもう帰りましょうか??」

 グレッチェンの真っ直ぐな視線が何故か今の彼には痛かった。

「あぁ、そうだな……。日の入りの時刻も迫っていることだし、今日はもう帰るとしようかな……」


 グレッチェンの視線をさりげなく避けつつ、シャロンはそう答えるのが精一杯だった。

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