第10話
暫くの間、大広間では沈黙が続いた。
言葉が発せられることはないまま、ウィリアムは膝から崩れるように床に跪く。
狼の紋章の王国を治める王であり父であるユアンの考えが解らなくなっていた。
ウィリアムの妹のエレナの最期の光景あの日からずっと悪夢のように夜毎に繰り返し再現される。
あの日以来、凄惨な光景が目の前から消えなかったのだ。
それも父の決断でなされた結果だと思うと余りにもいたたまれなかった。
古エルフの女王の優しい声でウィリアムの内面を見抜くように静かに語り出した。
「あなたは自分以外の人に対して、言葉を交わさなくても気持ちが解り合えていると思うから、解り合えない時に尚更つらくなるのです」
「それは…… どういう意味ですか?」
「自分よがりにこうだと決めつけずに、まずは相手を受け入れることが必要なのですよ」
「……わたしはいつだって……」
ウィリアムは歯を食いしばった。
「相手を理解するには、まず相手にあなた自身を知ってもらい理解してもらうことです。ウィリアムあなたは自分をさらけ出したことはありましたか?」
エルフの女王の言葉が胸を抉った。
今まで本音も言わずに王子である自分はどうあるべきかを考え、体裁ばかり取り繕ってきたのではないだろうか。
周りからも出来の良い利発な兄グラントと比較され、ウィリアムは自分自身を押し殺して周りが望む”良い子”になろうと懸命に努力をしていたのかもしれない。
だが、父はそれを見抜いていたからこそ、兄と妹を連れて自分を置き去りにしたのかもしれない。
ウィリアムの中で疑心暗鬼が芽生え始めていた。
「ウィリアム…… あなたは、お父上殿に愛されたかったのですね……」
その一言は矢のようにウィリアムの胸を鋭く射抜いた。
心臓を貫くような激しい動揺が沸き上がった。
エルフの女王の言葉はウィリアム自身気づいていなかった確信をついたのだ。
女王の言葉を否定したかったが、否定できなかった。
自分は父に愛されたかったのだ。
そうだったのだと自分自身に確認するかのようにウィリアムは自問自答していた。
どんなに父ユアンに蔑ろにされても認めてもらえなくても、父の期待に応えようと懸命に努力し続けた。
だが、父は一切それを認めてはくれなかった。
ウィリアムを避けてさえいたのだ。
エルフの女王イザベラはそっとウィリアムの肩に手を触れて、その場を立ち去った。
ウィリアムは力なく立ち上がり、落胆のまま自室に戻った。
そして、脱ぎ捨てた鋼の鎧を再び身に着けて、旅支度を始めたのだった。
ウィリアムが部屋から出ると、二人の騎士が立っていた。
老騎手バイロンと若い騎手ピーターも既に荷をまとめ、いつでも出掛けられる支度ができていた。
老騎士と若い騎士を連れて、純白の大理石の床を進み続けた。
宮殿を出たところで、ウィリアムたちを待っていたエルフの女王は狼の王子に微笑んだ。
女王の傍に居たエルフの騎士がウィリアムのもとまでやって来て、大事そうに抱えていた一本の長剣ダマスカスの剣を贈った。
エルフの女王イザベラはウィリアムの瞳を見詰めた。
「あなたの進む道に光の導きがあることを願っています」
「ありがとうございます。この剣で必ずや炎の神を葬り去り、エレナの仇を取ります」
ウイリアムはエルフの女王イザベラに礼を述べた。
これから西の海岸洞窟へ向かい王の足取りを追うということで、再びエルフの娘ユーリアに先導してもらうのだった。
妖精界を歩き続けた。
ウィリアムは大滝の間の水鏡で見た出来事を、老騎士バイロンと若い騎士ピーターに伝えた。
バイロンもピーターも頭を振り狼狽したのだった。
それからというもの、誰もが無口であった。
長い時間歩き続けた。
時間の感覚さえも麻痺している。
疲労から足取りも重くなり体力的に限界がきていた。
エルフの娘のユーリアが突然立ち止まり、精霊語を高らかに詠唱する。
目の前で空間が揺らめき、物質界への扉が開いた。
旅の仲間たちは、その光の中に飛び込むように出口へと向かった。
外は夜だった。
闇の中で希望の光が輝くかのように、星が煌めいていた。
ウィリアムたちは夜通し歩き続けたので、皆に休憩するように言った。
「一日で西の海岸洞窟の近くまで来れたのだな」
ウィリアムは疲れた声ではあったが満足そうに言った。
「一日ですって!? あの月の形からすると多分、あれから三日後の夜よ」
「なんだって!?」
エルフの娘の言葉にウィリアムは驚きのあまり身を乗り出した。
ユーリアの話では妖精界と物質界とでは時間の流れが違うのだという。
妖精界ではゆっくりと時間は流れているので、長く滞在すればするほど物質界では数日どころか数年後、数十年と月日が経過してしまっているのである。
夜空を見渡すと星の輝きを凌駕するほど、満月が力強く輝いていた。
エルフは月や星の輝きに神聖さを感じて崇めているのだという。
白銀の世界に深い森の樹の間から差し込む月光は、雪の中で倒れている一糸纏わぬ姿の少女を照らしていた。
美しい黄金色の長い髪が月明かりで星のように煌めいた。
「エレナ……」
ウィリアムは幻を見ているのかと思いながらも、その少女の元へと駆け寄った。
うつ伏せの少女の体に手を触れると、高熱の熱病のようにほてっていた。
黄金色の長い髪が風で靡くと、背中に竜の刺青が浮かんでいたが、徐々にそれは薄れはじめて、やがて完全に消えた。
ウィリアムは少女を仰向けにし顔を確かめると、エレナではなかった。
愛らしい唇が微かに動き、息をしているのが確認できた。
ウィリアムは纏っているローブを外し、それで少女の体を包み抱きかかえて老騎士たちの元へと戻った。
少女を見た瞬間、老騎士バイロンは怪訝そうな表情を浮かべた。
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