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みんみん

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「ねぇ、ゆーくん。今年のバレンタインはチョコ渡すから楽しみにしててね?」


女の子は無邪気に笑って僕にそう言ってきた。裏になにも無い純粋な笑顔。僕は思わず笑っていた。本当にバレンタインが楽しみだった。毎日、早くバレンタインにならないかなぁと願ったものだ。そして待ちに待った二月十四日。朝から胸を弾ませて小学校に行く。でも彼女は学校にいなかった。転校した、と後で先生から聞いた。それ以来彼女とは会ってない。どこにいるのかも分からない。唯一分かるのは顔と名前だけ。顔は丸っこくて、とても……かわいい。まだ小学四年生だったけれど僕にははっきり分かった。こういう人のことを高嶺の花って言うんだろうな。名前は、確か……其ノ橋そのはし……だったか。




………………………………




 目が覚めた。 布団の中で足をもぞもぞと動かす。それから手を顔までゆっくりと持ってきて目をこする。冬の寝起きは辛い。なにより寒いんだ。こんなの布団から出たくなくなるに決まってる。なんて愚痴をたれてても仕方ないか……。冬は寒いから冬なんだ。寒く無かったらそれは冬じゃない。目をゆっくりと開ける。あれ? まだ暗いな。薄暗いとかじゃない。真っ暗だ。最近は夜明けが遅いからか? 取り敢えず時計を見る。今どきのデジタル時計だ。上のボタンを押して時計を光らしてみるとびっくり仰天、まだ三時じゃん。そういや昨日は九時就寝だったっけ。そりゃ、こんな時間に起きるもんだ。もう六時間も寝てるんだぞ。と、言っても起きててもやることなんてない。僕は朝早くから机に向かって勉強するぞ、ってキャラじゃないんだ。この暖まった布団から出たくありません。ってことでおやすみ。僕は寝ます。






 どれくらい眠っただろう。本能的に目が開いた。一度目の起床時と違ってすでに明るくなっている。部屋が寒いままではあるけれど……。時計、時計……。えっ⁉ 時間を見て目を疑った。現在時刻、八時十五分。登校時間が八時半だから……。ヤバイじゃん! 遅刻する! とりあえず急がねば。さいわいかばんに用意は詰めてある。制服を慌てて着て、玄関に走った。もちろん朝食は断る。そんなの食べてる暇なんてねぇって。母がせめてでも、と言ってくれた食パンを咥えて自転車をとばす。まるで漫画みたいな登校だな。必死になって自転車を漕いだ。パンが口の水分を奪っていく。そんな口に冬の乾いた空気が容赦なく刺さってきた。あぁ、もう! 朝から最悪だ!


 駐輪場に自転車が着いたところでチャイムが鳴り響いた。間に合わなかったか。でも普段、二十分かかる所を十二分で来たんだ。もう充分だろう。それに今日の一時間目は化学だ。化学の先生なら適当に理由でも言えば流してくれる。これが英表だったら最悪だったろうな。なんせあの先生はそういうのには結構うるさい。不幸中の幸いか。なんてことを思いながら忍び足で校舎に入り込んだ。



 ガラガラっとドアを引き開けた。クラスの奴らが皆、僕の方を見る。そんな見るほどでもないだろうに。皆もそれが分かったらしく、すぐに自分の手元に目線を落としていた。

僕は適当に先生に理由を告げると自分の席に向かう。本当になんの引き止めもない。あの先生は一体何を考えてるんだろう。なんも考えてないんじゃないか? 何もなかったように先生は授業を始めた。molってやつが黒板を埋め尽くしている。なんか軽くゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

授業をまともに受けてるやつなんてほとんどいない。数学のワークを解いたり、本を読んだり、スマホをいじったり……。もちろん僕だってまともに授業を受ける気なんてない。無駄にかっこいいゲーム画面を想像しつつ慣れた手付きでスマホを開く。机の中にスマホを忍び込ませようとした。あの化学の先生といえどスマホいじりがバレたら流石にやばいだろう。だからこうして隠すわけだ。手を机の中に伸ばす。トンっと手の先に何かが触れた。

あれ? なんだろう? 僕は基本、置き勉はしない人だ。別に勉強熱心だから、とかいうわけじゃない。単純に学校になにを置いたのか忘れてしまうんだ。それじゃあマズいので、いっそのこと全部持って帰ろうというわけである。

だから机の中になにかが入っているのはおかしな話だった。昨日、なにか机の中に忘れでもしたのか? 手で机の中の謎の物体を引き寄せる。それから覗き込むようにして机の中を見た。なにやら箱のようなものが見える。リボンが丁寧にくくられている。僕のでないのは確かだ。あんなかわいいのを持っている覚えはない。リボンには紙が挟んでる。なんだろ? 気になったので手に取った。持ち主の手がかりとかあるかも。


『白水より』


白水、白水……あぁクラスの女子じゃないか。それも結構かわいい。白水は今年の一月に転校してきたばっかだから印象深かった。あまりの崇高さにクラスメートが中々話せないでいるっていうイメージ。で……これはなんだ。……そういや今日は二月十四日か。世で言うバレンタイン。基本は女子同士でチョコを交換する日なのだが、中には気になる男の子に渡す人もいるらしい。そんでもってこのチョコの感じだと後者……。女子同士ならわざわざ机に入れておくなんて面倒くさいことはしないだろう。そして、どうやら机を間違えたらしい。僕にはどうすることもできないな。まぁ空きを見て白水さんに返すってのもありかもしれないけれど……。

チラッと後ろを見る。白水さんは僕の一つ後ろの席だ。きっと真面目に授業受けてるんだろうな。でもそこに白水さんはいなかった。机の上を冬の日光が寂しく照らしているだけ。どうやら白水さんは休みらしい。としたら……このチョコは昨日にでも入れたのか?

や、そんなことはどうでもいいか。とりあえず返せなかったのは残念だけど仕方ないだろう。僕にはどうすることもできない。丁寧に僕の机の奥にチョコを置いておくことにした。後で白水さんの机の中にでも入れとこ。とりあえず今はゲーム、ゲーム。机の中にスマホを忍ばせて、いつものようにゲームを始めた。


 その後の時間はいつもと同じだった。無駄に休み時間が騒がしい教室。いつもとの違いっていったら騒いでる理由がバレンタインなだけだ。男子はもらえるか、もらえないかの議論を繰り広げ、女子の間ではチョコの交換会が開催されていた。

授業中もなんとなく落ち着かない雰囲気だった。男子が待ちきれずにチョコを開けて怒られたりもしてたっけ。あとは数学の先生が教壇でずっこけたくらいか。して……どうやって白水さんにチョコ返そう。さっき、チラッと机の中を見ると机の中は教科書やらで詰まっていた。とてもじゃないけどあの中にチョコ入れるのは難しいだろう。


「……栗山、おい栗山!」

「え? あ、はい……」


先生が僕を当てたらしい。少しの怒りを載せた声が僕にぶつかる。黒板にはよく分からない数式が書かれていた。なんですかその式。分かんないです、と首をかしげる。先生は怒ったように「もういい」と言って他の人を当てた。短気だなぁ。ちょっとぼーっとしてただけじゃん。そんなんじゃモテないですよ。当たった生徒は賢そうに「θ=π、2πです」と言っていた。僕にはまるで呪文にしか聞こえない。僕は机の中にチラリと見えるチョコに目線を落とした。




 なにかの拍子に異世界転生したり、謎の怪物が校庭に召喚されたりなんてこともなく、いつも通りに学校が終わった。結局、チョコは僕の机の中から動かせていない。あの美少女のチョコだ。誤ってバラバラにしたりでもしたら今度は僕がバラバラにされる番だろう。

校門前では生徒らがたむろしていた。自転車だと通りにくいんだから勘弁してほしい。チョコ交換なら他のとこでやれ。自転車に乗って突っ切ってやりたいところだが陰キャの僕にそんなことなどできるわけなかった。脳内で突っ切ってるのをイメージしつつ歩いて自転車を押す。予想に反してその連中はチョコ交換はしてなかった。なにやらザワザワとしているだけだ。雰囲気としては野次馬に近いところだろうか。ふと、そいつらの言葉が耳に刺さる。


「ねぇ、自殺あったってホント?」

「おう、なんか白水が首吊ったっぽい」

「白水って三組の?」

「マジ? 昨日普通にいたんだけどなぁ」


内容が聞き取れたのは最初だけだった。その後はもうざわめきにしか感じられない。信じられなかった。こいつらが言ってることは嘘だ! デタラメだ! だって、だって白水さんは今朝、誰かにチョコを渡そうとしてたんだぞ。そんなやつが自殺するわけ……。怒りのような感情が湧いてきた。僕は白水さんとはほとんど関わったことがない。それなのにとても他人事のようには思えなかった。気づけば校舎に走っている。全部嘘だ! 嘘であってくれ! けれども校舎棟の中には規制線が貼られていた。ただならぬ雰囲気が校舎を染めている。警察の人が頻繁に出入りを繰り返す。いや、もしかしたら天井が落ちただとか、ガスが漏れたとかの事故かもしれない。そうだ、きっとそうだ。そうで……そうで……あってください……。





 自分で言うのもなんだけど、僕は冷たい人間だ。新聞の事故や事件で人が死んだって記事だとか、テレビの向こうで起こってる戦争を見ても特になにかを思ったことがない。自分に関係のないことは無関心だった。それなのに僕は白水さんの自殺を何故だか強く拒絶した。もちろん、僕が白水さんと無関係だったとは言わない。同じクラスメートなわけだし、間違えだとしても僕の机にチョコを入れてたんだ。でも、それだけだった。

きっと普段の僕なら、なにも思わない。平生通りに暮らしてるはずだ。でも、今の僕はどう考えても通常通りじゃない。動悸が無駄に激しい。足に力が入らない。そんなだから、家に着くまでに四十分近くかかった。


 僕は信じなかった。事故だと勝手に決めつけていた。だから、確証を求めるのが怖い。動かぬ証拠を見てしまえば僕の中の真実が簡単に崩れてしまうかもしれない。ただ、その確証は事故であることを肯定するものかもしれないのだ。だから僕は迷った。手元のスマホでそれらしい言葉を検索にかけてしまえば真実が飛び出してくるに違いない。でも……。僕は布団に頭を突っ込んだ。

決着がついたのは日も沈んだ頃。調べることにした。電気がついてない暗い部屋にスマホの光が眩しく輝く。青白い光は目に刺さった。フリックする手が震える。一文字、一文字丁寧に打ち込んだ。検索ボタンを優しく触った。しばらくの読み込みの後、検索結果が表示される。飛び込んできたのはという二文字。

そうだよな……そうだよ……。最初から分かってたんだ。だから嫌だったのに……。チョコを入れた後に自殺したんだとしたら……なんだか、気持ち悪い。


その後はなにをしたか覚えてない。きっと、なんもしてないだろう。母が僕を晩御飯に呼ぶ声も聞こえないフリをした。部屋に微かに入ってくる街灯の光が冷たい。僕はずっと部屋の隅に座り込んでいた。もしかしたら自殺したのは別の奴かもしれない。白水さんは今も呑気に寝てるかもしれない。そんなことを考えてたら瞼が重くなってきた。もう、日が変わって一時間程経っている。視界は闇に堕ちていった。




 直感的に目が覚めた。外はまだ暗い。時計を見てみるとまだ三時だった。遅くに寝たのに妙だな。やっぱり安心して寝れなかったのか。起きててもすることなんてない。まだ、白水さんのことが頭から離れなかった。寝ているときだけは白水さんのことを忘れられる。今の僕には起きていても良いことがなかった。そっと目を瞑る。僕は驚くくらい早く眠りについた。




 二度目の起床。時計を見て目が飛び出した。八時十五分。懲りてねぇな……。昨日と同じように制服を適当に着て、急いで家を飛び出す。母がせめてでも、と渡そうとしてきたパンも断った。今日は本格的にヤバい。一時間目はあの英表だ。

乾ききった喉に冬の乾燥した空気が容赦なく刺さる。全速力で住宅街を駆け抜けた。高校内の駐輪場に半ば自転車を乗り捨てたような状態にして、教室に走る。息を切らしてドアを開けた、そのタイミングでチャイムが鳴った。ギリギリセーフだ。

目の前に立っていたのは化学の先生だった。あれ? 時間割り変更あったっけ? 化学なら急ぐ必要無かったのに。僕の体力を返してほしい。なんてことを言えるわけは無いので、黙って席に向かった。僕の後ろの席は相変わらず空席のままだ。そりゃそうか……。にしても皆、平気な顔してるんだな。皆も案外、冷たいのか。僕だってチョコが入れられてなかったら、なんとも思ってなかったかもしれない。そう思うと怖かった。

先生はいつも通り、催眠術のような授業を始めた。やっているのはmolだ。おぼろげな記憶だけど、それは昨日やったんじゃないですか? 誰もなにも言わない。こりゃ、ひどい。まぁ、あの先生ならよくやることだ。どうせ授業を受けない僕には関係のないこと。昨日と同じようにゲームをしよう。スマホを机の中に忍ばせる。手の先になにか触れた。そういや昨日、入れたままにしてたんだ。もう見たくない。確認することなく、奥に押し込んだ。


二時間目も時間割り変更があったみたいだ。授業は昨日と同じところを進んでいく。そして誰もなにも言わない。先生たち、ボケすぎじゃないですか? この先生じゃ、スマホもいじれないじゃん。仕方なく、体育で一年がサッカーをしている校庭を見下ろした。


三時間目。これまた時間割り変更。数学だ。先生が昨日と同じように教壇でコケていた。先生の持ちネタになったのだろうか。女子の前では調子いいんだよな、アイツ。授業はこれまた、昨日と同じだった。先生の間で同じ授業するのが流行ってるのか? にしても……違和感がある。そういえば、休み時間には生徒の間でチョコの交換会が開かれていた。バレンタインは昨日だろ。もしかして……いや、まさか……。


「……栗山、おい栗山!」

「え? あ、はい……」


先生が僕を当てたらしい。黒板には見覚えのある式。


「え……えっと……θ=π、2πですか?」

「はい〜、正解」


先生は問題の解説を始める。でも、正直、僕はそれを聞いているどころでは無かった。あれは確実に昨日、僕が当たった問題だ。それだけじゃない。昨日と同じ授業に休み時間、思えば起きたタイミングすら一緒。一つの考えが頭をよぎる。そんなわけない、そんなわけないだろ。落ち着け。ありえない話なんだ。全部、たまたま。昨日と重なったのは偶然。そうとしか思えない。僕は猛烈に今日がいつかを確認したくなった。僕のバカな考えを改めてほしい。スマホを取り出す。電源を入れた。ホーム画面の左下に視線を注ぐ。僕はそれを見て安心するつもりでいた。けれどもそうはならなかったのだ。むしろ、その表示は僕を更に混乱させた。


今日は二月十四日。バレンタインだ。

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