第8話

 北部は例年にないほどの積雪量であった。


 昨夜から降り続ける一日の降雪量も半世紀ぶりであった。


 この吹雪はまるで、猛々しく吠える氷の上位精霊フェンリル狼の咆哮のようであった。


 窓ガラスは吹き付ける雪が貼り付き、磨りガラスのように透明さを失っていた。


 そんな窓ガラスから外の景色を見るように、独りの老人は窓際に佇んでいた。


 老人の背後には先程訪ねてきた来客が立っていた。


 夜の海のような黒髪と新雪のような真っ白な肌が、この女性を一際妖艶な美しさを引き立たせていた。


「お久しぶりね。五十年ぶりかしら? あの時も今日のような吹雪だったわね」


「おまえさんはあの時と寸分たがわぬ姿のまま変わらん。偽りの命には何の価値もありはしない」


「会って早々お説教とはさすが北の賢者様ね。今日は確認したいことがあってやって来たのよ」


 黒髪の美しい女性は、鼻を鳴らして、ふてぶてしい態度の老人に澄ました態度で言った。


「ディヴィナという娘のことだろう?」


「気づいていたの? なら何故!?」


「我らは表舞台から幕引きすべきなのだよ。時代は流れる。今回の災厄はこの時代に生きている若者たちが立ち向かうべき試練なのだ」


 老魔術師は黒衣の魔女と呼ばれる女性に向き合って言った。


「おまえさんは炎の神の女司祭の片棒を担いでおるが、獅子の紋章の国を滅ぼさなければならなかったのか?」


「獅子の紋章の国は国力を付けすぎ、強国になり過ぎたため脅威になったからよ。竜の紋章の国の騎手たちをたぶらかし簒奪した挙げ句偽王として女王まで立てたのだから……」


「その内通者の魔法学院の学長を殺害し、水晶球を奪ったんだな」


 黒衣の魔女は老魔術師の言葉に妖艶な微笑をしてみせた。


 獅子の紋章の国貴族出身のクリフトフは竜の紋章の国の母方の遠縁の親戚を頼り、そこの養子となった。


 魔法学院へ入学すると学院きっての秀才として首席で卒業した。


 その後は竜の紋章の国の宮廷魔術師として仕えた。


 前学長が亡くなるとその地位にも就いたのだった。


 学院の導師の中にはクリフトフが前学長の殺害に関わっているのではないかという疑いを持つ者もいたが、そういった者たちは相次いで命を落とした。


 クリフトフが獅子の紋章の国の密偵であり、竜の紋章の国を内部から操るために送り込まれたことは彼の死とともに真相も闇の中となった。


 しかし、獅子の紋章の国から送り込まれたクリフトフの策略は見事に達成され、竜の紋章の国を掌握したのだった。


 誤算だったのは幼い王女を女王として即位させるはずが王女は自ら命を絶ったために、偽の女王をたてる必要に迫られた。


 幼い女王と容姿が似ている物乞いの娘を拐い女王として即位させた。


 諸国には即位の知らせを送り、疑われぬようにした。


 王と王妃は民に重税を課して逆らう者は打ち首の刑という苛烈極まりない行いにより、反乱が起こり殺害されたということになっている。


 だが、これもクリフトフが騎手を買収したり魔法の薬物で中毒にして操ったりしていたことで、王は存じ上げない重税や苛烈で残虐な刑の執行だったのだ。


 獅子の紋章の国が滅び、竜の紋章の国はそのままクリフトフ亡き後も腐敗した官僚に牛耳られていた。


「狼の紋章の国から離れられない理由は”表舞台から降りた”というのは建前なのは知っているわ。トレバーあなたは理解しているはずよ。わたしもあなたも目的は同じなのだから……」


「そうだろうな。だか、おまえさんは寿命が近づいているのではないか?」


 人間の寿命は百年であり、人間である魔法使いはせいぜいあらゆる手段を使っても二百年ほどまでしか生きられない。


 黒衣の魔女は千年近く生きている。


 それは禁忌の魔法を使っているからなのだ。


 古竜の血を集めて魔力が宿った血液を禁忌の魔法で結晶化した紅石”深紅の竜血”を用いているからなのだ。


 錬金術師はそれを渇望し、人間の命を集めて結晶化した”賢者の石”として不老不死をもたらすとされた。


「あの紅石はもうすぐ尽きるわ。でも”抱擁する者”が目覚めれば再び紅石を生み出すことができる」


「無理なことだ。”抱擁する者”が解き放たれる時は全てが灰となり何も残らない。若き七勇者はこの時代にはいない」


 トレバーは寂しそうに頭を振った。


 この時代には若き日のトレバーのような魔法に精通した者もいない。


 黒衣の魔女は再び助力してくれるだろうがかつてのように魔法を行使できない。


 古エルフの女王イザベラは人間の世界に干渉することをやめた。


 ドワーフの王は己の地下王宮の最下層で炎の神と伴に滅んだ。


 慈母神の女司祭も竜の紋章の王も、狼の紋章の王も既に寿命で亡くなった。


 かつて仲間だった七勇者は既に他界し光の神々の元へ召されたのだった。


 限りある命は次へと繋げるために子孫を残す。


「次の時代に任せるだけのこと。だが、ワシの目の黒いうちは監視させてもらう。黒衣の魔女おまえさんのこともな」


「わたしは己の信じることを行います。かつての友人の大魔導師殿の忠告に細心の注意を払い心を砕きましょう」


 そう言うと黒衣の魔女は古代語の詠唱を行い姿が消えた。


「ワシは今でもおまえさんの友人だよ……」


 瞬間移動の魔法で姿を消した黒衣の魔女が立っていた場所を見詰めながら、老魔術師はそっと呟いた。

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