第6話

 簡素な宿舎の木材床は深紅の絨毯さながらに、今や血の海と化していた。


 漂白されていない綿生地本来の薄い黄色の祭服は、返り血を浴びて真っ赤に染められている。


 慈母神の信者の祭服はまるで、異教の炎の神の祭服のような出で立ちであった。


 髪の毛も顔も血によって真っ赤に染められている女官は、その瞳さえも深紅の輝きを怪しく放っていた。


 グレイシーは、先程まで狼男の姿をしていた裸の青年の腹部を貫いた腕を引き抜いた。


 腹部に大きな穴が開いているピーターはよろけながら歩き出すと、傷口から嘔吐したように血液と臓物が溢れだしたのだった。


 ウィリアムは裸のピーターを受け止め、その場に留めた。


「殿下……」


 ピーターは喉の奥から血を吐き出しながら言った。


「ピーター、もういい。何も言うな」


 ウィリアムはピーターの手を握りながら言葉を遮った。


 ディヴィナも駆け寄り、倒れ込んでいるピーターの腹部にを見て狼狽した。


 腸が腹部から出てきており、どう手当てをしていいのかも解らなかった。


「お願いです。慈母神よ、この者の傷を癒したまえ!」


 ディヴィナは心の中で懇願するように、慈母神に祈りを捧げた。


 少女の祈りが聞き届けられたのか、ピーターの腹部に翳している手から柔らかな発光が現れた。


 ピーターの内臓は腹の中へと収まり、腹部の傷も癒えていった。


 少女の手から発する神の奇跡が行使され、ピーターの腹部の傷は完全に塞がり、六つに割れた腹筋が現れた。


「傷は癒えたみたいですが、後はこの方の生命力次第かと思います。生きたいという思いが強ければ、助かるはずです」


 神聖魔法を使ったために疲労困憊の表情を隠しきれないディヴィナであったが、ウィリアムに心配をかけないように微笑んで見せた。


 グレイシーは人間の数倍の腕力で、宿舎の床板を引き剥がし、ウィリアムの方へ向けて投げつけてきた。


 しかし、エルフの娘ユーリアが召喚した風を司る精霊シルフによって、床材はウィリアムたちを逸れて落下した。


 ピーターの意識が戻り、再び狼へと変身し始めた。


 真っ白な狼の姿となり、吸血鬼を威嚇した。


「白い狼には吸血鬼を狩る力があるとされているけど、あなたにわたしを狩る力があるのかしら?」


 グレイシーは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。


 宿舎に魔力が満ちた。


 そして、黒衣の魔女が姿を現した。


「吸血鬼とは珍しいわね」


「わたしたちは常に暗闇に潜んでいる。魔法使いよ、それくらい知っているでしょ?」


「厄介なことだわ。もう一人の吸血鬼も姿を見せたらどうなの?」


 黒衣の魔女は天井を向いて言った。


 天井に張り付き這い降りてくる、大司祭サイラスの姿がそこにはあったのだ。


「死んだはずではなかったのか?」


 ウィリアムは頭を振った。


「小僧、相変わらず無知よな。太陽や炎によって燃えた吸血鬼は死ぬのだよ。だが、灰からでも復活することができるのだ。それゆえ、吸血鬼は”不死の王”と呼ばれる存在なのだよ」


 サイラスはグレイシーの隣に並んで、ウィリアムたちにそう言った。


「どうやって、倒せばいいんだ……」


 ウィリアムは絶望に直面していた。


 絶対的な存在に対して、己の無力さを痛感させられるだけだったのだ。


「再生能力より上回る炎で、焼き尽くせば済むことだわ」


「愉快なことを言う魔女だな。ワシには竜の炎も雷も利かんのだ。たかだか、魔法使い風情がいったいどれ程の力があるというのだ?」


 サイラスは黒衣の魔女を蔑みながら言った。


 黒衣の魔女は歪な形をした樫の杖を使って、宙に魔方陣を描くような動作を行いながら、上位古代語を詠唱し始めた。


 黒衣の魔女の杖の先を吸血鬼たちに向ける。


 火の気が全くないにもかかわらず、吸血鬼たちの体が突然燃え出したのだ。


 それはまるで、人体自然発火現象のような光景であった。


 炎の中で燃え上がる吸血鬼たちは皮膚が焼け爛れて、肉が焦げていくが、それを再生させるように焼け落ちた皮膚が元通りになっていく。


 黒衣の魔女は更に古代語魔法の詠唱を続けていた。


 炎の勢いはさらに強まり、吸血鬼たちを焼き尽くし始めた。


 白い煙と悪臭を放ちながら、吸血鬼たちは炭の塊と化した。


「灰からでも蘇ると言っていたが、これからどうしたらいいんだ?」


 ウィリアムの問いかけに、黒衣の魔女は宿舎の近くを流れる川を指差した。


「灰を川に流せば終わるのですね?」


「いいえ、これは時間稼ぎにしか過ぎません。少女の吸血鬼は”真祖”だと思うわ」


 黒衣の魔女は、炭の塊となった吸血鬼だった塊を魔法で宙に浮かせながら言った。


 黒衣の魔女の話によると、グレイシーは吸血鬼で最上位に君臨する”真祖”だというのだ。


 邪神や悪魔と契約を交わすことで、自ら生命なき存在である不死の存在へと変化させたのが真祖吸血鬼なのだという。


 人間であった頃の記憶はそのままに、真祖として通常の吸血鬼には持ち得ない特殊能力を数多く持つというのだ。


 大司祭サイラスは後天吸血鬼の”隷属”にあたり、真祖との契約を交わした者なのだということだった。


 真祖から吸血された後、真祖から血を分け与えられたことにより、吸血鬼へと生まれ変わった存在である。


 サイラスのように生れついての吸血鬼ではない者は、真祖のような特殊能力は持たないが、真祖から学問として学んだ術式を操ることができ、真祖に血を与えられ吸血鬼に生まれ変わったので、吸血鬼としての魔力が上がることにより動物に変身することもできる。


 炭の塊と化した真祖と隷属の吸血鬼の体は、黒衣の魔女の魔法で空中浮遊をして川まで辿り着いた。


 そこで、風船が破裂するように炭の塊は灰へと変わり、流れる川の水の中へ拡散して行った。

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