第8話

 樹々の間をそよ風が吹いた。


 柔らかな風と共に樹々の枝から地面へと舞い降りてきて、彼らは姿を現していた。


 蔑む眼差しで値踏みするように、ウィリアムたちの頭の先からつま先まで一瞥した。


 四人の男性エルフであった。


 見た目は二十歳くらいだが、実年齢は分からない。


 永遠の命の種族には老いがないのである。


 一人の男性エルフは困惑した表情で、エルフの娘のもとへ近づいた。


「何故? 何故なんだ? ユーリア……」


「フィデリオ、私たちをこのままここを通して。先を急いでいるの」


「神聖なこの世界に粗野で汚らしく無知な人間どもを連れて来るとは!」


「掟は分かっているわ。でも、フィデリオも感じているはずよ。外の世界の異変を」


「それは我らには関係のないこと。愚かで浅ましい人間たちとその世界がどうなろうと知ったことではない」


「本当にそうかしら?」


 フィデリオという男性エルフはその問いには答えなかった。


 ウィリアムたちはフィデリオたちに捕らえられた。


 そして、エルフの女王の裁きを受けることを告げられたのだった。


 堅牢な石造りの宮殿に連れてこられた。


 白い大理石で造られたこの宮殿は鏡のように磨きあげられてる。


 彫刻などの装飾もいっさいなく、純白の大理石の素材の美しさを存分に活かした建物であった。


 まるで神々が住まう神殿のような神々しさを感じさせる。


 宮殿の内部は陽の光の下にいるかのように明るく室内を照らしていた。


 鏡のように磨かれた純白の大理石の床に光が反射し、眩しそうに目を細めているウィリアムを見て、ユーリアは微笑んだ。


 そしてこの明るさは無数の光の精霊によって、明るく照らされているのだと説明してくれた。


 ウィリアムにとって初めて目にする精霊となった。


 女王の玉座がある女王の間の大広間では銀色に輝く、ダマスカス鋼の鎧と剣を身につけたエルフたちが身動きもせず整然と並んでいた。


 ウィリアムは調度品の像のような彼らを、本物の青銅像かと思ったほどだった。


 木製の玉座は質素ではあるが樫の素材の持つ独特な優美さを最大限に活かして造られていた。


 ドワーフの細工物ような豪華絢爛な装飾ではないが、エルフ独自の美的価値観によって施されていた。


 装飾が控えめではあるが、調和の取れた優雅さの存在感を表していた。


 その玉座には、宮殿の純白の大理石と同系色の絹のドレスを身に纏った女性が腰を下ろしていた。


 美しい白金色の長い髪は、後ろで結い上げられている。


 頭部には簡素な造りではあるが、見る者を惹き付ける見事な王冠が飾られていた。


 女王の体からは後光がさしているように神秘的な黄金の気を纏っていた。


 美しく整った顔には何の表情もない。


 一見すると生きているのか死んでいるのかすら分からないほど、作り物の陶器の人形のようであった。


「イザベラ女王殿下の御前である。人間は平伏へよ」


 ウィリアムたちを女王の間まで連行してきたエルフの騎士が声を上げた。


「無礼であろう! 我が殿下に平伏せよとは!」


「限りある命の卑小な存在が! 身分をわきまえよ!」


 指南役の老騎士バイロンは、エルフの縄で縛られたまま怒りで身を振るわせていた。


 美しいエルフの女王は表情を変えることなく、片手を少し上げて静粛にするように合図した。


「わたくしが、こちらの客人を招くようにユーリアに命じたのです。客人を拘束するとは何事か。エルフ族が人間にあだなす種族であり、敵意ありとみなされる行為は慎みなさい」


 エルフの騎士たちは動揺しているような素振りも見せずに、先程までウィリアムたちを縛り上げていた縄は外して、再び整列している列に加わり物言わぬ青銅像のように直立不動の姿勢に戻った。


「まずは客人の方々、先程までの非礼をお詫びいたします。ユーリアの話だと狼の王の御子息だそうですね。以前、狼の王にはお会いしたことがあります」


 エルフの女王イザベラは、ユアンが王の即位の時に西の深い森に赴きエルフに挨拶しにきたということだった。


 その時に、エルフ族が鍛えたエルフの剣であるダマスカス鋼の長剣を即位祝いとして贈ったのだった。


 ウィリアムは父ユアンからエルフの剣について聞いたことがあった。


 エルフの剣は魔法の剣と同じように、神や精霊を切り裂くことができるのだと。


 イザベラは、狼の王の息子であるウィリアムの顔を見詰めていた。


 彼女の瞳は美しい蒼であり大海のような深い蒼い瞳に吸い込まれて、そのまま沈んでしまいそうな恐怖さえ感じた。


 ウィリアムは圧倒的で決して抗えない力に屈しそうだった。


 例えるなら荒れ狂う大海原ではなく、穏やかでただひたすらに深い静寂であり、嵐の前の静けさの海のようである。


「狼の王の息子よ。わたくしの領域を通り西の海岸洞窟までの道案内は、引き続きユーリアに命じます。客人の方々を歓迎します。今宵はここで休まれ旅の疲れを癒されるがよかろう」


 イザベラの申し出を断ることさえできない威圧感が突き刺さるように感じられた。


「わたしはウィリアム・ダグラスです。女王殿下のご好意に感謝致します」


 目の前の女王に圧倒されてしまい、これ以上言葉を紡ぐことができなかった。


 自分の声が震えているかさえも分からないほどの緊張感で、頭の中が真っ白となりそうだった。


 ただ一つの疑問だけが警告を発しているかのように、頭の中で繰り返し過るのであった。


 ウィリアムはエルフの女王がなぜ自分たちを客人として招いたと、偽りを言ったのかが引っ掛かっていた。


 エルフの娘ユーリアに話を聞きたい。


 そのためにはここに滞在せざるおえないのだと思った。


 客人とは建前で囚われの身であることに変わりがないのである。


 ここは彼らエルフの領域であり妖精界なのだから。


 ウィリアムは来た時と同じエルフの騎士に先導され女王の間を退室した。


 それぞれ個別の部屋に案内された。


 ウィリアムは通された部屋に入ると扉が閉められた。


 施錠された音はないが、扉の向こうに警備としてエルフの衛兵が立っている気配が感じられた。


 ウィリアムは鋼の鎧を脱ぎ捨て綿入れの衣服の姿になった。


 窓もない部屋にそよ風が吹いた。


「狼の王の息子よ」


 突然、耳元で声がした。


 それは先程聞いたエルフの女王の声であった。


 この声は風を司る精霊シフルを通してのものだと女王が言った。


「雪と氷に閉ざされしこの大地に炎がやって来ました。大地を焼きつくし、全てが灰となり何も残らないでしょう」


「何も残らない……」


「宮殿の大滝の間でお待ちしております」


 女王のその言葉を最後に、再びそよ風が吹いた。


 部屋の扉の向こう側から、ウィリアムを呼び出す衛兵の声がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る